Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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変えられていく。

こんばんは(^^)

またまたお久しぶりになってしまいました。

僕は、なんとか元気にやっています。

いや・・・実は今は風邪気味で、ちょっと体調のバランスが崩れています。
最近は、大切な石橋キリスト教会で "Worship Cafe" という集まりを企画したり、病院で英語の症例を発表したり、僕にとっては大きなチャレンジが続いていました。

僕はただ、その日その日、その場その場で、神様を見上げて、ベストを尽くしただけだったけれど・・・こんな僕を通して、神様が働かれるを見ることができて、本当に嬉しかったです。
来月は、淀川キリスト教病院で2回目の "Worship Time"(Worship CafeもTimeもあんま変わんないだけど・・・笑)をやる予定です。この場所で、一人でも多くの人がイエス様に触れて、イエス様のすばらしさを体験できたらと思います。


今日のタイトルは、なんだか壮大になってしまったけど。
祈りつつ、書き進めたいと思います。


皆さんは、人は変われると思いますか?もっとぐっと引き寄せると、「自分」は変われると思いますか?

今僕はこう思います。

「人が変わることは簡単なことではない。

だけど、変わろうとしない限り、決して変わることはできない。」


なぜなら、僕自身がそう体験してるから。

嘘だと思う方がいたら、僕の最初の頃の記事を読んでみて下さい。笑

僕が、あえて以前のブログの記事を消さないのは、そのためです。


僕は本当にたくさんの失敗をしてきました。

このブログ上でさえ、多くの失敗をしてきたんです。

ある時は、「絶対にお酒はいけないもの!!」って大声で叫んで、

「やっぱり飲まなきゃいけないときもありますね。」なんて言ってましたよ。笑


情けないったらなんの。

でも、これが僕なんです。


時に、めちゃくちゃ熱くて。

時に、めちゃくちゃテンション高くて。

かと思えば・・・

時に、めちゃくちゃ落ち込んでて。

時に、めちゃくちゃ洞窟の中で叫んでて。


このブログのタイトルは "Life" ですが、本当にこれが僕のLifeなんです。

いのちであり、生活であり、人生なんです。


そんなこんなで、人は変われるってことを、僕は本当に信じています。

ただ、簡単なことではないんです。


僕は、イエス様に出会った当初、ほんの数か月もすれば、人は簡単に変われると思っていました。
なぜって、すっごいシンプルな話で、聖書に書いてることをただひたすら守っていけばいいんでしょ!!って思ってたから。


「嘘をついてはいけない。」って書いてあるから、嘘をつかないように自分の言葉を見張って。

嘘をついたら、しまったーーー・・・・って思いながら、また頑張って。それでも、また嘘をついてしまって。


「人をさばいてはいけない。」って書いてあるから、人のことをとやかく言わないように自分の言葉を見張って。

「あっ・・・やばいこれはほとんど発言できない。」って思って、ある時は本当に口数が減った。

でも、そんなことをして数か月経ったころ、僕の精神は崩壊しそうになった。

今までやったこともない、言葉や自分の行動の制御。
一方で、自分の内側はぜんっぜん変わってなくて、外に見せる自分と、ありのままの内側の自分とがどんどん解離していったから。

ある時、僕はギブアップした。

でも、僕はそうやって自分の力で自分を変えようとすることにギブアップしたわけで、自分を変えたい!!って思いは握り続けていた。

その時に、僕ははっきり認めた。

「俺には・・・無理だ!!!!俺は俺を変えられない!!!

