Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

人とひとの関係

こんばんは(^^)


またもや・・・更新が滞ってしまいました。


と言ってみましたが、別に滞ってないのかもしれないですね(°_°)


医師として働き始めて2年目、正直これぐらいの更新ペースが今の僕のベストかもしれません。

当直業務や発表の準備などでバタバタしていると、なかなかこんな風に言葉にまとめる時間を取れず・・・


それでもこのブログは僕にとって大切なものであることには、これまでと全く変わりありません。

これまでもこれからも、大阪に住んでるほんとにちっぽけな一人の男でしかありませんが、そんな僕に働いて下さる神様の大きさや素晴らしさをこれからもお伝えしていくことができたらと思います。



どうか、今日のこの記事を書く僕の心と手が神様にきよめられて、この拙い言葉を通して神様のご計画が進められますように。



さてさて、今日のタイトルは、「人とひとの関係」です。


本当に思うのは、「人間関係」が僕らが生きる上でのストレスや悩みの大部分なのでは?ということ。


人は一人で生きていけません。

もし、自分の心を誰一人にも開かず生きていこうとするなら・・・

それは本当に苦しいことだと思う。

誰か自分以外の人に、この心に触れて欲しいと思ってる。

少なくとも僕は、そう思ってる。



かと思えば・・・


当然、自分以外の人は自分とは全く違う人格を持っている。

自分の思う通りに動くロボットではないわけで。

必ずしも、自分が触れて欲しいと思う方法でこの心に触れてくるわけではない。

時に、開けた心にズカズカ入ってきて、傷ついたり、イライラしたりすることもあれば。

逆に、全然入ってこなくて、歯がゆい気持ちになったり。



そんな、難しさが人間関係にはあると思う。


だから、自分と自分以外との絶妙なバランス感覚があればいいんだけど。

自分に対して、自分以外に対して、きちんとアイデンティティがあればいいんだけど。



ここで、また問題があって。

人間関係は頭だけでは学べないってこと。

理論や人から聞いたアドバイスは、人間関係について客観的に理解するにはとても有用。

だけど、それを知っていることと、実際に自分を取り巻く人間関係で行えているかはまた別の話だと思う。


人間関係は「現場」で学んでいかなければならない。


実際に、隣にいる大切な人に自分の心を開き。


その開かれた心にその人が一歩踏み込み。


時に傷つき。

時に悩み。

そして、時に励まされ。


そんな繰り返しの中で、自分を知り、自分以外を知っていかなければいけない。

バランス感覚を養っていかなければならない。


そう思います。



本当のところ、これは全部体験談。

僕は人間関係に苦手意識を持っていて、本を読んだり、アドバイスをもらったりして、人間関係をうまくやっていくためにどうしたらいいんだろうって、頭で考えてた。

でも、それだけでは不十分だった。


実際に、自分自身が勇気を出して心を開かなければ。

みんなの輪に入っていかなければ、分からなかった。

いっぱい傷ついたし、いっぱい悩んだ。

でも、それ以上にいっぱい大切なことを心で感じた。



もし、同じように悩んでいる人がいたら、イエス様にあって勇気を出してほしいと思う。

僕もまだまだ人間関係見習い中だから、一緒に勇気を出して、学んでいこう!


それでは、また次回に♪

(今回の記事は、当初「優しさと厳しさ」というタイトルでしたが、クリアにするために改訂させていただきました。)

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神様と人とひとの関係

おはようございます(^^)


今日は大阪は曇りです。
見渡す限りしろーい雲が、覆っていますね。

今日は三連休の中日。
皆さんはどんなふうに過ごされるんでしょうか?


僕はーーー・・・・

仕事です!!!笑



実は、最近日曜日に仕事が入ることが多くて・・・

正直、最近結構限界でした。。泣

石橋キリスト教会に行きたくて、行きたくて・・・

みんなと一緒に賛美したり、みことばを聞いたり、笑い合ったりしたいなーって思ってた。。


当たり前だけど、この仕事は日曜日でも必要とされる。

体調を崩すのが、必ずしも平日なわけではないから。

そして、その日曜日も誰かが仕事をしなければいけない。


研修医の同期が14人いるから、僕以外の人に日曜日は入ってもらえばいいじゃん!って言う人もいる。

でも、僕はどうもそれは納得できなくて。

みんなだって、日曜日をゆっくり過ごしたいと思うし、その権利があると思う。

僕はそう思うなー




だからーーー、今日礼拝に出席できない分、昨日土曜礼拝に参加してきました!!

