Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

違うこと。

こんばんはー♪


今日は書き始める前に、一つお詫びしなければならないことが。

この間、弟の「希望(のぞみ)」について書かせていただいたんですが、実家に帰って弟に言われたのが、
「みっち兄ちゃん、俺あそこまでは言ってないよ!」
ということでした(^_^;)

どうやら、僕の記憶バイアスがあったようで、、慎んで、記事で書きすぎた部分は削除させていただきました<(_ _)>


さてさて、弟の話をしたからというわけではありませんが、今日は一つ上の姉のことを書きたいと思います。

年は二つ上で、小さい頃からよく面倒を見てくれた姉は、みんなから「まこちゃん」と呼ばれています。


まこちゃんは、僕にとっては、ほんとうに不思議な人です。

幼稚園、小学校、中学校、高校。そして旭川での生活。

ずっと、近くでその後姿を見てきたけれど、時間は経てども「?」なことがいっぱいのまこちゃんでした。


だって・・・ほんとうに違うんです(^_^;)笑


思ったこと、感じたことを、そのまま包み隠さずに伝えるまこちゃんと。

裏や状況を読んで、じっくり考えながら発言する僕。


どんなにきつく言われても、嫌なことがあっても、雑草みたいに?(笑)何度でも立ち上がるまこちゃんと。

ちょっとしたことで傷ついたり、落ち込んだりする僕。



そんな僕らだから、よくすれ違ったし、けんかもしました。
(けんかしても、かみ合わないっていうこともいっぱいありました。笑)



それは結構、最近まで続いてて、数年前のことでした。
まこちゃんが旭川に遊びに来て、特に気も留めずに発したことばが、僕の心の急所に突き刺さり、口げんかをしました。


まこちゃんは、怒ってる僕に対して、「・・・・・・」
きっと、何で怒ってるか分からなかったんだと思います。笑


僕も僕で、「この人はほんとに何なんだろう!!」ってなって。



ついに僕も限界で、そのとき、しびれ切らして母さんに電話しました。

すると、母さんは一言で、僕の中の問題を明らかにしてくれました。


「みっち・・・。だって、まこちゃんはみっちとは違うんだも。」



答えは、とっても簡単なことでした。
「まこちゃんは、自分とは違う」
っていう、たったそれだけのこと。


そんな簡単なことに、僕はあのとき、心から気付きました。

そして、「自分とは違う」と知り、認め、そしてその違いにこそ、まこちゃんの素敵なところがいっぱいあるんだと気付かされたとき、僕の中でまこちゃんとの関係は一つずつ良くなっていったように思います。



もしかしたら、皆さんはとっくに気付いてる、乗り越えてることかもしれないけど、もしかしてそうじゃない人、今そのことを悩んでる人もいるかもしれないから・・・書かせてくださいo(^-^)o



きっと、まこちゃんと僕との関係のように、人間関係の中で、すれ違いや分かり合えないことで悩んでる人っていっぱいいると思います。

そして、その全ての答えが、このことで解決されるわけではないけど、

「その人が、自分とは『違う』存在だ」

ということを、知り、認め、そして受け入れることができたら、どれだけ人間関係は改善していくのだろう・・・って思います。

実際、僕はほんとにこのことで、人間関係が変わっていきました♪



今の日本では、気付かぬ内に、似たもの同士が集まることが多い気がします。
確かに、自分と似てる人の方が、居心地は良いかもしれない。。

それに、自分とは違う人のことを、あきらめてしまうことも多い気もします。
あきらめたら、確かに簡単なこと。

だけど、愛をもって、自分とは「違う」人を、知ろうとし、受け入れようとするとき、そこには自分の力では絶対に見ることができなかった、広い世界が広がっていると思います。


実際、これまでの24年間、まこちゃんにどれだけ助けられたか。。
人の痛みをほんとに分かるまこちゃんは、たくさんの人に愛されていて。
そして僕自身も、ほんとに辛かったとき、話しを聞いてくれて、寄り添ってくれて、支えてくれたのはまこちゃんだった。

