Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

ナイスガイ

本日更新二回目!

神さま、感謝します♪
このブログを通して、ただただ神さまの栄光が表されますように(^_^)/!!


学生にとっては貴重な、夏と春の休み。
僕は年に二度のこの休みごとに、とっても楽しみにしてることがあるんです。

それは、信仰の兄弟との再会です。

いつもは、それぞれ違った場所で、違った人たちと生きてる。
だけど、イエス・キリストという、最高の主、リーダーにあって結び合わされてる男仲間。

そんな仲間達の、成長や葛藤の話を聞くとき、本当に励まされます。


そんな期待を抱いて臨んでた今回の春期学校だったんですが、旅立つ前にあるみことばが示されていたんです。

「のんきな女たちよ。
立ち上がって、わたしの声を聞け。
うぬぼれている娘たちよ。
わたしの言うことに耳を傾けよ。」

イザヤ32:9


なんで、こんなみことばが心からはなれないんだろーって思ってたんですけど、ぶっちゃけた話、僕自身の心が「うぬぼれ野郎」だったんですよね。。

なんていうか、メッセージを聞いてても、クリスチャンの人たちと話してても、いつも心の片隅に「うぬぼれ野郎」の自分がいたんです。

「はいはい、それについては知ってます。分かってます。」
って心とか。

「あなたはまだ○○について悩んでるんですね。そこについては僕はすでに体験しましたょ。」
って思いとか。

もう書けば書くほど、そんな自分が嫌だし、情けないし、恥ずかしい。
だけど、このみことばに出会うまで、無意識的にそんな心抱いて、そして野放しにしてた自分がいたんです。


だけど、今回の春期+その前後の熱いクリスチャンの男達との出会いの中で、はっきりとそんなださい自分が対比されてきたんです。

僕の次に、北海道KGKの実行委員長をやってくれたR。
そいつの一年間の証を読みながら、僕は本当に感動しました。

自分の無力さに打ちひしがれながらも、ひたむきに神さまにすがり求めたその軌跡に、僕は自分自身にかけていた何かを痛感しました。

また、春期の講師としてきてくださった石井先生。
先生との会話の中で、いかに自分が薄っぺらくて、無知な人間かを知りました。
今までどれだけ安易に「言葉化」し、そしてちんけな「言葉」で自分自身を飾ってきたか。
一方で、先生の一つひとつの言葉を通してあふれ出る、体験としての信仰。キリスト者としての歩み。


そして、春期を終えて、クリスチャンの男仲間6人で、札幌駅JRタワーの女子しかいなそうなカフェに入り。
その日帰るために乗ろうとしていた旭川行きの終バスをあきらめるほどに、僕らは熱く信仰について語りました。
恋愛、結婚、進路。
僕らが避けては通れないテーマを、5人それぞれ、真剣に、誠実に問い、生きていました。
そんな姿を見ながら、熱く語るその視線を感じながら、僕は自分の浅はかさを痛感していました。

心から湧き上がる、「満ちる、お前は何をうぬぼれてたんだ。お前、なんも分かってないよ。マジで。」という問いかけに、「はい。その通りです、はい。」としか返答できませんでした。


留めは、終バスを乗り過ごしたために泊めてもらった、親友のKのお兄ちゃんのYくんの家にて。
Kがシャワーを浴びてる間、Yくんと話しました。
話した言葉もそうだけど、なんていうか、言葉にはすることができないけれど、Yくんの「大人」な姿に僕は純粋に「かっこいいなー」と思ってました。笑
次の日も、人様んちで9時半まで寝続けた僕とKに対し、置手紙と、わかめすーぷの元と、炊き立てのご飯と、鮭フレークを置いて、Yくんは仕事に行っていました。


帰りの札幌⇒旭川のバスに乗りながら、
「俺はなんてちっちぇんだ。そして、なんて情けないうぬぼれ野郎だったんだ。」
と思いました。

そして、こんな情けない男の僕だけど、それでも見捨てないでいてくださるイエスさまにより頼みつつ、本当の意味での「ナイスガイ」へと変えていただきたい!と思いました。


一方で、なんだか喜びがあふれてきました。
「いやーーーー、こんな身近にも、たっくさんのクリスチャンナイスガイがいるんだ!!!なんだか頼もしい!!そんな皆が、イエス様にある最高の結婚をし、最高の家族をつくり、教会に集い。そんな皆が、イエス様にあってつながり続けていくとき、本当に本当に日本は変わっていくんだな!!」
って希望があふれてきたんです。


ってことで、本日二回目は、「ナイスガイ」でした!