人は多くはなかったし、同世代の人もいなかったけど。


それでも、教会に足を運び、そこで語られるメッセージに心を向けることは、僕にとって必要なことでした。


実際、昨日語られたメッセージは、神様が僕に対して言っておられることそのものでした。



最近、僕のこころはトゲトゲしていました。

実際、同期にも昨日言われました。

「最近のみっちーは、明らかにやさぐれてるね!('_')」


わかってるよー・・・

確かに今、僕はやさぐれてます。



いろんな理由があるけど。

一つは、人間関係の悩みだった。



昨日のメッセージでも語られたのはこのことだった。



「私たちは多くの場合、自分に対して甘く、他者に対して厳しいものです。

キリスト者の場合、この他者を裁くことにおいても、自分を守ろうとすることにおいても、神を味方にしようとします。

神が味方であることを前提として言葉を発し、行動する危険があります。

神を自分のために利用すると言う姿勢です。

ここに、神のいうことに耳を傾ける謙虚な生き方は存在しません。・・・

他者に自分の正義を押し付けるだけならばそれは傲慢です。

私たちが赦されている者であるならば、そこに謙虚が存在します。

神との和解によって赦されているならば、その赦しと和解を実現する者となりたいのです。」

MB石橋キリスト教会 南野先生メッセージ(2015/10/10)





うぅーーーーー



痛い・・・痛すぎる・・・

しみる・・・しみまくる・・・



まさに、最近の僕はこんなんだった。

神様を勝手に自分の味方にして、周りの人を見ては、あーだこーだ言ってた。

そんな傲慢な姿勢を、神様が喜ばれるはずがない。


そももそも、そんなことしてる僕は誰なんだ?

神様の目から見たら、僕も周りの人もみんな、罪を抱える一人ひとりなのに。


僕は、勝手に自分の体に「正義」をくっつけて、人を裁いてた。



神様に、

「満ちる・・・それは違うんじゃないの?」

と静かに言われた気がした。




これはきっと、どんな人間関係でも言えることなんだ。

夫婦でも、家族でも。

親友でも、職場のつながりでも。

クリスチャンでも、ノンクリスチャンでも。




きっと、教会っていう場所では、他の場所よりも少し、神様に背を向けず、神様を見つめて。

そして、神様が愛されるその人を見つめるっていうことがしやすいと思う。



でも、神様は今回のことを通して、全ての人間関係を見直しなさいって言ってくださっているように思う。



どんな人間関係においても、僕は神様から目を離してはいけない。


イエス様の十字架によってのみ、僕は神様とつながることができて。


そして、その神様とのつながりの中で、今与えられてる全ての人間関係を大切に守っていく・・・。



これは訓練だ。

一日二日でできることではないけど、求め続け、祈り続けるとき。

神様が僕のすべての人間関係の中で、導き働いてくださることを信じてる。




神様が中心。

神様がリーダー。

神様が僕の人生の主導権を持っておられる。


全ての、全てにおいて。

僕の人生、生活、いのちのすべてにおいて。

主導権をもっておられるのは、僕ではない。


神様だ。


イエス様にあって、僕は神様を求め続ける!!


仕事にいってきまーす。

八方美人

こんばんわー!


まーた、しばらく時間が空いてしまいました。

でも、こうしてブログを更新できることを、神様に感謝します(^^)


今日は、久しぶりに人間関係のテーマで書きたいと思います。

旭川の6年間の大学生活で通っていた、神愛キリスト教会には「旭川の父」ともいえる方がいらっしゃいました。
年は、祖父と孫のような感じでしたが、よくかわいがっていただきました。


かわいがるというのは、ちょっとやそっとのかわいがりではなく。。


産み育ててくれた父さん・母さんにも言われないような厳しいことばを、たくさんいただきましたーーーー(T__T)笑

数年経った今も思い出すとズキズキする。

なぜって、それが本当に僕という人間の、問題の核心をついた言葉だったから。



今となっては、かけがえのない財産です。

この場を借りて、心からの感謝の気持ちを伝えます。。




そんな辛辣な言葉の一つが、「お前は本当に八方美人だ!!」でした。

当時プライドの高かった僕には、八方美人だといわれてもしっくりきませんでした。

周りの人たちと、仲良くやることの何が悪いのか・・・むしろ若干反発した心をもっていました。



でも、そんな言葉が今になって骨にしみるんです・・・・・・・


八方美人。


本当にそうだったんだなーー。
(正直、今もまだそういうところ抜け切れていないです。)



