Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

喜び、祈り、感謝

こんばんは(^^)


今日で2016年度も終わりですね。


あっという間の一年だった。


正直、研修医1年目もそうだったけど、

小児科1年目もしんどかったですね。


初めて見るものだと、

その仕事をこなすことにいっぱいいっぱいになり、

全体像がなかなか見えませんでした。


最近になって、

やっと少しずつ、一つひとつのことに丁寧に向き合って、

消化できるようになってきました。

そんな小さな成長がとっても嬉しいです(^^)

神様に感謝。



そして、

やっとこさ、


妻と息子が帰ってくるーーー♪

本当に楽しみです。


みんなには、

「子供が生まれたら生活が変わるよー」

と言われているのですが、


まぁ、当然変わると思います。


ただ、息子は、神様のタイミングで、


僕ら夫婦に与えられたことを信じているので、


三人で神様を見上げて、


一歩ずつ進んでいきたいです。


きっとこれからは、父としてのことも書くことになるんだなー笑

なんだか不思議。




今日は、


妻が里帰りしていたこの4か月の中で、


神様が語ってくださった聖書のことばの一つを、

分かち合いたいと思います。


「いつも喜んでいなさい。

 絶えず祈りなさい。

 すべての事について、感謝しなさい。

 これが、キリスト・イエスにあって

 神があなたがたに望んでおられることです。


 御霊を消してはなりません。」


 Ⅰテサロニケ5章16-20節


何度も聞いてきた聖書のことば(みことば)。

自分自身も、このみことばは覚えていました。


ただ、恥ずかしながら、

20節に、

「御霊を消してはなりません。」

と付け加えられていることは知りませんでした。



正直、僕が今日伝えたいことは、このことばの通りです。



ほんっっっとに心の底から思ったこと、

それは、


御霊と共に歩むためには、


自分自身から御霊を消さないためには、


「喜び、祈り、感謝」が不可欠なのだということです。



僕は大体6時に起きて、

23時に寝ます。


この約17時間の間、

僕はどれだけ、

御霊とともに、

御霊を消さず、

生きているのだろうかと思います。




今回の日々の中で、

信仰の友がくれた、

アーウィン・ラッツァー著の「悪習慣を断ち切る方法」

という本を読みました。



これは、ほんっっっとに素晴らしい本で、

たくさんのことを教えられましたが、

その一つが、


僕らの全ての時間の中で、

たくさんの誘惑や試みがあるということでした。



たとえば、

「なんで自分だけこんなにしんどいんだろう・・・」


僕は結構こんな風に自己憐憫に陥るのですが(笑)、

これだって一つの誘惑。


自分を憐れむ心、

その心を放っておくと、

神様に対する怒りや、周りの人たちに対する怒りに変わっていく。



食事だってそう。

僕は結構食事のことをないがしろにしてしまう。


「あーーー!!ごはん食べたい!食べたい!」

という誘惑にただただ身を任せ、

感謝なく、自分の食べたいものだけを食べるのか・・・

それとも祈りつつ健康を考えるのか・・・


(あーーー・・・今日の昼も夜も自分の好きなもの食べたから、

 自分で書いてすごい耳と心が痛い・・・)




