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いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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ペテロ

こんばんは!
また更新が遅れてしまいましたね(^^;

実は、ここ最近はインフルエンザにやられて寝込んでる日々が続いていたんです。。
高熱も辛かったんですが、タミフルを飲んだ直後の頭痛が本当に辛かった。
「異常行動」はしませんでしたが、変な行動をとってしまう気持ちが少し分かったような(T-T)

実は、寝込んだ日々は身体的だけでなく精神的にもとっても辛いものでした。


そのことをどうやって伝えたらいいんだろうか?って思い巡らしてる中で、今日の礼拝のメッセージがありました。
そしたら、ペテロっていう一人の弟子のストーリーがびっくりする位リンクしました。
だから、ここでは敢えて、聖書の中のペテロという人のことを書こうと思います。


ペテロって人は、本当に情熱的。感情的。めちゃくちゃまっすぐ。
感情がすぐオモテに出ちゃうし、思ったことはすぐ口に出しちゃう。


ある時、イエスさまが弟子たちの足を洗われた時、ペテロはすぐに、
「いやいや、イエスさまに足を洗っていただくなんて恐れ多いです!やめてください!」
って言ったのに、イエスさまが、
「もし足を洗わなかったら私とあなたは何も関係がないですよ?」
って語られると、
「えぇっ!?そしたら足だけじゃなくて体ももっと洗ってください!」
って言っちゃったり(^^;

僕はこんなペテロの姿を見るたびに、
「僕はこんな風に感情をオモテに出さないよ。もっとうまくやるよ。」
って思ってました。


でも、ペテロって本当にまっすぐだから、
「イエスさまのことを一番慕ってるのは俺だ!」とか、
「イエスさまに何かあった時、他のやつらが逃げていっても、俺は絶対に逃げない!」
って、いつも言ってて、そんなペテロのことを、イエスさまは心から愛していました。

だから、ペテロにとってイエスさまは、本当に人生の全てでした。人生の光でした。
きっとペテロはイエスさまの横にいれて、その姿を間近で毎日見れて、最高に幸せだったんだと思います。



でも…そんな日々は続かなくて、イエスさまは予め弟子たちに伝えていた通り、ユダヤ人の人たちに捕らえられて十字架にかかる日が来たんです。
真っ暗闇の中、たくさんの兵士がイエスさまを取り囲んだ時、弟子たちは恐れて逃げ去りました。
それは、ペテロも例外じゃなくて逃げちゃったんです。

でも、ペテロの心には、「他の弟子たちとは違う。俺はイエスさまから離れない。」っていうプライドがあったんでしょう、ちょっと離れて捕らえられたイエスさまに着いていくんです。
そして焚き火に当たりながらイエスさまを見てた。

そんなとき、周りの人たちがざわめきました。
「お前、あのイエスってやつの仲間だろ!」
ペテロは、反射的にこういってしまいました。


「いや、違うよ。全く関係ないよ。あんな人知らないよ。」


ペテロは恐怖の中で、自分の人生の全て、希望の光であるイエスさまのことを「知らない」「関係ない」って言ってしまうんです。

ペテロは泣きに泣き、絶望に打ちひしがれました。
ペテロの心の中にあった「イエスさま」という光が消えてしまったから。
人生の全て、希望の光、そんな存在がペテロの心から消えてしまったんです。


そして、時は満ち、イエスさまは十字架にかかられて、死なれました。





ペテロは絶望の中でさらに、自分の命も狙われて、人目のつかない所に隠れていました。絶望の中の絶望。
ペテロの心には、光の一筋も見いだされない状況でした。

そんな中、イエスさまのお墓に行っていた人が、「イエスさまの遺体がなくなってる!」と伝えるんです。
ペテロは走りに走ります。
複雑な心境の中で、息を切らせて遺体が収められていた洞窟になだれ込みました。
すると、確かにイエスさまの遺体はなくなっていました。



そして、戻った弟子たちの前に、復活されたイエスさまがその姿をお見せになりました。

弟子たちを見回してイエスさまは言いました。
「平安があなたがたにあるように。」

ペテロの心は、喜びと同時に、イエスさまの目を直視できないような複雑な心境でした。


そんなペテロの目を、イエスさまはしっかりと見つめて言われました。
「あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか?」

以前のペテロなら、
「イエスさま、何言ってんですか!当然でしょ!俺がイエスさまを思う気持ちはこいつらに負ける訳ありませんよ。」
と言っていたでしょう。


けれども、「イエスなんて知らない」「関係ない」と、自ら希望の光を絶った今のペテロにそんなことは言えませんでした。
そして静かに、言いました。

「はい。私があなたを愛することは、あなたが知っておられるはずです。」

イエスさまはこの後同じ質問を二度されます。
その眼差しは、決してペテロを責める目でも、咎める目でもなく、愛に満ちた目でした。


三度目に質問された時、ペテロはこう言います。
「あなたはいっさいのことをご存じです。」


ペテロは、こういうことしかできませんでした。
捨ててしまった人生の全て。
閉ざしてしまった希望の光。
それを知った上で、見捨てないイエスさまを前に、ペテロにもう誇れるもの、強がるものは何もないと知るんです。


一度消えた希望の光はもう一度、さらに光を増して、ペテロの心に注ぎました。
弱さ、欠けだらけ、ボロボロの自分。それでも、イエスさまの光の中に留まることができたら、それでいいんだってペテロは思いました。
ペテロは、本当に幸せでした。




僕も全く同じ体験をこの寝込んだ日々で過ごしました。

僕は今、本当に幸せです。
何かを持ってるから、何かができるから、そんなことじゃなくて、ただイエスさまという光の中を生きることができることが幸せです。

まだまだ欠けだらけの僕ですが、イエスさまを見つめ続けて生きたいと思います。


人は心に自分の道を思い巡らす。
しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。

箴言16:9

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