そして、明日か明後日は、実家の北見に帰ろうとおもってます。
走り続け、学び続けた半月にはちょっとピリオドを打ち、実家でのんびりリラックスしてこようと思いまーす!!

それでは、またブログでお会いしましょう♪

満ちる

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NCと春期

こんばんはー(^_^)/!

今日の礼拝も最高でした♪
敬愛する藤木先生のメッセージ、心に響きました!
こんな若造を愛し、話を聞いてくださる信仰の先輩達、励まされました!
そして、礼拝堂をやたらと走り続け、僕の膝の上でジャンプするちびっこたち、パワーをもらい(吸い取られ?)ました!

そーんな素敵な日曜日。
の後に、妹とスーパーに立ち寄り、昨日も食べたたい焼きを購入!

たい焼きやお焼きを買ったとき、僕が必ずするのは、匂いをかぐこと。←変人
なんともいえない、そして自分で作ったホットケーキではかぐことのできないあの匂い。
あの匂いを思う存分堪能してから、僕はたい焼きを食べます。頭から。


はい!どうでもいい!笑


さてさて、今日は頑張って、2回更新しようと思ってます。
一つ目は、3月4日~8日の4泊5日で行われたNC(KGKの全国集会)と先週3月14~15日に行われた北海道KGK春期学校について。
二つ目は、お楽しみ・・・w


NC・・・
改めて振り返るとですね、一言で言うなら、「すごかった」ですね。

なんとも、中身のない感想ですが、改めて「すごかった」です。

三年前と全く同じ会場で行われたNC。
あの時も、500人近く収容できる講堂が全国の若きクリスチャンによって少しずつ埋まっていく様子は感動的でしたが、それは今回も同じ。

「これがみんなクリスチャンか!そして同世代、日本の未来を背負っていくクリスチャン!!」

そんなことを思うと、胸の高鳴りが止まりませんでした。
そして、そんな皆と声を合わせて歌う賛美。
不思議と、涙が出てきました。
その涙は、心からの神さまへの恐れと、感謝によるものでした。


なんか、書きながら、簡単に「言葉」にしていいのかなって思うくらい、僕はその5日間で多くの恵みをいただきました。

こんなに小さな、そして無力な僕だけど、注いでくださった神さまに心から感謝しつつ、今日は証させていただきます!


NCを通して終始問われたこと、それは「いのち」でした。

NCが始まる前に僕がノートに書いた文章です。


NCに僕は何を期待しているのか?それは、いのちだ。見せかけの律法ではなく、イエス・キリストの十字架を通して湧き上がるいのちを心から求めつつ、感じつつ、神が私に持っておられる「ことば」を受け取りたい。


神さまはこの僕の願いを聞いてくださり、五日間を通して常に、
「あなたは、あなた自身の『いのち』についてどうとらえているのか?」
という問いかけ、チャレンジを与えてくださったのです。


3日間の聖書講解は、日本同盟キリスト教団徳丸町キリスト教会牧師の、朝岡勝先生によって取り次がれました。
今回の聖書箇所はマラキ書でした。

NCに参加する前に、何度も、何度も読みました。
神さまに愛されていながら、自分勝手に生き、神さまに応答しないで歩む人たち。

きっと気付かぬ内に、そういう「事実」として読んでいたみことばが、メッセージを通して、それがほかならぬ「自分自身」だということに気付かされたのです。

メッセージは終始、
「あなたにとって礼拝はどのようなものですか?」
と僕の心に問いかけました。


僕は今まで、どれだけ自分勝手に生き、そして神さまに対しても自分勝手なイメージを押し付けていたのだろうと思わされたのです。

本当に気付かぬうちに、僕は僕の頭の中に小さな小さなイメージという「箱」に神さまを入れてしまっていたのです。
そしてその箱に押し付けた神さまを、恐れず、自分の都合の良いように「礼拝」していたことに気付かされたのです。