たとえ、俺がどんなに口数を減らしてみても、

ほとんど人と接することがないように行動を制限しても、

俺の内側はなんにも変わってないんだ!!!」ってこと。


そして思った。

「だからこそ、イエス様がいるんじゃん。

なんで、イエス様は十字架にかかったんだろう。

なんで、天におられる神様と僕ら人間との間に入り、

その何千年も覆われた幕を破られたんだろう。

それこそ、俺がイエス様を信じ受け入れて、

イエス様にあって神様に心を開き、

神様が僕の心を造り替えるためじゃん!!!!」ってこと。



この気づきは、本当に本当に大きかった。

そのことを知ってから、僕は僕の心を自分で変えようとしている時に、立ち止って。


かるーく天を仰いでこう祈ってる。

「こういうのやめるんでした。

イエス様にあって心を開きます。

あなたが私の心に入り、私の心に触れてきよめ、

そして造り替えて下さい。」って。



神学書や説教では、「聖化」とかいろんな難しい言葉が飛び交ってるけど。

聖書も、今を生きる僕らには、時々「ん・・・どういうことなんだろ??」ってことがあるけど。


キリストに似せられていく。

生きることはキリスト。

もはや私が生きているのではなく、キリストが・・・


っていう言葉たちってきっと、こういうことなんだと思う。

不思議と、パウロはこうは言わなかった。


イエスに似せられていく。

生きることはイエス。

もはや私が生きているのではなく、イエスが・・・


なぜって、僕らは僕らだから。

僕らは、「イエス」っていう2000年前の男の人に似ていくわけじゃなくて、

「キリスト」という、神様の前に大胆に胸を張って出ていくことができる、

完全なるきよく新しい人に似ていくんだから。

変えられていくんだから。


僕らは僕らで。

僕は、この地上を生きる中で、キリストに似ていき、

すなわちどんどん神様に喜ばれる「人」に変えられていく。


これって、この地上で本当に素晴らしい奇蹟でしょ♪(^^)ビジョンでしょ!


とまぁ、テンションが上がっていきましたが、今日もそろそろ終わりにします。

どうか、読んで下さった皆さんの中で一人でも多くの方が、

今この瞬間イエス様の十字架を改めて信じ受け入れて、

あなたの心に神様の温かい光が降り注ぎ、

「あなた」の頂点に向かってまた一つ変えられていきますように。

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思い煩うな。

こんばんは(^^)

少し、ご無沙汰しておりました。


今日はもう、あまり書く力がなさそうなので本論に入らせてください。笑


最近は、なんだか考えすぎ。

思い悩みすぎ。

思い煩いすぎな自分。


もーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!笑

こんな自分に嫌気がさす。笑



どうしてこんなに考え込むんだろうって思ったけど、この間ふと思い出したら、小さいときからだった。笑


北海道北見市にある通っていた小学校では、小学校3年生まではスキーの授業があり、4年生から6年生まではスケートの授業があった。

ウインタースポーツはとことん苦手だった。


小学校2年生だったかな?

いよいよ、スキーが本当に嫌になってしまった。

きっと、先生もそんなに厳しくなかったし、友達もそんなに意地悪なことを言ってなかったと思う。

だけど、考え込んで、自分が情けなくて、ドツボにはまった僕は、スキー授業の日は登校拒否してた。

父さんにばれたら怒られると思って、父さんが仕事に行くまでは学校に行く準備をして、父さんが家を出た後に、母さんに「行きたくない。」ってダダこねて布団にこもったっけ。

母さんはあの時優しかったなー。笑

情けない息子だけど、優しく話を聞いてくれた。



懐かしいな。


振り返ると、ほかにもいっぱいこんな話があった。


僕はいつだって、きっとそんなに大したことじゃないことも、本当に大したことも、何にしてもめちゃくちゃ考え込む。考え込み、悩んで、抱え込む。笑

そして答えを見つけたり、解決できた時はいいけど、そうじゃないとドツボにはまっていっちゃう。



医者になって、当然考えることの量も重さも増えた。


正直、医者になって白髪がめちゃくちゃ増えた。

きっと、考えすぎ!!笑


もう、僕の脳みそは考えるための糖分が不足してて困っているよ。笑



そんなときに、思い出したみことばがあったーーー。


心に染みて、ウルウルしたー。。



「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」

ピリピ4章6・7節


加えて、家に帰ってきたら、部屋に飾ってあった置物に書かれたみことばが目に留まった。



「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」

Ⅰペテロ5章7節



神様、、どんだけ優しいお方なんだーーーーーー(T_T)


本当に神様大好き。。


思い煩いを、捨てる!!