あとは、僕は結構テレビとネットですね。

特に、忙しかった日の帰宅後や当直明け。


実際、テレビもネットもそれ自体は悪いものじゃないけど、

それに身を任せて、

時間を無駄遣いしたり、

心が引っ張られることは、

神様は喜ばれません。




なんか、僕の個人的な例ばかりを挙げてしまいましたが、

きっと皆さんも、

自分の時間を見つめ直した時に、


心から湧き上がったり、周りからの誘惑、試みが、

いかにたくさんあるかに気付くと思います。



聖書を読んでみると、

イエス様も、

僕らと同じように誘惑や試練にあっていることが分かります。


いや、僕ら以上にとっても強い誘惑や、辛い試練にあっている。



だから、それ自体は避けられないこと。



ただ、そこに身を委ねて、

神様のことを忘れ、

御霊を決してしまうのか。



それとも、喜び、祈り、感謝で勝利して、

御霊と共に歩むのか。


僕らはいつも試されています。



パウロは、このことばを命令形で書きました。


そう。

僕らが御霊と共に四六時中歩むには、


この三つを、

全生活を通して守り抜くほかないのです。



今回の日々で、

僕はこのことを教えられました。



正直に言って、

僕の17時間のうち、

どれほど、この三つで勝利しているかというと・・・




うーん・・・



なんとも言えませんが、


気付かせてくださった神様に感謝し、

明日の17時間も、

イエス様にあって勝利したいです♪


おやすみなさい(^^)

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四十日四十夜

こんばんは。


久しぶりの更新。


最近、ようやっと、、

回復してきたかなー・・・?


でも、この間外来の看護師さんには、

「佐々木先生!表情が明らかに元気ないよ!!」

先輩ドクターにも、

「明らか疲れてるねー!」

とストレートに言われたので(笑)、

まだ全回復はしていないですね。



今日は、おやすみで、

朝10時ぐらいまで爆睡。


起きて、お昼をどうしようかな?と思っていたら、

同じMB教団石橋キリスト教会で、

僕の家族より、少し年上のご家族がランチに誘ってくれました。


妻と子供は里帰りで北海道なので、

五人家族のH家と僕の6人。


ふらふらの僕を見つけて、

H家の女の子と男の子が走り寄ってきてくれました。


ふたりとも足にくっつくからなかなか歩けないけど、

なんか癒された。笑


こどもってやっぱり良い。笑





最近はまってるアニメがあるんです。

NHKで23時ごろに放映している、

「三月のライオン」


僕はあまりアニメに詳しくはないんですが、

たまたまテレビを付けた時に見始めて、

今でははまって毎週録画しています。


アニメだけど・・・
(アニメだけどっていう言い方自体がダメなのかも)

とっても奥が深くて、

描写が面白い。



その主人公は、

へなへなの草食系男子のプロ棋士なんですが、

彼もよく休みはふらふらしていて、

近所の家に、ご飯を食べに行って、癒されて。

なんか・・・ちょっと僕と重なります。笑
(ここまで書いて思いましたが、はい、どうでもいいですね。笑)




でも、疲れてるだけじゃないんですよ。


僕、今、

これまでのしんどかった数週間や、

今のこの状況を、

感謝できてるんです。




正直、うすうす気づいていました。

妻が12月に里帰りで帰る日、

教会のちょっと年上の人が、

「いってらっしゃい!みっちは任せて!この間に鍛えるから!」

と言われ、



ギ・・・・ギクッ・・・・・・Σ(゚Д゚;)



ってなりました。


というのも、僕自身も、妻が里帰りしてからの数カ月は、

神様が僕に直接的に介入してくださるためのものんだなって・・・・

うすうす気づいていたもので。。。



そして、実際に、


いや、思ってた以上に、なかなかしんどい日々でした。



身体も。


心も。


霊も。



「イエス様の荒野での四十日四十夜の断食後の悪魔の試み」


「エリヤの荒野での四十日四十夜のテクテクトボトボの旅」



本当にあの二つみたいに、

僕にとって、ここ最近の四十日四十夜はしんどかったー・・・




でも、

この日々を通して、

天のお父さんは、


僕との距離を、ぐうぅっっっと!!!!

