Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

ささぐ

おはようございまーす(´▽`)


体調も、ようやく9割までは戻ってきたかな?という感じです。
あと少し、無理せず安静にする生活を続けて、新生活に備えようと思います!



話は変わりますが、昨夜は同じ旭川医科大学で6年間ともに過ごした、クリスチャンの親友の献(ささぐ)とご飯に行ってきました。

今日は、ささぐとのこと、ちょっと振り返りたいと思います。



ささぐと僕は、旭医の同期で、同じ牧師の息子なんですけど、かなり違います( ̄ー ̄)笑

雰囲気もそうだし、一緒にいた友達も違うし、部活も違うから。
もし、「クリスチャン」っていう共通点がなかったら、実際あまり話していなかったかもしれません。


でも、そんなささぐとの最大の共通点は、二人とも聖書がほんとに好き!ってことでした。

僕らが入学したばかりの時は、旭医聖研はメンバーが少なくて、男の人だけで。
さらに、「フリースタイル」というユニークな聖研の仕方をしていて、

「今年はヤコブの手紙をやりまーす!」
って決めたら、隔週の聖研では、ヤコブの手紙1章1節から、進めるだけ、進めるんです。笑

ある時なんて、2時間の聖研の中で3節くらいしか進まないことだってありました!!笑


でも、あの時間が本当に楽しかった。

それまで、僕にとって聖書は、ただの厚くて重い読み物だった。

でも、ささぐを含めあのメンバーで聖研をした中で、
「聖書ってほんとにほんとに楽しい本なんだ!!!この本には僕の想像を超えたたっくさんの宝物が詰まってるんだ!!!!」
って心に刻まれました。



こんな感じで、大学1・2年の頃は、ささぐとの接点は、旭医聖研だけでした。



でも、ブログのプロフィールにも書いてある、2010年3月11日、イエス様に出会ったその日から、僕にとってのささぐの存在はとっても大切なものになっていきました。


僕は、イエス様に出会ってから、
「自分を変えなきゃいけない!!」
って強く強く決意しました。

そして、その時いた友達とは一度距離を置くことを決めて、勉強にも力を入れようと思って、それまでいた一番後ろの席から前から三番目に引っ越しました。

自分で決めたことだったけど、正直とっても辛い日々でした。


お昼ご飯は、小さな教室で一人、売店のお弁当を食べていたこともありました。
一人、テラスのベンチでぼーっと座っていたこともしばしば。


寂しくて、辛くて。

聖書を開いて、必死になって自分を保とうとしていました。


そんなとき、支えになってくれたのはささぐでした。

ささぐは真面目だから(笑)、入学当初から前から二番目か三番目にいつも座っていました。あまり遅刻もせず、座学も、実習も、ささぐはいっつも一生懸命でした。

だから、僕が前に座ったときも、ふと横に目をやると、いつも変わらないささぐの姿が目に留まりました。



寂しいとき、辛いとき。

僕は決まってささぐの方を見ました。

ささぐは、いつも通り一生懸命です。笑


そんなささぐを見ていると、なんだか安心して、「一人じゃないんだ。」って思えました。
ささぐがクリスチャンだからとか、そんな理由じゃなくて、単純にささぐっていう存在が近くにいてくれたことが、僕の支えになっていました。




それから、4年生になって、北海道KGKの実行委員長を依頼されました。
僕は、陸上部や学校祭の仕事があったので、即座に断りました。

それでも、人手が本当に足りなかったようで、何度も頼まれました。

そして、最後に頼まれた時、
「実行委員に、ささぐがいるから!!」
って言われました。
(今思えば、ほんとは言っちゃいけないはずなんですけど。笑)


ほんと不思議だけど、「ささぐがいるのかぁ。ささぐがいるなら・・・やります!」って言ってました。笑

僕にとってささぐはそういう存在でした。

それからの一年、札幌に向かう車の中で、デパ地下でチャーハンと餃子をほおばりながら、旭川行きのバスに揺られながら、ささぐとほんとにいっぱい話しました。
当時の北海道KGKに大きな問題があったこともあるけど、個人的な話も、ほんとにいっぱいしました。

ささぐはいつだって僕のとりとめのない話を聞いてくれました。笑
僕はこんなんですから、熱く、熱く、ビジョンを語るわけです。
ささぐは、それを飽きずに聞いてくれるんです。
そして、的確なアドバイスも。

そんな時間が、ほんとにほんとに楽しかった。




6年間経った今、やっぱりささぐと僕は違います(´▽`)笑

でも二人とも、イエス様を信じて、聖書によっていっぱい訓練されました。
きっと二人とも、6年前よりは顔が穏やかになっている気がします。笑



ささぐ、6年間ほんとにほんとにありがとう。
ささぐの存在が、ささぐがいてくれたから、今俺はこうして生きてるよ。

ささぐの幸せを、心から願ってる。
ささぐの行くところどこにいても主はともにおられ、何をするにしても祝福してくださいますように。

God bless you



あれ、なんだかささぐへの手紙みたいになった。笑

まっ、いいかーー!笑


満ちる

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何を恐れているのか?