しかし、神は神です。
神は、絶対的主権を持っておられるお方です。
全ての中心であり、全ての始まりであり、全ての終わりです。

僕はあくまで、その神によって選ばれ、召され、そしてイエスさまによって救われて今ここにいるのです。

その事実を改めて知るとき、僕は愕然とし、そして自分自身に対して絶望しました。

しかし、マラキ書の一番最初にある言葉に僕は捉えられ、助けられました。

「わたしはあなたがたを愛している。」
マラキ書1章2節

そして、朝岡先生はこうおっしゃっていました。
神さまは、この「ことば」を「ことば」のままにすることをなさらず、「イエス・キリスト」という形を通して実現してくださったと。

聖書に書いてある通りです。
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。・・・ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」
ヨハネ1:1,2,14


神さまは僕ら人間をお創りになってから、ずっと、ずっと愛してくださいました。
そしてそんな僕らが神さまに背を向け、罪を犯し、自分自身を傷つけていく様子をごらんになられて、本当に本当に悲しまれました。
そして、私たち一人一人を「愛している。」と告白してくださり、その告白、「ことば」が「イエス・キリスト」という神の子であり、人の子であるお方であったというのです。

そして、そのイエス・キリストをお見捨てになるという究極の悲しみを耐え忍ぶほどに、僕ら一人一人が神さまのみもとに帰ることを願われたというのです。


その事実に触れたとき、僕は、本当に神さまに愛されているのだという言葉にならないほどに幸せに満ち溢れました。



一方で、NCでは聖書講解とは別に三回の特別講演がありました。
「教会と国家」、「家族」、「宣教」とい三つのテーマです。

とりわけ、最初の「教会と国家」というテーマは、僕の心に強く響きました。

KGK総主事の山崎さんから語られたメッセージは、以前聞いたことがあったものでしたが、日本が政治的に人権的に大きく動こうとしている今だからこそ、メッセージはさらに強さを増し、僕の心に迫ってきました。


そして、聖書講解とこれら全てのメッセージ、そして静思の時を通して、改めて神さまは僕に問うてくださいました。

「あなたは、全てを捨てて、すなわちあなたのいのちを捨てても、私についてくる覚悟はあるか?」ということでした。

正直、僕は圧倒的な神さまの臨在の中で、言葉を失いました。
安易に、軽はずみに、「はい、当然です!」など言う事はできなかったからです。


そして、その言葉を静かに、静かに思い巡らす日々が続きました。
実は、それは旭川に戻ってからも、そして春期学校に参加してからも、答えを出せずにいたのです。


そして先週、札幌の北栄キリスト教会で、「遣道使(2012年度北海道KGKのテーマ)」というタイトルで春期学校が行われました。

正直、僕は「答えを出せないという体勢」から、気付かぬうちに「逃げる体勢」に変わっていたようで、向き合うことを避けていました。


しかし、春期学校のメッセージは、僕に対していよいよ答えを求めるものでした。
メッセンジャーの、美幌キリスト教会の石井先生は、僕が小さい頃から良くしてくださった先生でした。

その先生を通して、一日目の夜に開かれた聖書箇所がありました。

「私は、『だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう』と言っておられる主の声を聞いた・・・。」
イザヤ6:8

徐々にこのみことばが心に響いてきました。
そして、夜ほぼ無心になって横になっていた僕に、北海道KGKの主事で、いつも節目節目にいいアドバイスをしてくれる大嶋さんと話す機会がありました。

僕はいつもみたいにぺちゃくちゃ話すことはせず、静かに思いを打ち明けました。
その中で、実際何を話したか、そして何を言って下さったかははっきりとは覚えてないんです。←大嶋さん、ごめんなさい。笑
だけど、静かに、そして確かに、僕の中で小さな小さな「決意」をしました。


そして、次の日の朝、僕はもう一度イザヤ6章8節を開き、そのみことばを書き留めました。


私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」
イザヤ6:8


ノートに、
「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」
と綴る手は、不思議にも平安が満ちており、そして喜びが溢れました。


そして、石井先生を通して語られたもう一つのみことばが、僕の心を強く励ましてくださいました。

わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、
地のはるかな所からあなたを呼び出して言った。
「あなたは、わたしのしもべ。
わたしはあなたを選んで、捨てなかった。」
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。

イザヤ41:10




NCから春期にかけて、全て必要なものを整えてくださった神さまの素晴らしさに、僕は今ただただ感動しています。
神さまは本当に生きておられ、そして圧倒的な主権をもって、私たちと共にいてくださり、イエスさまにあって「父」と呼ぶ事を赦してくださっています。


この春休みの大イベント、NCと春期学校は終わりました。
そして4月からはいよいよ学生生活最後の一年が始まります。

今回のことを通して導かれた、小さな小さな決意は、きっと、僕の人生にとって大きな大きな選択だったのだと、未来の僕は知ることと思います。


3月17日一つ目の更新は、これにて終了!
長い文章、最後まで読んでくださって、感謝します(^^)!!