まこちゃんにしかできないことがあって。
僕にしかできないこともあって。

だからこそ、僕らは生きてるんだと思う。



人間関係。

職場。
学校。
家族。

きっと読んでくださってる皆さん、明日もたくさんの人と出会い、話し、その人の心に触れると思います。
その中で、自分とは「違う」その人を、愛をもって、知ろうとし、認めようとし、受け入れようとし、助け合おうとするとき、新しい世界が開けていくと信じます♪


満ちる

スポンサーサイト

希望

こんばんは(^_^)/

今日は、このブログを始めて、初めての試み。
僕が心から大切に思っていて、そして尊敬している一人の男を紹介したいと思います。


それは、僕の弟、佐々木希望(のぞみ)です。


彼は、不思議な男です。

年は5つ下、身長も僕より小さいです。(僕が大きいだけかも)
真面目で、それでいてどこか抜けていて、にくめない男です。


彼は、生まれつき体が弱かった。
生れてからも、何度も体調を崩して、お母さんと一緒に入院生活を送っていました。


そんな彼でしたが、なんとか一人で歩けるまで成長して、家に帰ってきました。
その下にも愛士という可愛い弟が生れて、佐々木家にもやっと落ち着いた風が流れてきた時でした。


ある日、僕ら家族の不注意で、希望の胸に熱湯がかかってしまったのです。


僕はその瞬間はいませんでしたが、友達の家から帰ってきた時に感じたあの静けさは今でもはっきりと覚えています。

それはそれは、ひどい火傷でした。
小学校低学年だった僕は、その傷を直視することができませんでした。

希望は、包帯でグルグル巻きにされ、また入院生活に戻ってしまいました。


でも、時折兄弟でお見舞いにいくと、決まって希望は笑顔でした。

いつも、どんな時も、彼は笑顔で僕らを迎えてくれました。



月日は流れ、火傷の炎症も治まり、希望は家に帰ってきました。
しかし、その傷跡はあまりに痛々しいものでした。

それでも、いつも、希望は笑顔でした。



希望は小学校に入りました。

なかなか勉強にもついていくことができない希望。
それだけではなく、傷跡ゆえに、プールの授業でもよくいじめられたそうです。


僕は心のどこかで思っていました。
「希望は、神さまを恨んでるだろうな・・・。俺だったら絶対に耐えられない。こんな状況を与えるなんて!と神さまに怒る。」




しかし、そんな僕の予想とは裏腹に、ある時希望とお風呂に入ったとき、彼はこんなことを言い出したのです。

「お兄ちゃん見て!この火傷の跡、何に見える?僕には、世界地図のように見えるんだ。きっとこれは、神さまからのメッセージなんだと思う。」


僕はことばを失いました。
あのときの衝撃を、今でもはっきりと覚えています。


希望は、神さまを恨むどころか、むしろそのことを感謝していました。
神さまを信じ、従う意思を彼はすでに固く握っていました。



それからも、希望には多くの試練がありました。
中学校でも、ひどいいじめに遭いました。
高校に入っても、アトピーと眼の炎症で、気がおかしくなるほどに追い込まれました。


それでも、いやこれらのことを通してなお一層、彼は神さまを信じる心を強めていきました。



僕は、「名前」にはとても大きな意味があると思います。

希望は、まさに希望の男です。
希望とは、何も逆風のない、幸せなときに見いだすものでなく、どうしようもなく行き詰まり、心が折れそうになるときにこそ、その力を発揮します。


同じように、僕の愛する弟、希望は、これからの日本において神さまに大きく用いられる器であることを信じてやみません。



満ちる

父さん母さんが旭川に来た。

こんにちは(´▽`)


今日何で休みか知ってました?