こんばんは~♪

やっとこさ、旭川にも暖かい空気がやってきて、引いてた風邪もちょっとずつよくなってきました!感謝です♪
ただ、治りかけが一番怖いので、無理せず頑張ります。。


そして今日は、旭医聖研でしたー!!
聖研の前には、卒業アルバム用の写真を撮り。。
一番前の真ん中の方に座ってピースをしつつ、「いよいよ卒業が近づいてるんだ…」と改めて思いました。。
いよいよ後一年です!!


そして始まった聖研は、今日もとーっても楽しかった♪
気心知れた仲間たちと、聖書を読み、時に教えられ、時に励まされ、もー僕は聖研の大ファンですw
それだけじゃなくて、新しいメンバーと聖書を通して語り合うことができるのも醍醐味の一つ!
今日も、旭大に入学した子と、アメリカから旭川市内の教会にやってきた20歳の男の子が参加してくれました!

片言の英語で、クリスチャンとしての喜びをシェアできたのも幸せだった~w


僕は、いくつになっても、こうやって聖研がしたいです。
なんか、「聖研」っていうと研究ってつくから難しい感じがするけど、純粋に、大切な人達と聖書を読みたいんです。
かけがえのない友達と、そして未来の奥さんと、可愛いキッズと。
おじさんになっても、おじいちゃんになっても、一緒になって「聖書はやっぱすげー」って言いたいなー!!


そんな素敵な聖研。
今日は、ルカの福音書8章22~25節から、「弟子たちの驚き」というタイトルで学びました。

12人の弟子たちは、イエスさまに従って湖を横切る船に乗り込みました。
すると、思いも寄らぬ嵐がやってきます。
突風は彼らの船を押し流し、荒波が幾度となく襲います。
弟子たちの中には、漁師をやっていた人もいたのですが、彼らの手にかかってもこれはどうにもなりません。

そんな状況に置かれ、弟子たちの心はどんどん恐れに満たされていきました。
「どうしよう!!」
「どうにもならない!」
「もうだめだ・・・」

一方、イエスさまはといえば、船の傍らで静かに横になっています。
きっと弟子たちは、「なんて呑気なんだーー」とか思ったこととおもいます。笑

そして恐れが彼らの心をいっぱいにしたその時、彼らはイエスさまを揺り起こして助けを求めるのです。
するとイエスさまは起き上がり、嵐を一瞬にして静めてしまうのです。

言葉を失う弟子たち・・・

普段一緒にご飯を食べ、一緒に眠り、生活していたイエスさま。
しかし、弟子たちはこの瞬間、イエスさまというお方が、ただの人なのではなく、圧倒的な主権を持っておられる神なのだと知ったのだと思います。
そして彼らは、自分達が真に恐れるべき(敬い、大切にすべき)対象は、いつも隣にいて下さるイエスさまに他ならないのだと気付かされるのです。


この箇所を読みながら、自分自身とリンクしました。
イエス様に従う中で起こる、予想もしなかった困難や試練。
それらの中で、限界にまで追い込まれ、自分中心の恐れがどんどん心を埋め尽くしていきます。

しかし、そんな時こそ、このみことばを、今日の聖研を思い出します!

僕が、「本当に」恐れるべきもの、それは神に他ならないのだということです。
自然含め、全ての全てを統べ治めておられる神を、真心から恐れ、信頼していきたいです!

そして、信じたその先には、僕が絶対に不可能だと思っていた状況、関係をいとも簡単に打破する「奇跡」があります。
神にあって、不可能は何一つないからです。


僕は日々、自分が何を恐れ、何を信じているか、点検し続けていきたいと思います。


イエスは彼らに、
「あなたがたの信仰はどこにあるのです」
と言われた。
       ルカ8:25

男2

こんばんは!


今夜もこうしてブログを更新できること、神さまに感謝します。

春休みが始まって三日目。
一気に緊張から解かれたせいか、ちょっと体調を崩し気味です(>_<)
来週の月曜からは約二週間の長旅。
神さま、どうか身も心も整えて下さい!!