縮めてくださった(^^)



僕が今までないがしろにしてたことや、

気付いていなかったこと、


ひとつひとつ、

天のお父さんは丁寧に光を当ててくださり、

僕の全生活の中で、

神様を求め、聖霊と共に生きるように訓練してくださった。



ほんっっっとに、この日々があって、良かった。
(いや、まだ終わってないんだけど・・・笑)



話は大分変りますが、

今日、アカデミー賞で何個も賞を取った、

「ララランド」っていう映画を見てきました。



うーん・・・


めちゃくちゃ前評判良かったので期待度がかなり高かったのと、


ひとつ前に見た、

「沈黙」っていう映画が

あまりに重すぎたのもあって、、


うーん、、、

思った以上に軽い感じがしてしまいました。


イメージでは、「ザ・アメリカンドリーム!これぞハリウッド!!」的な感じで、

夢を追いかけて、チャンスをつかめ!!的な感じ・・・
(「的な感じ」、ばっかり。笑)



でも、クリスチャンとしては、その生き方には同意できないし、

あまり魅力を感じないなー。

その人生を貫いて、、果たして幸せなのかな・・・




ちょうど、今朝読んだデボーションの箇所は、反対のことを言っていた。


「努力して狭い門から入りなさい。

なぜなら、あなたがたに言いますが、

入ろうとしても、

入れなくなる人が多いのですから。」


ルカ13:24





僕も、イエス様を知らなかったときは、

自分の夢を描き、

自分の思いや願いのままに生きていた。



でも、イエス様に出会ってから、

「この人についていこう。」って決めた。



イエス様についてくってことは、

本当にこのみことばの通りで、

狭い門をイエス様と一緒に選び取っていく感じ。



人は弱いから、

気づけば広い門へ、自分の思い描く方へ、楽な方へ、進んでいってしまう。



でも、イエス様のように、

自分がしたいことではなくて、

天のお父さんが、用意しておられる狭い門に向けて、

自分自身を打ち叩き、従わせることが、

クリスチャンには求められている。



もちろん、神様が一緒にいてくださることで、

本物の自由がある。


でも、何もかも楽ってわけじゃないよ。


むしろ、苦しいし、険しい道だよ。

クリスチャンっていう道は。



でも、それでも狭い門を選びとっていきたいと思うのは、

そう思わせるくらい、


イエス様という人の愛が大きいから。



十字架を通して与えられた救いと、

復活を通して与えられた聖霊と歩む人生は、

この世界のどんなものにも代えられないほど、素晴らしいから。



以前、クリスチャンの後輩に、

「満ちるさんを見ていると、クリスチャンの人生ってそんなに厳しいものなのかな・・・って思うんです。」

って言われたことばが心に残ってる。



うん・・・

やっぱり・・・


厳しい道だと思うなー。笑

楽とは言えんぞ。笑


だけど、ここに本物の愛が、本物の自由があるんだもん。

従うこと。

こんばんは。

今夜もこのブログを更新できること、

心から神様に感謝します。



ここ最近の、

失意のトンネルを抜け、

妻と息子が里帰りしていている今は、

「ことば」の時なのかもしれません。


祈りつつ、神様が与えてくださることばを、

丁寧に綴っていきたいと思います。



今日は、当直明けでした。

昨夜は忙しく、身体も心も疲れ果てました。


帰りの足取りは重く、

いつもは気にならないリュックも、

かなり重く感じました。


家でゆっくりと眠った後、

行きつけの銭湯へ。


銭湯が好きなわりに、のぼせやすい僕は、

いつも少しお風呂に入っては、

上がって、壁にもたれてぼーっと上を見上げて、

また、少しお風呂に入る、

ということを繰り返します。



上を見上げると、

天井にある、曇りがかった小さな窓が見えました。


そこに映る空を見ながら、

深いためいきをつきながら祈りました。


「神様、、、なかなかしんどいです・・・」


身体と心の疲れがどっと押し寄せる時、

弱音を吐きたくなります。


「僕は、この地で、医師という仕事ずっと続けていけるのだろうか・・・」

と。



お風呂から上がると、

決まって、

350mlのカルピスを飲み、

今週のワンピースを読みなおします。笑



ワンピースは本当に面白い。

なんか、元気が出ます。



そして、帰りに妻とよくいった喫茶店に行き、

野菜のたっぷり入った定食を頼みました。


いろんな野菜の入ったおかずを、

ひとつずつ、神様に感謝して食べました。



食べ終わって一息つき、

僕はある本を開きました。


それは、数年前に北海道の信仰の友がプレゼントしてくれたもの。


彼は、僕が心から信頼している人で、

お互いの誕生日には信仰書を送り合っているんです。



ただ、活字慣れしていて、なおかつ信仰書をよく読む彼が送ってくれる本は、

当然文字数が多く・・・笑

正直挫折してしまった本もいくつかありました。

(もしこのブログを読んでいたら、この場を借りて・・・ごめんなさい。笑)


