Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

ごはん

こんばんは!

連日ブログを更新できたのはいつぶりだろう・・・

ただただ、ことばを与えてくださる神様に感謝。


昨日は、ブログを書いた後。

先延ばしにしていた、役所への提出書類やら何やらでバタバタ。

やっと落ち着いて横になったと思ったら、

気づけばライブドアニュースとYouTubeで時間を使ってしまいました。

なんでしょうね・・・あの後の無力感。

そんなストイックに「脱インターネット!!」なんてしなくてもいいんですが、

ちゃんと時間管理もできるようにならねばと思いつつ。


そして、嫁と電話し癒されてから、

大阪で本当にお世話になっているご夫妻、いやご家族の家にお邪魔してきました。

同じMB教団石橋キリスト教会のご家族で。

親戚もいなくて、身寄りのない僕を、

三年前からずっと支えてくださっています。


あのご家族と接するたびに、

僕は「温かい家庭」を思い出して癒されます。



そして、今回も。

相当気持ちが落ちて、

「や・・・やばい・・・」

と思った瞬間頭によぎったのは、このご家族でした。


「奥さんも実家に帰ってごはんも困ってるんじゃないか。

 またうちに来なさい。」



と言ってくださったお父さんのあのことばがよぎり、

厚かましいやつだとは重々承知しながら、


お母さんに、

「今・・・しんどいです。お邪魔して良いですか。」

と打ち合け、当直明けの昨夜、お邪魔させていただきました。


扉を開けたら、ちびっ子たちが走り寄ってきて、

そして引っ張られるままについていった茶の間には、

たくさんのおかずが机に並べられてありました。


僕が普段、某牛丼チェーンでお肉ばっかりを食べていることを知っておられたのか、

特に緑黄色野菜が多く並んでいました。




緑黄色野菜。



小中高の時はずっと、

「もっと肉が食べたい!!」

と母さんに言ってた僕。



今となっては、

「や・・・やさいが食べたい・・・」

となりました。


昨夜、机の上に所せましと並んだ緑黄色野菜は、

僕にとって本当に幸せな光景でした。


そして、一緒にごはんを食べさせていただきなら、

最近の僕の話を親身に聞いてくれて、

「大変だったな。」

「悩んでたんだね。」

と声をかけてくれました。



沁みた・・・


味も、優しさも、沁みました・・・


そして、家に帰る頃には、

身体も、心も、たましいも、ぽっと温かくなっていました。



そんな昨日、お母さんがこう言ってました。

「正直、満ちる君、食べてるごはんの影響も大きいと思うよ?

 今日、野菜食べて、気持ちも少し明るくなると思う。」




そして、今日になって、仕事中ふとそのことばが思い出されました。




正直、僕は「ごはん」というものをそんなにちゃんと考えていませんでした。

大家族で育ったからなのか、自分のもともとの性格なのか。


「ごはんを大切に食べる。」

っていうこと、あんまりしてなかったように思います。


出されたものを、勢いよくほおばる!というのか。


忙しいってのもあるんでしょうが、

あまり味わうってことはせず。


さっきも書きましたが、

ちゃんと栄養にあるものをバランスよく食べるというよりは、

空腹を満たせれば・・・という安易な考えが大きく。


コンビニのおかずスナックや、チェーン店の安いものをおなかに入れる・・・という。

本当に、「ごはん」に対する考え方が幼稚だった気がします。



ただ、それって、自分のことしっかり管理できてないってことなんですよね。



お母さんのことばと、もうひとつ思い出されたのは、次の聖書でした。


「あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、

ただ神の栄光を現すためにしなさい。」

Ⅰコリント10:31


いやーーー・・・

神の栄光を現すために食べたことは正直なかったなー。


でも、今回、こんな風にぐっとバランスを崩して、

改めて食べることや飲むことっていう、

ごく当たり前の日常的なことも、

神様を求めながら、丁寧に、大切にしていなきゃいけないんだって思わされました。




ちなみに。

今日は。

帰りにお惣菜野さんによって、

蟹クリームコロッケ1個と、

ハンバーグぐらたんみたいなの1個と、

サラダとを買って。

家にあったご飯をチンして、

妻が以前送ってくれた、

「1日の3分の1の野菜が摂れるスープ」を食べました。



正直、そんなに良いバランスではないと自分でもわかっています。笑

でも、これまでの人生で一番、

神様に祈りながらごはんを食べました。


ちょっとは進歩した・・・かな。

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元気ないシーズン

おはようございます(^^)

