Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

クリスチャンの原動力 ~希望と励まし~

今日、ふとしたときに「クリスチャンの原動力」について考えてみました。
なぜなら、正直なところ、毎日クリスチャンであり続けることはそう容易いことではないからです。


常に、見るもの、聞くもの、取り入れるものを選別しなければなりません。
欲や情動によって動く心と体を、御霊にあってコントロールしなければなりません。
これは、非常に根気と体力がいることです。
常に神経を集中させなければなりません。

また、聖書に書いてある通り、クリスチャンとして生きることは非難や中傷の対象になることはざらにあります。
この世の流れと逆行する考え方、生き方ですから、後ろ指差されることは当然です。

さらに、クリスチャンは大きな失敗は赦されません。
もちろん人間皆罪人であり、心の中に悪い思いを抱いてしまうことはありますし、言わなくても良いことを言ったりと失敗することだってあります。
しかし、「大きな」失敗はできないのです。
信頼は勝ち取るには長い年月がかかりますが、
崩れるのは一瞬だからです。

私という人間のせいで、
「あいつクリスチャンなのに、○○したらしいぜ。
 どうせクリスチャンなんてあんなものか。」
というように、「クリスチャン」を、「イエス・キリスト」を下げるわけにはいかないのです。


でも、私だって人間です。
クリスチャンだって人間です。
クリスチャンとして生きることが、しんどいと思ってしまうことがあります。
毎日毎日、見張られているような気がして疲れたと思ってしまうこともあります。


だからこそ、私は今日「クリスチャンの原動力」についてゆっくりと思い巡らしました。



そして、二つの答えが出ました。
それが、「希望」と「励まし」です。


まずは、「希望」
クリスチャンは何も、罪悪感を力として生きているのではありません。
焦燥感の中で、走り続けているわけではありません。
そんなものでは、人間弱いですから、走り続けることはできません。
クリスチャンが確固として持っているもの、それが「希望」です。

神さまがいつも最善を用意してくださるという希望。
神さまがイエス・キリストを通して罪を赦してくださるという希望。
そして何より、神さまが肉体の死の先に天国という最高の幸せを用意してくださっているという希望。

このような希望がなければ、走り続けることなんてできません。
希望がゆえに、クリスチャンはどんな逆風でも、荒波でも、
立ち上がりクリスチャンとして栄光のために生きるのです。



そして第二は、「励まし」です。
これはとっても大事なことなのですが、見過ごされやすい気がします。

神さまは、アダムを作った後に、こうおっしゃいました。
人が、ひとりでいるのは良くない。
 わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。

                     創世記2:18

私たち人間をつくられた神がこうおっしゃったのです。
すなわち、私たち人間は、一人きりで生きれるようには設計されていないのです。

賢者ソロモンも言っています。
ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。
 どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。

            伝道者の書4:9,10


ましてや、世の光・地の塩としてこの世に日々出て行くクリスチャンにとって、周囲の兄弟姉妹の祈り、励ましはかけがえのないものなのです。
私自身、今まで信友のことばでどれだけ支えられたか。
兄弟姉妹の祈りで、どれだけ心が救われたか。
この世の荒波で倒れそうな兄姉を見つけたとき、
私たちクリスチャンは率先して手を差し伸べていかなければならないとつくづく感じます。

「励まし」は、支えです。
「励まし」は、力です。



「希望」と「励まし」という2つの、クリスチャンの原動力。
これらを忘れては、走り続けることはできないのだとつくづく感じます。

ただし、忘れてならないことが1つ。
主にある希望と、主にある励ましだということです。

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