信仰

こんばんは!

今日も、ブログを更新出来て、心から神さまに感謝します!

実は、昨日今日と一泊二日で、北見に行ってきました!
この弾丸ツアーの目的は、帰省じゃなくて、北見のKGKメンバーと聖研をすること。

この「北見合宿」の二日間を通して、そしてその準備を通して、神さまが僕に問うてくださったのは、

「信仰とは何か?」

っていう大切なことでした。


そもそも、毎年のように開催していた北見合宿(旧道東合宿)でしたが、今年はちょっと厳しいかなって思ってました。

っていうのも、去年みたいに実行委員じゃなくて、主催する立場でもないし…。
それに、ちょっと忙しいし…。笑

まぁ、ぶっちゃけ、諦めてました。


だけど、そんな時でした。
この合宿で友達になった人から、
「久しぶり!今年も北見で聖研をするのかな?」ってメールがきて。

そしてほとんど同じ時期に、この合宿に熱いを持ってるOGと話す機会があって、
「いやぁ。今年は厳しいと思うんですよね・・・人も集まらないと思うし。」って適当に言ったら。笑

「いや、それ違うっしょ。私の時なんて、三人しか集まらなかったけどそれで十分だったよ。人の数とかじゃなくて、やることに意味あると思うよ。やるしかないっしょ。」と背中を押され。


「こりゃ、神さまやれって言ってるな・・・」と感じ、おもーい腰をあげました。笑


そして、しおりとか、聖研の箇所とか準備させていただいたんですが、昨年一年間やらせてもらった実行委員会の時と明らかに何かが違うんです。自分の中で。

なんていうか、不思議なくらいに手ごたえないんです。笑
なーんていうんでしょ、「これで大丈夫だ!」とか、「これなら自信もって人に見せれる!」とかそんな思いが一切なかったんです。

ただただ不安で、「これでいーのかな」って思いながらも、やらせてもらって。


そしてその不安の中で、今まで以上に祈りました。
教会の方とか、クリスチャンの友達にも、祈ってくださいって頼みました。

自分でも、不思議でした。


そんな中で、いよいよ北見合宿の日取りが近づいてきたわけですが、今回は大きな大きな壁がありました。

というのも、昨日(木曜)の夜旭川を出発する予定で、どっちにしろ20時からの最初のプログラムには間に合わなかったんですけど、その出発の時間に問題があったんです。

今週実習してた科が、実は木曜に学生の症例発表の時間があって、本当なら19時過ぎとかに終わるはずだったんですよね?

だから、19時に実習終わって、車乗って、後輩拾って、妹拾ってっていったら20時出発じゃないですか?!
旭川から北見のつるっつるの道を、20時に出発して、絶対北見着くの24時過ぎるじゃないですか?!
日またいでるじゃないですか?!
もう北見の子たち寝てるじゃないですか?!笑


っていうことで、本当に本当に困って、困りに困り果てて、祈ってたんです。

「神さま―!なんとかしてください。このままじゃ、せっかく北見に行くのに、北見のメンバーと全然話す時間ありません。なんとか道を開いてください。神さまは道なきところに道をつくることができる方だって信じます!!」
ってずっと祈りました。

本当に困ったから、必死になって祈りました。


そしたら水曜、発表の前日に先生に言われました。

「佐々木君、明日大事なカンファレンスがあって、発表の時間なんだけど二つの可能性があるんだ。一つは、17時からって案なんだけど、先生方の検査とか色んな関係で結構厳しいと思うんだ。二つは、カンファレンス終わってだから、19時からって案。まぁ、どっちか分からないけど覚悟しといて。」


ぬぉぉおぉぉぉおおおぉぉおぉぉーーーーーーーーーーー(T-T)
これは、間違いなく「信仰」とやらが試されてる!
19時から発表したら、北見着くのは夜中いち・・・
いや、考えない!祈ろう!絶対17時の道が開かれる!
って思いました。笑