今日は、お昼をクリスチャンの友達のささぐと食べに行きました。
ささぐと出会ったのは、大学一年の春。

当時、旭川医大の聖研の顧問だったN先生のお部屋を訪れ、
「聖研に入りたんですが・・・」
と相談すると、

「ぜひとも!もう一人君の学年にクリスチャンの子がいるんだよ!」
と教えてくれました。

名簿を見てみると、
「ささぐ」
という、99%クリスチャンでしょ!っていう人を発見。笑

まだ、一度も話したことがなかったのに、食堂で見つけたささぐに、
「ささぐくん、だよね?クリスチャンなんだよね?俺もクリスチャンなんだ!」

と、かなり唐突に言ったらしいです。(実は僕はあまり覚えてません。笑)
ちなみに、その時相当ささぐは驚いたとかw

そんなささぐと過ごしてきた五年間。
お互いに本当に色んな事がありました。

いつもの旭医聖研はもちろん、いくつもの聖研合宿、NC2010、そして大学四年の時は北海道KGKの実行委員も一緒にやりました。

いっぱい、いっぱい思い出を作りました。
そして振り返れば、ささぐはいっつも僕の話を聞いてくれてました。笑
僕のモヤモヤの中のマシンガントークを、「なるほどねぇ。」と横で聞いてくれたささぐがすぐに思い浮かぶくらい。笑


ささぐがいたから、僕はここまでクリスチャンとして歩んでこれたって本当に思います。
神さまが僕にくれた、最高の贈り物です。



正直、この日本で、この世界の中で、クリスチャンとして生きて行くってことは簡単なことではありません。
周りの友達が「普通」だっているのとは、全く全く違う世界観、価値観、生き方だから。

だから時に、つっこまれることだってあるし、嫌な事を言われることもある。
そしてその時に傷ついたり、軸がぶれそうになる時もある。

でも、そんなときにこそ、信仰の友(信友)の存在は本当に大きいです。
「あいつが祈ってくれてる。」って思う時、本当に本当に励まされるんです。

 ふたりはひとりよりもまさっている。
 ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。
 どちらかが倒れるとき、
 ひとりがその仲間を起こす。
  伝道者の書4:9,10


まさに、このみことばの通り、僕は何度も倒れ、そしてその度に信友たちが、手を取って、立たせてくれました。
その、イエスさまにある絆が、僕らにとってかけがえのない財産となりました。



先日、「男」っていうタイトルでブログを書かせていただきました。
本当に今、「男」の生き方、価値観、リーダーシップが問われている時代なのだと思います。

そしてその中で、クリスチャンの男たちが、イエスさまを本気で信じ、従っていくことが求められているのだと思います。
さらに、その鍵こそが、僕が体験させていただいている「イエスさまにある絆」なのだと思うのです。
イエスさまにあって、ありのままの自分で、本当に悩んでることを打ち明け、励まし、支え、祈り合う。

そんな絆が、一本一本つながっていき、日本中に網のように張り巡らされ、全国で祈り合い、支え合う時、必ず日本は変わって行くのだと思います。


そのためにも、僕は日々の出会いを、イエスさまにあって本当に大切にしたいです。
どんな一瞬の出会いでも、不思議な導きでも、それをイエスさまにあって守りぬく中で、いつかその関係が用いられる時が来ると、信じています!



このブログを通して、ただ神さまの御心がなされますように。

聖研合宿2012

こんばんは♪

昨日から、実家の北見に帰ってきました。
いやぁ、最高。
何が最高かって、毎食母さんのおいしいご飯が食べれること(T-T)
旭川では、時間に余裕があるときこそカレーとか野菜炒めとか作ってみるんですけど、余裕ないときはカップやきそばとか、インスタントラーメンとか、お金に余裕があったらほっと○っととか。笑
実家を離れてみて、「ご飯がある」ってことのありがたさが身に染みました。

なんかこれだけだと、ご飯にしか興味ない人みたいだけど(笑)、もちろんそれだけじゃなくて、父さんとゆっくり話せて理由はないけど幸せになったり、ばあちゃんの元気な顔見れて嬉しかったり、母さん&姉ちゃん&妹のガールズトークに混ざってみたり、弟の成長を見れて嬉しかったり、末っ子とじゃれあって昔思い出したり。笑
他にも、色んな幸せなことがいーっぱい。
明日は、幼馴染たちとも再会する予定で、本当に幸せ。

こうやって普通のことを普通にできること、それがただただ嬉しい。
そして、これらすべては、ただただ神さまの恵みとあわれみ。
だからこそ、この北見ライフを通しても、神さまの栄光がほめたたえられるために歩みたい♪そう思います。


話はちょっと戻って・・・
実は昨日実家に帰ってくるまでの二日間、札幌の北栄キリスト教会で行われた、北海道KGK主催「聖研合宿」に参加してきました♪
この合宿は、全国のKGKの中でも北海道だけの企画。
なんとなんと、聖研テキストを学生たち自ら作っちゃうという合宿なんです!

