Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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誠実さ

おはようございます。

昨日は礼拝の後、男性だけの聖書の学びがありました。
テーマは、「リーダーシップは“誠実さ”である」

牧師含め参加された6人の兄弟の内、独身は僕一人。更には皆さんパパ。
信仰の大先輩に囲まれ、恐縮しながら学びをさせていただきました。

そして家に帰ってきてからもずっと、学びを通して問われた「誠実さ」っていう言葉がグルグル頭を回りました。

「ここ最近の僕は、どれだけ神さまに対して誠実だっただろうか・・・」
思い巡らす僕の心には、平安がありませんでした。

そして眠りにつき、不思議と朝早くに目が覚めました。
今朝のデボーションはエレミヤ19章でした。
すると、あるみことばが心に留まりました。

「イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。
 『見よ。わたしはこの町と、すべての町々に、
  わたしが告げたすべてのわざわいをもたらす。
  彼らがうなじのこわい者となって、
  わたしのことばに聞き従おうとしなかったからである。』」
    エレミヤ19:15


僕の心に言葉にできない恐れが迫ってきました。

はっきりと、僕自身こそ「わたし(神)のことばに聞き従おうとしない者」だと悟ったからでした。


確かに、毎朝聖書を開いていました。
あらかじめ決められた通読個所を読み進めていました。
しかし、読み進める僕の心には、神さまへの恐れ、聞き従う思いはありませんでした。

そして、自分の耳に易しい言葉だけを拾っては、心に根付かせずに過ごしていました。

ちなみに、エレミヤ書を読み進めながら、僕はいつも、
「どうしてこうも、イスラエルやユダの民は、心をかたくなにして、神さまの真実の言葉に心を留めないのだろう」とさばいていました。

しかし、さばいていた張本人こそが、全く神さまを恐れず、聞き従わぬ愚か者でした。

そのことに気付かされたとき、近頃僕の心に、本当の意味での平安がなかったことに納得しました。
僕は、知らず知らずの内に、またもや自分中心に生き、自分の思いと願いとのままに生きていたことを気付かされました。


僕は、祈りました。
「神さま、本当に、本当にごめんなさい。
どうか、僕からあなたの義の右の手を遠ざけないでください。
イエスさまの十字架の血潮によって僕を救ってください・・・僕を見捨てないでください。」


どうしてこうも、何度も同じ罪の中に陥ってしまうのか・・・

そんな自分自身に対して絶望しそうになってしまう一方で、こんな僕でもあきらめず、見捨てずに救ってくださるイエスさまにあって・・・僕はもう一度歩み直します。

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