「体育の日」らしいです。


いやー、全然体動かしてない・・・むしろゴロゴロしちゃったー(T^T)
気持ち入れ替えて頑張らんとなー。



今日は昼過ぎから、うちの父さんと母さんが旭川にやってきました。

父さんと母さん、実は今年が結婚30年目。

そして、そのお祝い旅行として、函館から北上してるんです♪
なんでも、ここに来るまでだけで、1000㌔走ったとか(゚Д゚)

もう若くないんだから無理しないでねー・・・という気持ちと、やっぱり二人はラブラブだなーって気持ちと。笑


旭川について、最初に何を言われるかと思ったら、

父さん、
「満ちる、もつべきものは良き伴侶だぞ。」

うしろで母さんはニコニコ。



えっ・・・いきなりそれかいっっ。笑



我が両親ながら、ほんとに面白いなー( ̄∇ ̄)



そして、一緒にお昼ご飯食べながら、久しぶりにゆっくりお話しできました。

特に心に残ったのは・・・

父さんが言ってくれたこと。



イエスさまが、ペテロとヨハネを山に連れて行って、そこで二人にだけモーセとエリヤと話されてる姿を見せられただろ。
あの時、ペテロは『こ、ここに家を建てたいです!』って言うよな。
要するに、それほど素晴らしい瞬間だったんだ。

私たちも、そんな瞬間がある。イエスさまの光に満たされてほんとに幸せで、ずーっとこのままでいたいなーって思うときが。

でも、その後、イエスさまはどうされた?
イエスさまは、ペテロとヨハネを連れて、またいつもの生活してる場所に戻ったんだ。

そして最後には、イエスさまは十字架にまで架かられた。
この意味が・・・分かるか?


正直、イエス様についていくことは簡単じゃないぞ。
バカにされて、ボコボコにされることだってある。

だけど事実、イエス様はそう生きたんだ。




実際、その言葉通りに生きてきた父さんの言葉だから、正直パンチが強かった・・・


だけど、父さんが言ってたことと、最近示されてたことがリンクしてめっちゃ心に迫ってきた。


僕らクリスチャンは、いつも原点を見誤っちゃいけないんだと思う。


何のための、教会なのか。


何のための、クリスチャンの集まりなのか。


何のための、KGKなのか。


何のための、聖霊なのか。


何のための、命なのか。


それは決して、自分の満足のためじゃないはず。

そうじゃなくて、教会で、クリスチャンの集まりで、KGKで、聖霊によって、この命にあって、神さまから力を受けて、実際に僕らが生きてる世界で「証」するために与えられてるもの。

この大事な「目的」を取り違えていないか、いつもいつもイエス様にあって点検する必要があるんだと思う。



そしてもう一つ。

俺は、これからも、いやこれからは今よりもっともっと、イエスさまについていく中で、バカにされて、ボコボコにされてくんだろうなー(´▽`)


だって、それがイエスさまが通った道だもなー( ̄∇ ̄)



こんなこと書いたけど、これは・・・俺一人じゃ無理だ。。笑

父さんに母さんがいたように、母さんに父さんがいたように、俺も助け手が必要なんだって改めて思った。

よし、祈ろう( ̄ー ̄)ゞ
(はい、単純w)


満ちる

北見に帰ってきた!

こんばんは(^^)/

木曜日から土曜日まで、日高で教会のキャンプに参加して、そしてそのまま実家の北見へ♪
キャンプは、本当に励まされたし、勉強になった!
今年も高校生科のスタッフとして、メッセージや分かち合いリードの奉仕が与えられたんだけど、彼らのまっすぐな心、真剣な眼差しに逆に励まされた。。
神さまが、この子達をもっともっと育み、用いて下さることを今から期待してます!

それと、部屋はちびっ子たちと同じだったんだけど、一緒にご飯食べたり、お風呂入ったり。。正直めっちゃ疲れたーーーー!笑
でもちっちゃい口でちょっとずつパンを食べてたり、一生懸命髪を洗ったりしてるのの隣にいて、「父親ってこんな感じなんだろうなー」とか思ったり。笑
本当に素敵な時間だった(^^)

そして昨日北見に帰ってきて、父さん、母さん、兄弟たちとゆっくり話す時間を持てた(^^)
個人的に今回の帰省の目的として、「母さんと話すこと」があった。
正直今まで息子として育ってきた中で、母さんという一人の「姉妹」が、これまでどういう道を歩んできて、どんな葛藤があって、今どういう信仰を持ってるのかとか、母さんのことをちゃんと知ろうとしてなかったのかもって気付かされてたから。