この本もその一つでした。


ボンヘッファーが書いた、

「キリストに従う」という本です。



実は、先日ネットで聞いた礼拝メッセージでこの本について語っておられ、

ふと思い出して、本を引っ張り出してきたんです。



この本は、

さっきの野菜たっぷりの定食と同じように、

僕の霊に必要な栄養素を与えてくれました。


本を読みながら、

改めて、

「キリストに従う」とはどういうことなのかを考えていました。



僕自身の歩みを振り返ると。



前回のブログの通り、


神様に出会い、

そして神様が僕のいのちに介入された中で、

ひとつひとつを手放させてくださいました。



そして、その後、

神様は僕に語りけてくださったのです。



「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」

「こわがらなくてよい。

 これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」

ルカ5章4節、10節



語られた時は、正直何のことを言っておられるのか分かりませんでした。


でも、神様はそんな僕を知っておられ、

何度も、何度も、この箇所を示してくださり、


当時の僕が想定していた、

医師としても、クリスチャンとしても、

北海道に留まり続けるという道ではなく、


大阪という、縁もゆかりもない地に出ていくように導かれました。



あれから3年経ち、

さっきのように、僕は弱音を吐いています。


「僕はこの地で、、やっていけるのだろうか・・・」

「僕は医師として、、やっていけるのだろうか・・・」

疲れ果てた時、僕の口からは弱音がこぼれます。



しかし、僕はその度にこの神様の約束を思い出すんです。



そして、思い出すたびに、

人間が自分の力では絶対に得ることができない、

「平安」

という神様からの贈り物を受け取るんです。




「ここに遣わして下さったのは・・・神様だ。」

「僕を医師として召して下さったのは・・・神様だ。」


「神様が、僕を守って下さる。神様が僕を支えて下さる。」



僕がこの地で医師として立つ根拠は、

僕自身にはないのです。


約束してくださった、神様にあります。





先ほど、妻と電話で話していました。

今の淀川キリスト教病院小児科での研修を終えた後に、

僕らはどこに進んでいくことが良いのだろうということでした。



正直、僕も妻も、

結婚して、子供も生まれた中で、

心には、人間的な「安全本能」が作動します。



「できるなら、あまり変化のないほうが良い・・・」

「できるなら、あまり負担のかからない場所が良い・・・」




一方で、ふたりでゆっくりと分かち合う中で、

改めて、そうではなく、神様に聞くことに導かれました。



僕らの内側から語り掛けてくる「安全本能」や、

周りの人たちのことばや状況という「常識」は、

一見、その通りに思えます。

あたかもそれが答えであるかのように思えます。



しかし、違うんです。


僕らは、神様に生かされ、神様に導かれている。

神様が、イエス・キリストを通して私たちを救い、

神様とともに生きる人生に召して下さった中で、

安全本能や常識で決断してはいけないのです。


そこには、さっき書いた、

「平安」はありません。



神様に求めます。


この先、僕らの家族に神様が持っておられる計画は、

どこにあるのかを、神様に本気で求めていきます。



神様が、僕らに用意しておられる計画は、

僕らの思いをはるかに超えて、

素晴らしいものだから。




「わたし(神様)の思いは、

 あなたがたの思いと異なり、

 わたしの道は、

 あなたがたの道と異なるからだ。

 -主の御告げ-


 天が地よりも高いように、

 わたしの道は、

 あなたがたの道よりも高く、

 わたしの思いは、

 あなたがたの思いよりも高い。


 雨や雪が天から降ってもとに戻らず、

 必ず地を潤し、

 それに物を生えさえ、芽を出させ、

 種蒔く者には種を与え、

 食べる者にはパンを与える。

 そのように、

 わたしの口から出るわたしのことばも、

 むなしく、わたしのところに帰っては来ない。

 必ず、わたしの望む事を成し遂げ、

 わたしの言い送った事を成功させる。」


 イザヤ55章8-11節

一番良い着物

こんばんは!