実は、僕が初めて参加した北海道KGKのイベントが3年前のこの合宿でした。
あの時、緊張しながらも、一生懸命に知恵を振り絞ってテキストを完成させたこと、あの喜びを今でもはっきり覚えてますw

だから今回も、
「よっしゃ、やったるぜ!!五年生の意地を見せてやる!!」
って感じで参加したんです。


が!!!!!


終わってみると、なんとも情けない先輩でした。。
集中力も続かないわ、そのくせ疲れて一番最初に寝ちゃうわ、しまいには最後の聖研でウトウトするわ。
特に最後の聖研は、旭医の後輩が初めて司会をしてくれたのに。。

帰り、一人北見行きの汽車に乗って、雪景色見ながら一言。
「あぁ…。。情けない。。」
心の底から漏れ出ました(^^;

そんな気持ちの中でしたが、5時間汽車に揺られつつ、聖研合宿で読んだ聖書箇所のⅡテモテを静かに思い巡らしました。

Ⅱテモテは、パウロが愛する弟子テモテに送った手紙の一つです。

この時、パウロは皇帝ネロに迫害され、投獄されていました。
一方テモテは、パウロに託されたエペソという町の教会で、牧師として働いていました。

けれども、そんなテモテのところにも、迫害の手は広がってきました。

テモテは、自分の命、そして教会の兄弟姉妹の命を思い、悩み葛藤していました。
「どうしたらいいんだろう・・・。イエス・キリストを救い主と告白したら投獄され、殺される。けれども、イエスさまを否定することはできない。」
そんな不安な気持ちの中、父のように慕うパウロから手紙が届くのです。

その手紙の中で、パウロは、熱く、強く、そして何より愛をもってテモテに語ります。

「私と苦しみをともにしてください。」
Ⅱテモテ1:8

どんな気持ちでパウロは言ったのだろう。
愛するテモテ、仲間たちに対して、自分と同じような道をたどることを求めたパウロの気持ちを想えば想うほどに、僕の心は震えました。

パウロは続けて言っています。
「私は、この福音のために、宣教者、使徒、また教師として任命されたのです。そのために、私はこのような苦しみに会っています。しかし、私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日(終わりの日)のために守ってくださることができると確信しているからです。」
Ⅱテモテ1:12

パウロの気持ちを支えたもの、支えてきたものは、「確信」でした。
今まで守り導いてくださってきた神さまが、救ってくださったイエスさまが、私たちと永遠にともにいてくださる。その方は、私たちのことをすべて知っておられ、これからも永遠に守ってくださる、そう確信していたからこそ、パウロは、愛するテモテ、仲間たちに「苦しみをともにしてください。」という言葉を言えたのだと知りました。


一方で、「情けない自分・・・」と嘆いていた僕。
この僕がこれまで頼ってきたもの、支えられてきたものは、確信ではなく「自信」でした。

自分はできるという自信。
「今回の合宿では俺の実力を見せてやったぜ!」という自信。
そんな陳腐で些細な自信を今まで頼りに生きてきました。

だけど、神さまは、今回の合宿を通して、パウロの姿を通してはっきりと僕に語ってくださいました。
「お前が握っている『自信』のなんと小さいことか。私の目から見れば、あなたの自信の根拠などないに等しい。そうではなく、私(神さま、イエスさま)にある『確信』により頼め。」


年末のひと時に、本当に大切なことをまた一つ、教えてくださった神さまに感謝します。


ちなみに!!忘れる前に書きたいのは、それとは別に、懐かしい仲間や新しい後輩に出会えたこと♪半年に一回くらいしか会えないのに、本当1時間でみんな家族。笑
イエスさまのつながりってすごい。
残された2年間の学生生活の中で、こんな素敵な仲間たちともっともっと話して、新しい後輩ともっともっとふれあって、KGKライフをイエスさまにあって歩んでいきたいと思います。


2012年も残すところ二日!
31日には、2012年を振り返るブログを書きたいなって思ってます。
神さま、この計画も神さまが守り導いてください。

それでは♪

満ちる

後輩

こんばんは!