今日は当直明けで、さきほど家に帰ってきました。

家に帰る途中、いつもの商店街を歩いていると、

「朝9時から10時の間は、コーヒーが200円!」

という広告が目に入り、

ゆっくり一杯だけ飲んできました。


正直、今日は家に帰ったら、

ぼーっと撮り貯めたドラマを見て、眠くなったら寝て、

いつもの「ぐーたら当直明け」を過ごす気満々でした。


でも、コーヒーを一杯飲みながら、

いつも愛読しているデボーションの本の、

「いと高き方のもとに」をパラパラ見返す中で、

自然と心が神様に向かっていきました。



正直、この1ヶ月弱は気持ちがかなり落ちていました。

実は、無事に先月長男が生まれ、立ち会うこともできて、

幸せ真っただ中にいたのですが・・・


その後の日々の中で、人との関わりや、仕事の忙しさで、

僕のからだとこころとたましいは、疲れていきました。



僕も生まれて27年経ち、

こんな風に気分が落ち込むのは初めてではないので、

「あっ、またいつもの元気がなくなるやつが来たんだ・・・。」

「雨の日や、冬のように、過ぎ去るのを待つしかないな・・・。」

と思っていました。



そして僕がこんな風に気持ちが落ち込むと、

決まって示されるのが、Ⅰ列王記19章のエリヤの落胆の箇所。


今回も、19章1~18節を繰り返し読みました。


そして、「この時期が早く過ぎ去れば良いのに。」と願っていました。



しかし、今回は結構長くて。

かれこれ、1ヶ月弱。

気持ちが落ち込んでいました。

そして改善するどころか、

先日妻と息子に会いに北海道に滞在し、

その後大阪に戻ってきたギャップでさらに気持ちは落ち込んで、

悪化さえしていました。


「こりゃ困った・・・。」

と思い、途方に暮れていたのが、今の僕。

そして、家に帰って、撮り貯めたテレビドラマでも見ながら、ぼーっとしようと思っていた・・・

という最初の話に戻ってきました。笑




だけど、コーヒーを飲みながら、ぼーっと本を眺めていた時に、

「いと高き方に」という本のこんな一節が目に入ってきました。


「失望や抑圧に襲われる時、私たちはそれを、神や人のせいにしようとする。」

まさにその通り。。

僕は最近あったことに対する自分自身への失望や、

仕事という抑圧に対して、

神や人のせいにしていました。

神に対して、

「なんで俺はこんな目に合わなきゃいけないんだ・・・」

そして周りの人に対して、

「あの人はいいよなー。ある程度時間にも余裕がありそう。

なのにあれこれはしてないのはなんでだろう・・・。」

と不満が溢れ出ていました。


さらに語られます。

「神は個人的な生活において、あなたを危機に直面させる。

そして人はそれを助けることはできない。・・・

意志をもって神に向かわないなら、自分自身をあわれむ結果に終わるだろう。」



おうおうおうおう。

突き刺さる。

突き刺さる。

この本の著者、オズワルド・チェンバーズ氏というひとりの人を通して、

神は僕に語ってくださいました。


そして、この箇所が思い出されました。

「神が私たちに与えてくださったものは、

おくびょうの霊ではなく、

力と愛と慎みとの霊です。」

Ⅱテモテ1:8


私は、今の状況の中で、

自分自身を憐れみ・・・