そして、当日の朝、必死になって祈りました。
実習中、検査を見学しながら、病棟に行く階段をのぼりながら、ひたすら祈りました。

「神さま、17時から発表させてください!お願いします!でも、御心がなりますように!どちらにしても、それが最善だと信じて受け入れます。」


そして、16時10分。
控室で心臓バクバクの中、運命のピッチがなりました。

みちる「はい!学生佐々木です!」

先生「あっ、佐々木くん、発表ね…」

みちる「…はい…」

先生「17時になったからね、頑張ってね!」


きたぁぁぁーーーーーー!!!!!
神さますごーーーーい!!!って思いました。
本当に、本当に、道がつくられた。神さま、やっぱり生きて働かれてる!
って感じて、鳥肌立ちました。笑


そしてそのあと信友のS拾って、後輩二人拾って、妹拾って、出発できたのが18時。
なんとなんと、北見はとっても路面が良くて、結果22時につき!聖研後の「温泉」プログラムにも参加できました!!

本当に、本当にびっくりしました。



そして夜の交わりの時も、二日目の聖研も、昼の焼き肉も、全部が全部祝福されました。
はっきり言います。
僕は本当に何もしてない!ただ、神さまが生きて働かれたってことなんです。


帰りの車、信友のSと話しながら思いました。

「信仰ってなんだろう…」


聖書には、こう書いてます。

「信仰は望んでいる事がらを保証し、
 目に見えないものを確信させるものです。」

             ヘブル11:1


正直、僕が今まで「信仰」だと思ってたもの、信仰じゃなかったんだって気付かされました。
だって僕が今まで信じてたもの、目に見えてたもん。

確かに身体についてる目では見えなかった。
けど、心ではなんか見えてて、それを信じてたんだと思います。

たとえば「手ごたえ」。
手ごたえって、心の目では見えてる。

「これなら自信ある!これならきっとあの人にも伝わる」とか。
その状態で「信じます!」なんて言ったってそれは信仰じゃない。

だって仮に思った通りになったとしても、自分自身のこと誇ってると思うし。


だけど、信仰って本当に本当に違う。
そんなんじゃない。

自信なんてない。
手ごたえなんてない。

だけど、神さまを信じること!
「天の神さまが、僕らに最善を用意してくださってないわけがない!」って信じること。

たとえ、その困難が「本当にこの困難に意味があるの?全然分からないよ。」ってときでも。
それでも、
「今は分からなくても、この困難に必ず意味がある!」って信じること。



信仰って、本当に目に見えないものを信じることなんだって、やっとこさ分かりました。


ふぅ・・・




そしてこの聖書の通り、目に見えなくても信じる時、その信仰によって「確信」が与えられます。
その確信は、平安となり、力となり、そして希望となります。


なーんだか、このブログで書いてる言葉にも自信が全くありません。
正直、自分で書いてても、なーにゆってんだ、ってとこいっぱいあります。笑

だけど、信じます。
このブログを、この言葉を神さまが御霊にあって用いて下さると!



さて、今日はもう寝ます。

なぜなら明日は、名寄に行くから♪笑
なんと明日も、旭川医大聖研で名寄のKGKメンバーを励ましにいっちゃいます!
楽しいひととき、そして励まし合えるひととき、そんなひとときが与えられるって、信じます!


満ちる

バンソウコウ

こんばんは♪


今日もこうやってブログを更新出来て、本当に感謝!
神さま、ありがとうございます。

当たり前に過ごしてる毎日だけど、振り返ってみた時、
「あっ、あれって神さまが僕のためにしてくださってたことだったんだ…」
って気付かされること、いっぱいある。

神さまって、本当にいつも僕らのこと考えてくれていて、素晴らしいものを送ってくださってる。


最近、やっと心がやわらかくなってきて、素直になって、神さまのその素晴らしいものをいっぱい感じれるようになった。
そしたら、些細なことでもすごい大きな幸せを感じれるようになった!