今夜もこうしてブログを通して、

真実で、唯一の神様のすばらしさを

伝えることができること、、

本当に本当に感謝します。



プロフィールにも書いてますが、

僕は偉そうに、

「クリスチャンはこうだ!」

とか。

「神様はこういう方だ!」

とか。

人に言えるような存在ではありません。


むしろ、父と母という本気で神様に従うクリスチャンのもとで育ち、

自分自身も神様を信じる洗礼を受けたにも関わらず、


僕はしばらくの間、

教会でみせる「クリスチャン」の自分と、

実際の生活の自分との、

二重生活を送っていました。


その中で、自分の思うままに生き、

傷つけた人もいました。


神様の存在を信じたり、従ったりするなんて、

全然考えてもいなかった。



そんな自分が、大学生になって、

いよいよ追い込まれた時に、

僕は生まれて初めて、自分の口で心の底から叫びました。


「神様!!本当にあなたはいるんですか!!!」

「あなたは目に見えない。あなたは聞こえない。」

「本当にあなたがいるなら、そのことを証明してください!」

「そうすれば、私はあなたを信じます。」



改めて書いても、

本当に神様に対する上から目線な祈り。。


今でも覚えてる。

2010年3月11日の午前3時、愛知の青年の家だった。


寒い施設の中で本気で祈った後。

ふとため息をついた時、


僕の心に今まで感じたことがない風が吹き付けるのを感じて、



心にふと、



「私の愛する子」


と語って下さったことばを感じた。。



涙が溢れた。



「神様が・・・いる・・・」


あんなに高慢な祈りをした自分なのに。

これまで、ずっと、ずーっと、

背を向けてきたのに。


裏切ってきたのに。


神様は僕をあきらめていなかった。

それどころから、

こんなボロボロで、汚い僕のことを、


「愛してる。」

と伝えてくださった。



あの瞬間から、僕は神様のために、

救い主イエス・キリストのために、

生きていこうと決心した。



それから、いろんなことがあった。


それまでの友達との関係が変わった。

当時お付き合いしていた人とも別れることになった。




全てを、失った。


全てを、手放した。



そのとき、神様は僕に語ってくださった。


それは、2010年3月11日にも語られた約束のことばだった。


「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。

-主の御告げ-

それはわざわいではなくて、

平安を与える計画であり、

あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」


エレミヤ29章11節



全てを、失った時。

全てを、手放した時。


正直、この約束のことばを、100%信じ切れていたかというと・・・

そうじゃなかった。


でも、この約束のことばにすがりついて。

必死に、

必死に耐えた。




そして、それからしばらく経ってから、

僕の目の前に、ある女性が現れた。



その人は、本当に神様を慕い求める人で、

御霊に満たされている人だった。


その人への思いが募り、

いろんなことがあった後に、

ふたりで会うことにになり・・・

結婚を前提としたお付き合いに向けて一歩ずつ進んでいった。






でも、


僕の心には大きな恐れが押し寄せてきた。

不安が心を覆った。



「僕なんかでいいんだろうか・・・。」


僕には自信がなかった。

こんなに素晴らしい女性を、妻としてめとり、

こんな自分が夫として支えていくことができるんだろうか・・・



僕には・・・無理なんじゃないか・・・



そんなときだった。