きっと、自信があったんだと思います。

基本的に、周りのほとんどの人たちと、うまくやっていけるっていう自信が。

当たり障りのない話をしたり。

とりあえずの笑顔をしたり。

正直、嫌われるのは嫌だったし、好かれたかったし。


でも、本当の意味でうまくやっていたのかは疑問です。

本当の意味で、神様が喜ばれるような人間関係のつくりかただったかは疑問です。




最近思うんです。

人間個性があるんだもん、合う人と合わない人がいるのは当然だと。


自然を見ても、そうでしょう。

神様が作られた、個性豊かな動植物。

僕はあまり美的センスはないので、変にかけないけど、相性はあるでしょう。

色もそうです。

この二つは、しっくりくるなーー!!って色もあれば、なんだか気持ち悪くなる色の組み合わせだってある。



僕ら人間も同じなんだと思うんです。

それぞれ個性がある中で、一緒にいてすごい居心地の良い人もいれば、なんだか息が詰まりそうになる人もいる。
(昔は、そんな当たり前のことさえ納得せず、欲張ってた。)



ただ勘違いしてほしくないのは、聖書には「平和を保ちなさい。」と書いてあって、合わないからといって、何も悪口を言う必要なんてなく、愛をもって誠実に接する必要はあると思う。
そこで、無理矢理に合わせようとしなくてもいいと思うってこと。

だってそれが、個性なんだも。



よく、友達は作るものじゃなくて、なるものっていうけど、そういうことなんだってこの年になって気づくという・・・笑



そう思ったら、すごーーい気持ちが楽になった。


自分の個性を大切にして、神様を見上げて、自分らしく生きていきたいと思う(^^)

そして、自然と心近くなる人も、なかなか合わない人も、どちらもイエス様の愛で大切にしていきたいと思う。



おやすみなさーい!

本物のつながり

こんばんは!

今日は、あまり前置きとかは書かず、本題に入っていこうかなと。


大阪に来て、1年と3か月。

初めてだらけで大変なこともいっぱいあったけど、職場の淀川キリスト教病院では本当に先輩や同期に恵まれて、研修に集中することができた。

そして、教会もメノナイトブラザレン教団石橋キリスト教会という、本当に素敵な教会に出会えた。


本当に、イエス様の「深みに漕ぎ出して網を下ろしなさい」というみことばに従って、北海道から遠く大阪に来て良かったと思ってる。



ただ、この大阪という地には、僕には何かが足りていなかった。

ずっと、心のどこかで感じていた。

でも、それが何なのかわからなかった。



心にあったのは、さみしさと癒されない疲れだった。



最初は、北海道と大阪との、地域差なのかとも思った。

人間関係の作り方や価値観の違いだから、しょうがないものかもしれないと納得しようとしてた。



でも、ここ最近、そうじゃなかったんだって気づき始めてる。


僕がずっと求めてたのは。

ずっと飢え乾いていたのは、本物の人と人のつながりだった。



確かに、一緒に笑いあったり、ごはんを食べにいったりできる仲間が病院にいた。

一緒に賛美したり、遊びにいったりできる仲間が教会にもいた。



でも、本当の心の奥底の不安やさみしさ、疲れた部分について、打ち明けられる人が大阪にはいなかったんだと気づいた。



振り返れば、北海道は恵まれていた。


家に帰れば、一緒に生まれ育ち、一緒に苦楽を乗り越えてきた妹がいた。
(僕は大学生活の最後は、妹と二人暮らしをしていた)

そして大学には、6年間ともに祈り支え合える信仰の友がいた。
聖書研究会が2週間に一回あり。
そこでみんなで聖書を読んで、分かち合う中で心の深いところの悩みや葛藤を自然と打ち明けることができた。


教会には、僕を小さいころから知り、僕のたくさんの失敗も知っている、牧師をはじめ「家族」がいた。
教会に行くと、みんなが僕を子供や弟、小さな子は兄のように接してくれた。
居場所だった。



