Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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二つの中心

こんばんはー

うーん、いまの気分はこのトーンの通りです。笑

時たま訪れるあまり元気の出ない時期のやつです。



ここ数日間そんな感じで、テレビ見たり、早く寝たりして、なあなあにやり過ごしてみたけれど。

結局はそれじゃ根本的な解決はできないってことに、いつもと同じように気づき。

今日は仕事終わりに、近くの総菜屋さんで弁当を買って、マックに来て、ぼーっとしている。


全然関係ない話だけど、お弁当買ったのはいいものの、食べる場所がなくて近くの公園に行ったら。

この時期だから当然なんだけど、大量の蚊に囲まれて、両手合わせて6個くらい刺された。

そんな自分で撒いた種なのに、別に蚊は悪くないのに、イライラした自分、情けない。笑



こんな情けない自分を哀れに思い。

マックに来て、どうしたもんかなーと考えてた。

そもそも、僕は考えることが癖で。

考えないで何かをすることがむしろ苦手で。

考えることがプラスに働くときはいいんだけど、今みたいにネガティブな時は「考えすぎ」っていう良くない面が出てきてしまう。

本当に、何事も良いところと悪いところがあるもんだ。



そして、考えすぎな自分を落ち着かせようと、さらに考えるわけだが。

考え方で自分の気持ちを無理やりポジティブにしようとしたところで、結局根本的には解決されない。

それも、もう何度もやってきたから知ってること。笑



この時期は、ネガティブだったり、敏感すぎだったり、考えすぎたりする自分を、それが「自分」なんだなぁってそのままで受け止めるしかないんだよな。

分かってる。

だけど、やっぱりこの時期はしんどいなぁーーー



そんな今日、僕は何を書こうかと考えていた。

実は、ここ最近書きたいと思うことがたくさんあった。

でも、結構壮大なテーマで、中途半端には書けないから。

今日は、その中でも自分の考え方を大きく変えた、素敵な言葉を紹介する。



その言葉を教えてくださったのは、同じ病院にかつて勤務されていた小児科の先生で、今は重症心身障がい児の施設に勤務していらっしゃる。

この間は初めてゆっくり話したにも関わらず、もうとめどなく会話があふれた。

本当に楽しかった。



この言葉は、もともと内村鑑三が残した言葉だそう。

「真理とは中心が一つの円ではなく、中心が二つある楕円である。」


なんちゅー言葉だ・・・

先生は教えてくれた。

「この言葉を知っていると、考え方が本当に柔軟になるよ。私たちは知らず知らずのうちに、『真理は1つだ!』と思い込んでいる。そこに縛られている。でも、聖書を読んでも、神様は旧約聖書で『義と裁き』を教え、新約聖書で『愛とゆるし』を教えている。どちらも欠けてはいけない大切なもの。」



うんうん。。。



まさに、僕はこれまで「真理は一つだ!!」って思ってた。
ずっとそう思って生きてきたし、それこそシンプルだと思ってた。


でも、どうだろう。

クリスチャンの僕らの具体的な生活に落とし込めて考える時、この言葉は心に深く迫ってくる。


『義とさばき』だけをことさらに強調するクリスチャンを、あなたはどう思う?

「イエス様を信じないと、天国に行けないよ!」

「あなたが今していることは、間違っているよ。滅びに至るよ!」

確かにそうだ。聖書にも書いてある。
でも、そんなことだけを言っている人に、誰が近づくだろう。
「あいつといると、なんだかさばかれているような気持ちになる。」
「あいつといると、なんだか気持ちが暗くなる。」

そう言われても仕方ないと思う。

実際、俺にもそんな時期があったなー。
もちろん、こんな直接的に言ったことはないけど、「善と悪」をイチかゼロかで分けていた。
そして、自分の周りの人たちを評価すると同時に、同じように自分のことも評価した。


本当に息苦しかった。
正直言って、人のことをとやかく言えるほど、自分は全く「良い人」ではなかったから。


そして、言葉にはしていないけれど、そんな僕の後ろ姿や醸し出す雰囲気で、「うっ」って息がつまりそうな思いをした人もいたと思う。いや、今もそういう危険がある。



一方で。
『愛とゆるし』だけをことさらに強調するのもどうかと思う。

「クリスチャンは最高だよー!!あなたの罪はすべて許されるよー!!」
「ありのままでいいんだよー。必要なものは与えられるよー!」

これも確かにそうだ。
聖書に書いてある。


だけどもだけど、これだけを強調するクリスチャンは、僕は無責任だと思う。
だって、信じたら、あとは何の苦労もなく生きていけますよ♪ってわけじゃないから。

むしろ、信じる中で、イエス様は愛するがゆえにその人の心の奥底まで迫ってこられて、今まで見ないようにしていた問題を明らかにされたり、場合によっては何かを手放したり、忍耐することも求められる方だから。




今は、「義とさばき」、「愛とゆるし」っていう神様の二つの中心について書いてみたけれど。

このことだけじゃなく、いろんなことに言えるんだと思う。



もしかして、今の僕の状況もそうかもしれない。


僕は、「もっと強く、もっと自由に!」と自分に言い聞かせて生きてきたから。

だから、今みたいに自分の弱さを自覚する時間は、なんとも言えない虚しさや悲しさを感じていたけれど。


本来ならば、これで当然なのかも。

僕自身という人間の中に、「強さ」だけが磨かれていくことが神様の願いではないのかも。

むしろ、「弱さ」も知り、受け止めることで。

人の「弱さ」に共感し、本当の意味で隣に立つことができるのかも。



あーーーーー、またブログを通して心にちょっと光が入った。


もし、あなたも自分の好きじゃないところで悩んでいたりしたら、「二つの中心」を思い出してみて。

「強さ」と「弱さ」。


それがあって、僕らは本当の意味で「人間」なのかも。



ではではー!!

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