いわゆる「自己憐憫」というやつに陥っていました。

そして、神や人のせいにしたり、怒りを向けてみたり。


でも、そこからは何も生まれない。


僕は、この状況の中でも、ともにいてくださる神に心を向けていきたいと思わされました。


冒頭でお話した、いつも読むエリヤの箇所。

彼も、同じように自暴自棄になり、自己憐憫に陥った。

でも、神はそれでも彼とともにいてくださいました。


同じように、神はこのしんどい数週間も、ずっと私の横にいて、

こう励ましてくださっているのです。


「わたしはあなたに命じたではないか。

強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。

あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、

あなたとともにあるからである。」


ヨシュア記1章9節




エリヤは、あの後神により力づけられ、もう一度立ち上がりました。

神は彼を見捨てず、彼に使命を与えられました。


神はエリヤと同じように、私をあきらめず、私に力強く働いてくださっているのを感じる。



やめよう。

自分を憐れむの。

神や人のせいにすることも。



意志をもって神に向かおう。

力と愛と慎みという、神の霊にあって生きるために。

ヘトヘト

こんばんは。

ここ最近は、休みなく働いていました。

気力と体力は日に日に減っていき、今はヘトヘトです。



ならばなぜブログを?

と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それはこのブログのタイトルの通りです。

僕のLife(生活・人生・いのち)の中で、気力も体力も十分にある時や順調にいっている時にももちろん書きますが、逆に今日のようにヘトヘトな時やうまくいかない時、失敗してしまった時にも、僕はこのブログを書きたいのです。

そうじゃないと、僕のLifeとは言えないから。


そう思うと、聖書はとても面白い書物です。

聖書はまさに、人間についてのすべての事柄について記されている、オールマイティな書物です。

生も死も。

喜びも悲しみも。

成功も失敗も。

過去も未来も。

本当にすべての事柄について、聖書は教えてくれています。


そして、こんなヘトヘトな僕の心に留まったのは、同じくヘトヘトだった「エリヤ」という人の箇所でした。



自分は荒野へ一日の道のりを入って行った。

彼は、えにしだの木の陰にすわり、
(えにしだの木:マメ科の小さな木)

自分の死を願って言った。

「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」

彼がえにしだの木の下で横になって眠っていると、ひとりの御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい」と言った。

彼は見た。

すると、彼の頭のところに、焼石で焼いたパン菓子一つと、水の入ったつぼがあった。

彼はそれを食べ、そして飲んで、また横になった。

Ⅰ列王記19章4~6節





この箇所が、僕の心にすっと落ちてきました。

※一応お断りしておきますが、正直僕はここまでは追い込まれていませんよ!笑
(変に心配させてしまった方はごめんなさい。)