神様にゆだねる。


神様にお任せする(>_<)


以上!!笑

「ことば」のコントロール

こんばんは!


実は今、関西国際空港から新千歳空港へと向かう飛行機の中です。

もちろん、機内は電波を発する機器は禁じられていますから、この記事をアップするのは北海道に到着してからになりますが( ̄^ ̄)ゞ


今回の北海道旅行の目的のひとつは、二番目の姉の結婚式です。


姉も、お相手の方も、本当に素敵なふたりです。彼はもともとクリスチャンの友人として知り合いですが、誠実でまっすぐで、心から尊敬している男性です。

そんな彼が、大切な姉の夫となることがとっても嬉しいです(^o^)

明日の式が滞りなく進み、ふたりを通して神様の素晴らしさが表されますように。




今夜は、前回の「自分を制する。」の続編とも言える記事です。


あの記事を掲載した後、神様はひとつのみことばを思い出させてくださいました。


舌を思いどおりコントロールできる人は、すべての点で、自分を完全に制することができる人です。 馬を意のままに引き回したい時は、口に、小さなくつわをかけるだけでよいのです。 また大きな船も、小さなかじ一つで、どんな嵐の中でも、思いのままに進路を変えることができます。 (‭ヤコブの手紙‬ ‭3‬:‭2-4‬ JLB)


非常に示唆に富んだみことばですよね。つくづく、聖書のことばに惚れ惚れする(^^)


馬は口にくつわをはめられて制するように。
船は小さな舵で方向を決めるように。


僕らが自分を制するために、一番意識しなければいけないのは「舌」だと教えてくれている。


他にも、聖書には「舌」を制することの大切さについてのたくさんのみことばがあります。


おしゃべりな人は根も葉もないことを言いふらし、信頼できる人はうわさ話にふたをします。 (‭箴言‬ ‭11‬:‭13‬ JLB)

知恵のある人はことば数が少なく、ばか者は知っていることを洗いざらいしゃべりまくります。 おかげで、余計な心配事をかかえ込むのです。 (‭箴言‬ ‭10‬:‭14‬ JLB)



うーむ(°_°)
正直心がズキズキします。


前回の記事にも書いた通り、今の僕は十分に舌を制しているとは言えず、うわさ話をしたり、話さなくてもいいことまで話してしまうという失敗を幾度となく繰り返してきました。


でも、神様に「今こそ自分と向き合い、変わっていくチャンスだよ!」と背中を押していただいて、舌を制するチャレンジの真っ只中です!




そんな日々の中で、神様はひとつ大切なことを気づかせてくださいました。



それは、舌を制するということは、決して「ことば」を押し込めたり、封じ込めたりするといったネガティブなものではないこと。

それだとなんだか、舌を制することは苦しい険しい修行みたいで、少なくとも僕には長続きしそうにありません。。



そうではなく、むしろ「ことば」に対してポジティブに向き合うことなのだと神様は教えてくださっています(^^)



そもそも、「ことば」は本当に本当に素晴らしいもの!

たったひとつのことばで、その人のいのちが救われることだってある。僕だってその経験をしたひとりです。



そんな「ことば」の持つ素晴らしさや重大さ、可能性、そして難しさ。

それらに誠実に積極的に向き合い。

そして、目の前にいる大切な相手のために必要な「ことば」を選択していくことこそ、舌を制することなのだと、神様は教えてくださいました。

そして、時に「沈黙」という、敢えて伝えないという選択も、ひとつの大切な「ことば」だということは忘れてはいけないと感じています。





最後に、僕の大切な人が教えてくれたみことばを書かせていただきます。


さて、あなたがた一同に言っておきます。 お互いに家族の一員として、心から思いやりなさい。 やさしい心と、謙そんな思いで愛し合いなさい。 害を受けたからといって、仕返しをするのはやめなさい。 侮辱されたからといって、口ぎたなく、ののしり返してはいけません。 かえって、その人のために、神様の助けを祈り求めなさい。 だれに対しても親切にしなさい。 そうすれば、神様から祝福していただけます。 幸福で正しい生涯を送りたいなら、舌を制し、くちびるからうそが出ないようにしなさい。 悪から遠ざかって、善を行ないなさい。 平和な生涯を送りたいと願うなら、熱心に追い求めて、手に入れなさい。 主は常に、自分の子供たちを見守り、その祈りに耳を傾けてくださいます。 しかし、悪事を働く者には、主のきびしい顔が向けられているのです。 (‭ペテロの第一の手紙‬ ‭3‬:‭8-12‬ JLB)