最近はこうやっていっぱいブログ更新出来て、本当に感謝(^_^)/
ちょっとだけ時間があるってのもあるけど(ならもっと勉強せんと…(T-T))
それより大きいのは、自分の心のコップから神さまの恵みがこぼれまくっとるって感じですね。笑

というのも、昨日までの三日間は旭医聖研のみんなといっぱい過ごせて、神さまの祝福をみんなでいっぱいいただいたから。
最初の二日間の北見訪問は、前の記事でちょっと書きました!
そして、昨日の名寄訪問については、下の「旭医聖研のなんでもブログ」に書きましたー
写真盛りだくさんだから楽しさも伝わる…はずw

http://kyokuiseiken.blog.fc2.com/

ぜひぜひ遊びに来てくださいね♪
ちなみに、↑のブログは、僕だけじゃなくて旭医聖研の色んなメンバーが色んな視点で書いてるから、とーっても面白いですよ!


この三日間を通して、信友で同期のSとも久しぶりにゆっくり話す時間持てて感謝でした。

そんな中で二人で言ってたのは、
「俺たち五年になったんだね…」ってことでした。

ワイワイ楽しそうにしてる後輩たちを見て、ほほえましく思うと同時に、もう自分の上に先輩はいなくて(旭医聖研では!)、僕らがこの子たちにとっての先輩なんだって思うと、なんだか心もとないような、それでいてちょっと嬉しいような変な感じがしました。


名寄からの帰り道、車の中で同乗していた後輩といっぱい語りました。
後輩のまっすぐさに襟元がただされたり。
後輩の葛藤に共感したり。

なんだか先輩の自分の方が励まされました。


よく分からないんですけど、僕は「後輩」って存在がとっても大切なんです。
中学校のサッカー部の後輩も。
高校の生徒会の後輩も。
大学の陸上部の後輩も。
そしてもちろん、教会、聖研、KGKなどのクリスチャンの後輩も。

しばらく会えてないやつもいるけど、みんなとっても大切なやつらです。
弟とか、妹とか、それとはちょっと違うんだけど、なんかまぁ、大切なんですよ(なんじゃそりゃ笑)


だからこそ、余計なおせっかいしちゃったこともあるし、変にしゃべりすぎちゃったこともあります。
それは本当に反省m(._.)m


一方で、それほど大切な後輩だからこそ、裏切りたくないって思います。
「満ちるさん、言ってたことと違うっしょ。」
「満ちるさんもやっぱりそうなんだ…。」
とか、先輩に裏切られることほど、ショックなことってないと思います。
実際、言った通り生きる力なんて僕にはひとかけらもないけど、その力があるイエスさまにより頼んで、一日一日大切に生きたいって思います。


だけどもだけど、格好つけたくないとも思います。
変に格好つけないで、ちゃんと等身大の自分でありたいって思います。
できないことは、ちゃんとできないって認めたいし、自分自身も限界があるってこと、ちゃんと伝えなきゃって思います。
そうやって、自分の弱さを正直に認めることは、大切な人達に対してこそすべきだと思うんです。


昨日の名寄聖研で読んだⅠテモテ1章でも、パウロが心から信頼してたテモテに対して、こう言ってるんです。


私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。
それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。
私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。
私はその罪人のかしらです。
Ⅰテモテ1:13-15



僕も、本当にパウロと同じ気持ちです。
本当のとこ、僕は後輩に何一つとして「こーした方がいいよ」って言える資格なんてない者です。
実際自分がしてきたことは、本当に神さまを悲しませること、人を悲しませることだったから。
僕は本当に罪人です。


でも、パウロはその告白の後、こう続けます。

しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしよと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったのです。
Ⅰテモテ1:16



本当にそう思ういます
「こんな俺が、こんな罪だらけな俺が救われたんだから、君も絶対救われる!」って心から思うんです。
後輩のみんなに、本当に、イエスさまの素晴らしさに触れてほしいって思うんです。
イエスさまの愛がどれほど大きくて、深くて、優しくて、強いかを、心から知ってほしい!体験してほしい!って思うんですよね。
この思いが、後輩たちとの関わりの原点だと思います。



ふぅ・・・・・・・



また明日からまた、イエスさまにあって頑張りまーす♪
皆さんの新しい一週間も、イエスさまにあって注がれる愛と喜びにあって、素晴らしいものとなりますように。


満ちる

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