でも、今日は本当に気力も体力も限界スレスレでした。

息絶え絶えで仕事を終えて、満員電車に揺られ、家に帰ってきました。


そしたら、「おかえり」と妻が迎えてくれました。

今日の晩御飯は、残暑の残る大阪ですが、キムチ鍋。

冷房を付けながら、作ってくれたキムチ鍋を食べました。


本当においしかった。

何より、こうして家で待ってくれて、支え、励ましてくれる妻の存在が心に染みました。

そして、より一層、聖書のことばが心に染みてきました。

神様が、妻を通して、

「今は起きて、食べる時だよ。そして、休みなさい。」

と励ましてくださっている気がしました。



先ほどの聖書の箇所には続きがあります。



それから、主の使いがもう一度戻って来て、彼にさわり、

「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから」

と言った。

Ⅰ列王記19章7節





旅はまだ遠いです。

明日もまた、仕事です。

でも、聖書のことばに励まされ、妻の存在に癒され、明日もまた、主とともに歩みます。


おやすみなさい。

二つの中心

こんばんはー

うーん、いまの気分はこのトーンの通りです。笑

時たま訪れるあまり元気の出ない時期のやつです。



ここ数日間そんな感じで、テレビ見たり、早く寝たりして、なあなあにやり過ごしてみたけれど。

結局はそれじゃ根本的な解決はできないってことに、いつもと同じように気づき。

今日は仕事終わりに、近くの総菜屋さんで弁当を買って、マックに来て、ぼーっとしている。


全然関係ない話だけど、お弁当買ったのはいいものの、食べる場所がなくて近くの公園に行ったら。

この時期だから当然なんだけど、大量の蚊に囲まれて、両手合わせて6個くらい刺された。

そんな自分で撒いた種なのに、別に蚊は悪くないのに、イライラした自分、情けない。笑



こんな情けない自分を哀れに思い。

マックに来て、どうしたもんかなーと考えてた。

そもそも、僕は考えることが癖で。

考えないで何かをすることがむしろ苦手で。

考えることがプラスに働くときはいいんだけど、今みたいにネガティブな時は「考えすぎ」っていう良くない面が出てきてしまう。

本当に、何事も良いところと悪いところがあるもんだ。



そして、考えすぎな自分を落ち着かせようと、さらに考えるわけだが。

考え方で自分の気持ちを無理やりポジティブにしようとしたところで、結局根本的には解決されない。

それも、もう何度もやってきたから知ってること。笑



この時期は、ネガティブだったり、敏感すぎだったり、考えすぎたりする自分を、それが「自分」なんだなぁってそのままで受け止めるしかないんだよな。

分かってる。

だけど、やっぱりこの時期はしんどいなぁーーー



そんな今日、僕は何を書こうかと考えていた。

実は、ここ最近書きたいと思うことがたくさんあった。

でも、結構壮大なテーマで、中途半端には書けないから。

今日は、その中でも自分の考え方を大きく変えた、素敵な言葉を紹介する。



その言葉を教えてくださったのは、同じ病院にかつて勤務されていた小児科の先生で、今は重症心身障がい児の施設に勤務していらっしゃる。

この間は初めてゆっくり話したにも関わらず、もうとめどなく会話があふれた。

本当に楽しかった。



この言葉は、もともと内村鑑三が残した言葉だそう。

「真理とは中心が一つの円ではなく、中心が二つある楕円である。」


なんちゅー言葉だ・・・

先生は教えてくれた。

「この言葉を知っていると、考え方が本当に柔軟になるよ。私たちは知らず知らずのうちに、『真理は1つだ!』と思い込んでいる。そこに縛られている。でも、聖書を読んでも、神様は旧約聖書で『義と裁き』を教え、新約聖書で『愛とゆるし』を教えている。どちらも欠けてはいけない大切なもの。」



うんうん。。。



まさに、僕はこれまで「真理は一つだ!!」って思ってた。
ずっとそう思って生きてきたし、それこそシンプルだと思ってた。


でも、どうだろう。

クリスチャンの僕らの具体的な生活に落とし込めて考える時、この言葉は心に深く迫ってくる。


『義とさばき』だけをことさらに強調するクリスチャンを、あなたはどう思う?

「イエス様を信じないと、天国に行けないよ!」

「あなたが今していることは、間違っているよ。滅びに至るよ!」

確かにそうだ。聖書にも書いてある。
でも、そんなことだけを言っている人に、誰が近づくだろう。
「あいつといると、なんだかさばかれているような気持ちになる。」
「あいつといると、なんだか気持ちが暗くなる。」

そう言われても仕方ないと思う。

実際、俺にもそんな時期があったなー。
もちろん、こんな直接的に言ったことはないけど、「善と悪」をイチかゼロかで分けていた。
そして、自分の周りの人たちを評価すると同時に、同じように自分のことも評価した。


本当に息苦しかった。
正直言って、人のことをとやかく言えるほど、自分は全く「良い人」ではなかったから。


そして、言葉にはしていないけれど、そんな僕の後ろ姿や醸し出す雰囲気で、「うっ」って息がつまりそうな思いをした人もいたと思う。いや、今もそういう危険がある。



一方で。
『愛とゆるし』だけをことさらに強調するのもどうかと思う。

「クリスチャンは最高だよー!!あなたの罪はすべて許されるよー!!」
「ありのままでいいんだよー。必要なものは与えられるよー!」

これも確かにそうだ。
聖書に書いてある。


だけどもだけど、これだけを強調するクリスチャンは、僕は無責任だと思う。
だって、信じたら、あとは何の苦労もなく生きていけますよ♪ってわけじゃないから。

むしろ、信じる中で、イエス様は愛するがゆえにその人の心の奥底まで迫ってこられて、今まで見ないようにしていた問題を明らかにされたり、場合によっては何かを手放したり、忍耐することも求められる方だから。