でも、大阪に来て、一人暮らしになり、頻繁に合える信仰の友はいなくなり、教会では本当の意味では打ち解けられなくて。

ずっと、ここでは一人ぼっちだった。



もちろん、神様は素敵な婚約者を横に置いてくださっていて、電話やメールを通して僕の心が完全に折れないように支え続けてくださった。



でも、僕は確かにこの大阪の地で、そんな本物のつながりを求めていた。


この大阪の地で、足りなかったものは本物のつながりだった。



そしたら・・・思った。

どうすれば、本物のつながりは持てるの?って。



きっと、僕だけじゃなく、日本中のクリスチャンが「本物のつながり」を求めていると思う。

だって、人は一人じゃ生きていけないから。

クリスチャンは、一人きりで「クリスチャン」でいられないから。

みんな葛藤してるし、悩んでるし。

苦しんで、もがいて。

でも、近くで祈ってくれている人がいて、ようやく立ち上がれたりするんだ。



僕は、正直どうしたら本物のつながりが、この大阪の地でも与えられていくのかが分からないから、求めることにする。


神様しか、それはできない。

人を動かし、人の横に置き。

人の心を開き。

人をつなげる。

「本物」のつながりは、神様にしかつくりあげることはできない。



僕は信じてる。


今遣わされている、淀川キリスト教病院でも、石橋キリスト教会でも。

神様が本物のつながりを与えてくださるって。

僕は、ただ信じて、信じて、あきらめない。




きっと、この気持ちはとっても大切で、これから外から来た人の気持ちになれるように、神様は僕にこうしてくださったのだと思ってる。

一緒に。

こんばんは(´▽`)ノ


今日は日曜日!

僕にとって一番大切な日。


今日も4月から通っている、メノナイトブラザレン教団の石橋教会へ行ってきました。

だいぶ、顔見知りの人も増えてきて。

そしてみなさんほんとによくしてくれて(T^T)

神様を共に礼拝しつつ、楽しい時を過ごさせてもらっています。



今日も礼拝の後、教会の若い方々が餃子パーティー?に呼んでくださって。

そこのお子さんと一緒に餃子作って、みんなでワイワイ餃子食べました。

いいなー、家族って(^o^)

僕も、もし神様の御心で結婚ができたなら、開かれた家庭にしたいな。

たくさんの人たちがうちに遊びに来て、みんなにたらふく食べてもらって、笑顔になって帰っていってもらえたら本当に幸せだなぁ。




そしてそのあとは、教会の方が主催してる草野球ならぬ草サッカーに参加してきました(・∀・)

が!!!

「みんなでわーいわーい!」って感じのを想像してた僕でしたが、思った以上にガチでした( ̄ー ̄)

相手チームとか、なんかユニフォーム揃えてるし。

同じチームの子もみんな経験者で、スパイクとかちゃんと持ってきてるし。


初心者同然の自分は、
「あぁ、、おわたーーーーー\(◎o◎)/」
って思ってました。


さらにクリスチャンの人は3人くらいで、あとはみんなノンクリスチャンでした。



そんな感じで始まったサッカーでしたが、結論を先に言うと、行って本当によかったって思いました。

今まで全く接点のなかった人たちが、一緒にサッカーする中で自然と心打ち解けて。

合間に世間話したり、一緒に笑ったり。

そんな時間が新鮮だったし、素敵でした。



まぁ、僕はほとんどキーパーだったんですけどねっ(・´з`・)笑


でもキーパーしながらあるみことばを思い出しました。


「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」
ローマ書12章15節


これも結構有名な個所で、読むたびに、
「は、はぁ・・・。そうですね(・∀・)」
って感じだったわけですが。


今日このみことばが、ガンガン心に響いて、人間関係にとって本当に大切なことなんだって感じました。



僕は何度も書いてきたけど、結構人間関係に苦手意識があって、繊細で人に心を本当の意味で開くの苦手でした。(実際今でも苦手か( ̄ー ̄)?笑)

そしてなんだか理論?とかファーストインプレッションとか、そういうのに気を使ってた。


だけど、大阪来て一か月半。

そして今日のサッカーを通して思った。


そんなに難しく考えることもないのかもって。笑


人間、一緒に笑うことがめっちゃ大事!!笑

一緒に泣くことが大事!



もっと自分の生活にくっつけていうなら、

一緒に食堂に行って飯を食うのが大事。

一緒に当直やって、ひぃひぃ言いながら支え合うことが大事。


一緒にサッカーすることが大事。



考えなきゃいけないこと、やらなきゃいけないことは確かにある。

でも人とひとの関係にとって、根本的な原則は「一緒にいる」ってことなんだって改めて感じた。



そう思ったら、僕にとって全てが伝道なんだなぁ。

仕事も。

遊びも。

教会も。


一緒にいる人たちに、イエス様の愛の種が蒔かれて、イエス様を信じる心が与えられますうに。



おやすみなさい(´▽`)Zzz

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