神様はある箇所を通して語って下さった。


それは、「放蕩息子」の箇所。


父を離れて、湯水のように財産を使い、

好き放題生きた後に、

全てを失い父のもとに返ってきた男。


彼は、使用人としてでもいいからやとってほしいと、

父に頭を下げるつもりだった。



僕と重なった。


僕自身、好きなように生き、全てを失い、

いろんな言い訳を携えて、

父なる神様のもとに帰ってこようとしていたから・・・



しかし、


父の反応は、

放蕩息子、そして僕の予想を裏切るものだった。




「こうして彼(放蕩息子)は立ち上がって、自分の父のもとに行った。

ところが、まだ家までは遠かったのに、

父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、

走り寄って彼を抱き、口づけした。

息子は言った。

『お父さん。私は天に対して罪を犯し、

またあなたの前に罪を犯しました。

もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』


ところが父親は、しもべたちに言った。

『急いで一番良い着物を持って来て、

この子に着せなさい。

それから、手に指輪をはめさせ、

足にくつをはかせなさい。

そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。

食べて祝おうではないか。

この息子は死んでいたのが生き返り、

いなくなっていたのが見つかったのだから。』」


ルカ15章20-24節



神様は、僕が帰ってくるのをずっと、ずっと待っていてくださった・・・

そして、ボロボロになった僕が、

やっと帰ってこようと歩み直そうとした瞬間、

僕を見つけ抱きしめ、

「愛してる。」

と伝えてくださった。




そして、僕のことを本当に喜んでくださり、

「一番良い着物」を与えてくださった・・・







神様は、愛に満ちた方・・・

その人が、それまでどんな人生を歩んできたか、

どんな失敗をしてきたか、

そんなことでそれからの人生の祝福を変えることはなさらないお方。




もちろん、僕自身・・・

自分の蒔いた種を刈り取るとき、

多くの痛みが伴ったし、

時間もかかった。



しかし、その先に天の父なる神様は、

エレミヤの約束の通り、

僕にとって「一番良い」妻を備えてくださった。。

本当に僕にとって彼女以上の妻はいない・・・



そのことを真に受け止めることができたとき。


僕は、神様が横に置いて下さった妻を、

自分の地上の生活の限り、愛し、

一緒に天の父なる神様のもとに帰ろうと決意した。





妻は、今も、僕を本当によく支えてくれている。

今日も、やっとしんどいトンネルを抜け出したかと思いきや、

気圧の変化からか片頭痛が襲ってきて。


午後は仕事にならないくらい頭痛に悩まされた。



そんな自分の弱さに打ちひしがれている僕の話を、

妻はただただ聞いてくれて、祈ってくれた。



僕は、このブログを通して、

妻のすばらしさを伝えたいというよりも、

神様のすばらしさを伝えたい。

妻もそう願っている。





神様は、僕らひとりひとりの最善を知っておられる。


神様は、あなたがどんなに失敗したとしても、

道を誤ったとしても、


あなたの帰りを待っている。



あなたが帰ってきたとき、

神様は僕の時と同じように、思いっきり抱きしめ、

そして、あなたにとって最高の人生へと導いて下さる。




神様はそういうお方。

愛に満ちたお方。

慈しみに満ちた方。



「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

マタイ3章2節

ごはん

こんばんは!