今は、「義とさばき」、「愛とゆるし」っていう神様の二つの中心について書いてみたけれど。

このことだけじゃなく、いろんなことに言えるんだと思う。



もしかして、今の僕の状況もそうかもしれない。


僕は、「もっと強く、もっと自由に!」と自分に言い聞かせて生きてきたから。

だから、今みたいに自分の弱さを自覚する時間は、なんとも言えない虚しさや悲しさを感じていたけれど。


本来ならば、これで当然なのかも。

僕自身という人間の中に、「強さ」だけが磨かれていくことが神様の願いではないのかも。

むしろ、「弱さ」も知り、受け止めることで。

人の「弱さ」に共感し、本当の意味で隣に立つことができるのかも。



あーーーーー、またブログを通して心にちょっと光が入った。


もし、あなたも自分の好きじゃないところで悩んでいたりしたら、「二つの中心」を思い出してみて。

「強さ」と「弱さ」。


それがあって、僕らは本当の意味で「人間」なのかも。



ではではー!!

苦しいときも。

おはようございます。

今日から11月ですね。あっという間でびっくりです。

僕は、昨日で二か月の呼吸器内科の研修を終えました。

今日からは小児科にお世話になります。


正直、ここ二週間はなかなか元気がない日々が続いています。

すぐに元気が戻ってくるかなと思っていたのですが、どうやら今回は長そうです。

何が原因なのか・・・

きっといっぱいあると思います。

簡単に言うと、心が疲れているのかなと思います。

僕は、昔から無意識的に自分に対して、

「がんばれ!もっとがんばれ!」

と拍車をかけているようです。

それでがんばれているときはいいんですが、今みたいにそうじゃないとなおさら自分を追い込み、なおさら疲れます。


きっと、それぞれに個性があり、強さがあり、弱さがあります。

これが僕の強さと弱さなのだと思います。

ただ、こんな今だからこそ、どんな状態の僕でも大切にしてくれる人の温かさを感じます。

そんな人が、一人でも居てくれるから、何とか今日も生きることができそうです。



研修医として、社会人として歩み始めて、大きく変わったことは、常に評価の中で生きているということかもしれません。

きっと、これは医者に関わらず、サラリーマンでも教師でも、どんな仕事でもそうだと思います。

学生の時も、試験による評価、部活の大会での評価など、評価される「期間」がありました。

でも、社会に出ると、常に評価が伴います。



特に僕は研修医として、他の同期13人と、先輩14人と、計28人で病院内をぐるぐる回っています。

おまけに救急外来の業務もあり。

この28人で、驚くほどずっと一緒にいます。

一日24時間あって、このうち15時間くらいはその中の誰かと一緒にいます。

家族でもこんなに一緒にいなかったと思うくらい、ずっと一緒にいます。

よく考えたら、本当に不思議な環境です。

心から尊敬する先輩と、13人の良い同期。

それでも、やっぱり時々今みたいに心は疲れてきます。



そんな中、今朝は早く起きました。

脱ぎっぱなしの服。

散乱したプリント。

まるで自分の心みたいな部屋を少しずつきれいにして。

久しぶりにお風呂に入りました。



賛美をかけながら、無心にぼーっとして。

改めて、「俺は今疲れてるだな・・・」と感じました。

そんな中、一応毎日読んでいるリビングライフというデボーションテキストの巻頭にこんなことが書いてありました。




「天の御国では何の葛藤もありませんが、人生の現場では、事業や人間関係などのさまざまな問題により、不本意ながら妄想や脅し、策略などを使わざるをえません。これが私たちが生きている現実です。この現実の葛藤をイエスはすべてご存じです。そのようなクリスチャンの悩みや葛藤を、聖書では苦しみと言うのです。」




イエス様・・・

今の俺の苦しみを知ってくださっているんだな。

もし、このブログを読んでくださっている人に、同じように苦しみの中にいる人がいたら。

一緒に思い出しましょう。

今の苦しみを、イエス様は知ってくださっていること。

そして、見捨てることなく、今も一緒に居てくださっていること。



「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(マタイ28:20)

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