逆に言えば、ここ数カ月の間、僕の心はがっちがちだった。
そのことに、自分自身では気付かなかったけど。


やっとこ気付けたのも、全部神さまのおかげで、先週あった旭医聖研の後、心から尊敬してるKGKのO主事と話せたから。

O主事と話せて、ほんっとに良かった。

O主事は言ってくれた。
「満ちるは、心にバンソウコウ貼ってたんじゃない?辛かったこと、苦しかったことあって、そのことでできた心の深い傷口から血がでないように、がっちがちにバンソウコウ貼ってたんだと思うよ。」


それだぁーーーー!!!!って話聞いてて、すぐ思った。

気づいてなかったというよりは、気付かないようにしてたんだ。
この苦しみを苦しみとしてそのまま受け取るには、自分の心はあまりにボロボロだった。
それをまっすぐ受けとったら、心の傷口から血が大量に出て、生きてくことなんてできないって分かってたから。

そして、僕は無意識の内に、何かその傷口を押さえるバンソウコウを探し、見つけてたんだと思う。
それは、うまくいえないけど「成長してる手ごたえ」みたいなもんだった。

なんとか、今自分が体験してることを、言葉にしようとした。
言葉にして、「この苦しみには意味があるんだ!」って思いたかった。
そして、昨日より成長してる自分、強くなってる自分を感じたかった。
その「成長してる手ごたえ」っていうのが、僕にとってのバンソウコウだった。

だけど、O主事も言ってくれたけど、そうやって苦しみを言葉にして自分の糧にしようとしてみても、そんなんじゃ苦しみは収まりきらなくて、バンソウコウの隙間から血はドバドバでてきてて、本当につらい時もあった。

それでも、血が出たら、さらに強くて大きなバンソウコウを貼ってって…それを繰り返してたんだと思う。


だから、気付かないうちに、僕の心はなんだか昔みたいに硬くなってた。
昔みたいに頭でっかちになっちゃってた…


そのことに気付かされた今、そのバンソウコウを否定したいわけじゃない。
けど、もう神さまは、バンソウコウをはずしなさいって言ってくださってるんだって感じる。


傷って、バンソウコウをがっちがちに貼るより、ちゃんと水で洗って、ちゃんときれいな空気に触れさせて、そうやった方が早く良くなるように、心もきっとそうなんだ。
なんかでがっちがちに押さえるより、神さまの前に、その傷を負ったまま、苦しいまま進み出て、
「苦しいです!助けてください!」
って素直に言ったとき、神さまは必ず治してくださるし、そして治されたその傷は、神さまへの感謝と喜びに変わるんだと思う。


あぁーーーー!!
正直、まだまだ苦しい。しんどい!!
だけど、神さま、この心の傷、神さまが治してください。
神さまは、絶対絶対、治して下さるって信じてます。


そのことに気付かせてくださった神さま、そしてO主事、本当に本当にありがとうございます。
また明日も、神さまを求めて、神さまにより頼んで、生きてきます!


はぁ、クリスチャンってなんて幸せなんや。
クリスチャンライフ、確かに困難はある。
だけど、その本質は「自由と喜び」!!
今ならそれを、本当に心から言える。やっと言える。
神さま、本当に本当にありがとう。

クリスチャンネット

こんばんは!

今日の夜は、スカイプで、遠く離れたクリスチャンの友人たちと話しました。
一人は山口県、一人は静岡県、二人は北海道旭川。

彼らと出会ったのは、今年のEMFサマーキャンプ。
(EMFは医療系クリスチャンの団体です)

そこで、「いつかスカイプで再会して、祈り合おう!」といっていた、その約束を果たせました。

こうやってインターネットが普及してる時代、物理的な距離は本当に感じなくなりました。
地球の裏側にいても、ほんの数秒でメールが送れる時代です。

そんな中で、神さまはきっと、インターネットのように、クリスチャンネットを張り巡らすことを求めておられると思います。

いつ、どこで聞いたのかは覚えていませんが、ユースパスターの長沢崇史さんが、メッセージされていました。

「イエスさまの弟子たちが深みに漕ぎ出し、網を張り、そしてたくさんの魚を手に入れた。同じように僕らも、深みに漕ぎ出して、クリスチャン一人一人がつながって網となって、多くの人たちが救われることを祈り求めよう!」

本当にその通りだと思います。


どこにいても、どんなときでも、どんな宗派でも、どんな人種でも、男でも女でも、何歳でも、御霊は一つです。
僕らが目を向けるそのお方は、イエスさまただおひとりです。

クリスチャンは、このお方にあって、絶対につながれる。絶対に網になれる。そう信じています。


だからこそ、僕が今できることは、すでに与えられているクリスチャンの交わりを、イエスさまの愛で大切にすること。
また、新たに与えられる出会いを信じ期待し、いつでもその出会いに応答できるよう備えておくこと。

そう思います。


からだは一つ、御霊は一つです。
あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。
主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。
エペソ4:4-6

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