素敵なみことばですね(^^)

本当に、このみことばのように生きていきたいです。平和を作り出し、喜びで満ち溢れる人生を過ごしたい。

そのために必要なことは、「自分の舌を制する」こと。




今夜もこうしてすばらしいことばを与えてくださった神様に感謝!

皆さんの周りに、幸せがありますように。




さーて、そろそろ新千歳に着きそうです( ´ ▽ ` )ノ

ではでは!

自分を制する。

こんばんは!


今夜も、このブログを通して皆さんと繋がれることを、とても嬉しく思います。


ここ最近は、久しぶりに本気で「自分」と対峙しています。

自分と向き合うことは、とてもエネルギーがいることです。

なぜなら、弱さや未熟さが浮き彫りになっていくこの過程は、正直あまり心地良いものではないからです。


でも、あきらめない。

神様が僕に教えて下さるのは、僕が変わり、また一つ次のステージに進むためだから。


本気で、もっと自分を変えたいと思う。

あきらめず、願い続ければ、神様は必ず僕の心に触れて内側から作り変えて下さると信じてる。

目に見えるものは一時的で消え去る。

でも、目に見えないこの心の変化は未来への大きな財産となる。





僕が今向き合っているのは、「自制」。


自制とは、辞書では「自分の感情や欲望を抑えること。」と書いてある。


僕は、これが本当に苦手。

恥ずかしい話ですが、不平や不満、不安があると、僕はすぐに表情や言葉に出してしまう。

また、お腹が空いたら我慢できずにすぐ手を出してしまうし、腹八分目でいいとわかっていながら必要以上に食べてしまうなんてことがよくある。



さらに、「自制」をもっと広く捉えるなら、自分が神様から与えられているものすべてについて言えると思う。

この身体。

この心。

与えられている時間。

委ねられているお金。

神様は、その人の一時の感情や、欲望のままにこれらを用いることを喜ばれない。


そうではなくて、それが本当にベストな使い道なのか、落ち着いて吟味し、一つずつを神様に感謝して積み上げていくことを願っておられる。



聖書には、こんな言葉がある。

「自分の心を制することができない人は、
 城壁のない、打ちこわされた町のようだ。」

 箴言25章28節


自分を制することができない限り、自分の心にも、自分の周囲にも本当に素晴らしいものが建て上げていくことはできないということだ。




うん・・・・・・・・・・・・




それは困る!!!!笑



僕は、これからの人生に、めちゃくちゃ期待している。

神様が、僕の心に、僕の周囲に、想像もしていなかったほどの素晴らしいものを建て上げて下さることを期待している。

ワクワクしている。


そのためにも、僕は今どうしても、「自制」を身に着けなければならない。

そして、「自制」ができない自分に徹底的に向き合い、神様に内側から変えていただかなければならない。




僕は、今日のことを通して、最初は「自制」について書こうと思った。

しかし、書き始めながら神様の意図はそうではないことを感じた。

きっと、この記事を読んで下さっている一人ひとりに、それぞれのステージがある。

そのステージは、それぞれ全く異なるはずだ。


僕の弱さは、あなたにとっては既にクリアした問題かもしれない。

同じように僕には分からない問題に、あなたは今向き合っているかもしれない。


でも、僕もあきらめないから、あなたもあきらめないで向き合い続けて欲しい。

今向き合っていることから逃げ出さず、最後まで歯を食いしばって。

神様は、あなたが想像しているよりはるかに素晴らしい計画を、あなたのために用意しておられる。


うん、今日はこの辺で!

おやすみなさい。

まだまだ自分が王様。

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