だから、今回こうしてゆっくり話せて本当に良かった!そして思った!!笑
母さん・・・すごい!!信仰の先輩として、母として、改めて尊敬の思いが強まった。。
母さんが母さんで本当に良かったって、改めて思った。

今まで、子育てや仕事、色んな試練があった時にどう乗り越えてきたの?って聞いたら、母さんは答えてくれた。
「母さんは女優なんだよ。神さまが書いてくださる最高のシナリオを死ぬまで演じきりたい!そう思ってるの。だから、今まで神さまにただただ素直に従ってきた。そしてこれからもそう生きていきたいんだ。」

すっごいその言葉がしっくり来た。
父さんと母さんが今までどんな道を歩んできたかちょっとばかし聞いてきたけど、本当に壮絶。「マジか?!」ってことが連続した半世紀を生きてきた二人。
だけど、聞いてみたら二人の姿勢は本当にシンプルで、神さまに従いたい!っていう素直な思いがずっと貫かれていたんだって改めて気付かされた。
そしてそこには、試練を乗り越えるたびに増し加わっていく、神さまへの大きな信頼があるんだって気づかされた!!

神さまは、そんな父さんと母さんの息子として、俺を遣わして下さった。
その中で、俺も神さまが用意してくださっている最高のシナリオを演じきりたい♪


一方で、もう一つ大切なことに改めて気付かされてる。
それは、もっともっと素直に求めていこう!ってこと。

神さまは最高の脚本家。
俺が想像している以上のシナリオを既に用意してくださってる♪
一方で、神さまは僕らの存在そのものを大切にしてくださるお方。
僕らをご自分の力で無理やりに動かそうとはされず、僕らが何を思い、何を感じ、何を求めているかってことを本当に大切にして下さる!!

だから、既に用意してくださっている最高のシナリオにめっっっっちゃくちゃ期待しつつも、俺はもっともっと神さまに求めていきたいって思ってる!!
あそこに行きたいです!!
あの人に会いたいです!!
ここを変えていただきたいです!!

もちろん、こうやって素直に求めるのと同時に、「それでも、神さまの御心がなされますように!それが一番最高だって信じてます!」って祈れるように、いつも神さまご自身を第一に求め続けることができるように、自分の心を見張り続けることも怠ってはいけないんと思う。


また明日から旭川に戻り、ちょっとお休みしてた勉強も再始動。。
神さまの最高のシナリオに期待し、素直に自分の思いを神さまに伝え、そして神さまを心から信頼して歩んでいきたいと思いました(^^)/

満ちる

社会

おはようございます!

北見滞在4日目。
充実&リラックスした日々が続いております。
神さま、ありがとうございます!!

昨日は祝日ということで、網走からお姉ちゃんのまこちゃん&妹のひっかがやってきて、みんなでワイワイ楽しい時間を過ごしました♪

お昼ご飯を食べた後は、まこちゃん&ひっか&あつこ(二つ下の妹)&あいちゃん(一番下の弟)と5人で「遊木民族」っていうカフェに行きましたー(^^)!!

※そーいえば、兄弟の紹介したことなかったですね!
僕は七人兄弟で、上から、
恵→めーちゃん、めっちゃん
まこと→まこちゃん
満ちる→みっち、みっち兄ちゃん(下には必ずそう呼ばせます。笑)
ひかり→ひっか
あかし→あっこ、あつこ
希望(のぞみ)→のんち、ボレロ
愛士(あいし)→あいちゃん

ちなみに、めーちゃんから僕までは、
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」ヨハネ1:14
っていうみことばから来てて、

ひっかとあつこは、
「この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。」ヨハネ1:7
っていうみことばから来てる!!!らしい!!

のんちとあいちゃんは・・・すみません。知りません。笑


ってことで、その7分の5人と行って来たカフェ。
久しぶりにゆーっくり話しました♪

まこちゃんとひっかはもう働いてて、それぞれ仕事の中で悩んでることとか、葛藤してること。
旭川に暮らしてるあつこと僕は、旭川ライフの近況。
そして、あいちゃんはおいしそうにデザートを食べて、そしてiPadのゲームに夢中に。
(僕はそんなあいちゃんが大好きw)

そして自然と、話題は「クリスチャンとしての生き方」に変わっていました。

というのも、当たり前だけど七人それぞれ個性が本当に違うんです。
天然な人もいれば、つっこみがうまい人もいる。
論理的な人もいれば、感性的?な人もいる。
社交的な人もいれば、シャイで静かにしてる方がすきな人もいる。

そんな盛りだくさんの個性に加え!!