連日ブログを更新できたのはいつぶりだろう・・・

ただただ、ことばを与えてくださる神様に感謝。


昨日は、ブログを書いた後。

先延ばしにしていた、役所への提出書類やら何やらでバタバタ。

やっと落ち着いて横になったと思ったら、

気づけばライブドアニュースとYouTubeで時間を使ってしまいました。

なんでしょうね・・・あの後の無力感。

そんなストイックに「脱インターネット!!」なんてしなくてもいいんですが、

ちゃんと時間管理もできるようにならねばと思いつつ。


そして、嫁と電話し癒されてから、

大阪で本当にお世話になっているご夫妻、いやご家族の家にお邪魔してきました。

同じMB教団石橋キリスト教会のご家族で。

親戚もいなくて、身寄りのない僕を、

三年前からずっと支えてくださっています。


あのご家族と接するたびに、

僕は「温かい家庭」を思い出して癒されます。



そして、今回も。

相当気持ちが落ちて、

「や・・・やばい・・・」

と思った瞬間頭によぎったのは、このご家族でした。


「奥さんも実家に帰ってごはんも困ってるんじゃないか。

 またうちに来なさい。」



と言ってくださったお父さんのあのことばがよぎり、

厚かましいやつだとは重々承知しながら、


お母さんに、

「今・・・しんどいです。お邪魔して良いですか。」

と打ち合け、当直明けの昨夜、お邪魔させていただきました。


扉を開けたら、ちびっ子たちが走り寄ってきて、

そして引っ張られるままについていった茶の間には、

たくさんのおかずが机に並べられてありました。


僕が普段、某牛丼チェーンでお肉ばっかりを食べていることを知っておられたのか、

特に緑黄色野菜が多く並んでいました。




緑黄色野菜。



小中高の時はずっと、

「もっと肉が食べたい!!」

と母さんに言ってた僕。



今となっては、

「や・・・やさいが食べたい・・・」

となりました。


昨夜、机の上に所せましと並んだ緑黄色野菜は、

僕にとって本当に幸せな光景でした。


そして、一緒にごはんを食べさせていただきなら、

最近の僕の話を親身に聞いてくれて、

「大変だったな。」

「悩んでたんだね。」

と声をかけてくれました。



沁みた・・・


味も、優しさも、沁みました・・・


そして、家に帰る頃には、

身体も、心も、たましいも、ぽっと温かくなっていました。



そんな昨日、お母さんがこう言ってました。

「正直、満ちる君、食べてるごはんの影響も大きいと思うよ?

 今日、野菜食べて、気持ちも少し明るくなると思う。」




そして、今日になって、仕事中ふとそのことばが思い出されました。




正直、僕は「ごはん」というものをそんなにちゃんと考えていませんでした。

大家族で育ったからなのか、自分のもともとの性格なのか。


「ごはんを大切に食べる。」

っていうこと、あんまりしてなかったように思います。


出されたものを、勢いよくほおばる!というのか。


忙しいってのもあるんでしょうが、

あまり味わうってことはせず。


さっきも書きましたが、

ちゃんと栄養にあるものをバランスよく食べるというよりは、

空腹を満たせれば・・・という安易な考えが大きく。


コンビニのおかずスナックや、チェーン店の安いものをおなかに入れる・・・という。

本当に、「ごはん」に対する考え方が幼稚だった気がします。



ただ、それって、自分のことしっかり管理できてないってことなんですよね。



お母さんのことばと、もうひとつ思い出されたのは、次の聖書でした。


「あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、

ただ神の栄光を現すためにしなさい。」

Ⅰコリント10:31


いやーーー・・・

神の栄光を現すために食べたことは正直なかったなー。


でも、今回、こんな風にぐっとバランスを崩して、

改めて食べることや飲むことっていう、

ごく当たり前の日常的なことも、

神様を求めながら、丁寧に、大切にしていなきゃいけないんだって思わされました。




ちなみに。

今日は。

帰りにお惣菜野さんによって、

蟹クリームコロッケ1個と、

ハンバーグぐらたんみたいなの1個と、

サラダとを買って。

家にあったご飯をチンして、

妻が以前送ってくれた、

「1日の3分の1の野菜が摂れるスープ」を食べました。



正直、そんなに良いバランスではないと自分でもわかっています。笑

でも、これまでの人生で一番、

神様に祈りながらごはんを食べました。


ちょっとは進歩した・・・かな。