Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

主に喜ばれる「しもべ」


今日は、主日礼拝でした。
今日のメッセージは、私のために語られていると思うほど、
多くの示しと学びがありました。



私は最近、焦っていました。急いでいました。
早くキリストの似姿へと変えられたい!
早く召命が与えられ、キリストを証していきたい!


「熱心」に聖書を読み、「熱心」に祈っていたのは事実です。
しかし、私はやはり神を中心にしていませんでした。
自分の分をわきまえず、自己中心に生きていました。


私は、あくまで「しもべ」にすぎません。
イエス・キリストという主人に仕える「しもべ」です。
しかし、祈りを振り返ってみると、焦燥感の中で
「主よ!私はあなたのためにこれこれします!」
「主よ。あなたのために、○○した方がよいですか?」


こう祈っていたように思います。


でも、これは主が喜ばれる姿ではありませんでした。
私はしもべです。
主がお命じになったことを、私はただ忠実に行えばよいのです。
主が私に与えてくださったものを、素直に受け取ればよいだけなのです。

それなのに、私は主人に意見するようなおせっかいなしもべでした。
一方で、本当に目の前の一つひとつの仕事に忠実に向き合えていたかといえばそうではありませんでした。
日ごろの勉強など、ないがしろにしていた部分がありました。


私がすべきことは、大きなことを夢見ることでもありません。
焦ったり、急いで躍起になったりすることでもありません。

ただ、主の声を求めること。主の声に心を研ぎ澄ますこと。
そして、聞こえた主の声に従順に聞き従うこと。
一方で、与えられた環境において日々誠実に生きること。
これが私がすべきことです。



もう一つ、礼拝を通して学んだことがありました。
それは、「感情によってではなく、信仰によって主に従う」ということです。

私は、今まで「感情」という変化するものに身をゆだねていました。
神の臨在が目に見えてわかるときは熱心に祈りました。
一方で、神のみこころがなかなか分からず、
途方にくれるときには、心から聖書を読めていませんでした。
これも、主が喜ばれる姿ではありませんでした。


どんな感情であろうと、どんな状況であろうと、
いつも主に従う信仰を持たなければなりません。

主の御心がわからなくても、
自分の思いや行いとは裏腹に物事が順調に進まなくても、
いつも主を第一にする信仰を持たなければなりません。


主に喜ばれる者。
それは、忠実な「しもべ」
それは、感情ではなく信仰によって従う「しもべ」

今週一週間、主に喜ばれる者となれるよう、
私は学んだことを忘れずに歩みたいと思います。



主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。
                  エペソ5:10

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