僕ら佐々木兄弟は、ずっと、北見というクリスチャンが本当に少ない場所で、もっといえば同世代のクリスチャンなんて僕ら以外には片手で数える程しかいなかった場所で生きてきて。

ノンクリスチャンの友達や大人に囲まれながら、もまれ、葛藤し、失敗して。
それでも、イエス様の愛に触れて、赦され、立ち返ってきて。


そんな僕らだからこそ、思うところ、溜まっているものがいっぱいあり。
それらを分かち合い、励まし合うことが、互いにとって必要なことでした。


正直なところ、小さい頃は、クリスチャン仲間の多い他の地区に対して、色んな複雑な思いをもっていました。

「励まし合える仲間がいて、いいなー」っていう羨ましい思いだけじゃなく・・・

「近くにクリスチャンがいるんだも、そりゃうちらよりクリスチャンとして生きやすいよ。」
なんて、ひがみにも似た、自己弁護にも似た、しょーもない思いも。

さらには、「ノンクリスチャンがほとんどの現実社会の中で、クリスチャンとして生きる困難・・・どれだけ感じているんだろう。」っていう、余計なお節介、そして自分自身に対する高慢な思いまで。


小さい頃は、兄弟でそんな思いを口にすることはありませんでしたが、それぞれが心のどこかで、
「北見はなぁ・・・」
っていう思いを抱いていたのだと思います。



だけど、兄弟みんな大人になって、色んなことを経験して、色んな人に出会って、そして生まれてこの方「北見」という場所に遣わされて良かったな!ってちょっとずつ思えてきたように、思いました。

やっぱり、知らず知らずの内に、鍛えられてましたしね。笑

頑固で厳格だった(今はとっても柔和で温厚w)な父に育てられ、北見の地でそれぞれ色んな葛藤や問題を抱えながら、徹底的に「クリスチャンとして生きる覚悟」みたいなのを育まれていたんだと思います。

もちろん、今の時点でゴールだなんて思ってません。
だけど、あの『スパルタ青春時代』(←これいいなw)は、今となっては財産だと思えることができます。


それはなぜだろう、なぜそのように思えるのだろうと考えるとき、答えは一つでした。

「愛」です。


あのスパルタ青春時代の中でも、振り返れば、神さまはたくさんの愛を注いで下さっていました。
僕ら一人ひとりを愛し、お見捨てにならず、イエスさまの十字架によって僕らを守り続けていました。

また、父さんも、その厳しさの中に、いつも「お前達を愛している」という強烈な(笑)メッセージを持っていました。
だからこそ、僕らも耐え忍び、励まし合ってここまでの兄弟愛が育まれたのだと思います。


学生生活の今もそうだけど、社会に出てからも、今の日本のクリスチャンの人口は「0.3%」とか。
1000人いて、3人。
そんな社会で、僕らクリスチャンは生きています。

997人は、僕らと全く異なる考え方、価値観、生き方。
そんな社会で、僕らはクリスチャンは生きています。

だから、毎日楽しいことばかりじゃない。
衝突だってするし、葛藤だってするし、悩んだりする。


だけど、僕らはこの1000分の3という日本に遣わされた。
それは、僕らを愛してやまない神さまが、イエスさまにある救いを997人に伝えて欲しいと願っておられるから。

その神さまの大きな大きな愛が、僕らの心を強くし、支え、励まして下さる。
そして、その大きな大きな愛こそ、997人の心を動かし、「イエス・キリストこそ私の救い主」なのだと告白する力となるのだと、僕は信じています。

愛こそ、全てです。



天のお父さま、あなたの御名をほめたたえます。
このブログを、イエスさまにあっておささげします。
あなたの御心のままに、用いて下さい。


満ちる

このカテゴリーに該当する記事はありません。