Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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ことばが人となる。

こんばんは。

ご無沙汰しております。


北海道の旅を終えて、大阪に戻り、早いもので1週間が経ちました。

旅の疲れか、戻ってから体調を崩し気味です。

体調と一緒に気持ちも崩れそうになりますが、祈りつつ、一日一日を、丁寧に、大切にしていきたいと思っています。



昨日と今日は、重症心身障がい児者(以下重症児者)の勉強会に行ってきました。

とてもためになる勉強会でした。


ただ、分かったことは、

「重症児者を取り巻く環境は、本当に複雑で、本当に難しい」

ということでした。


重症児者はあらゆる境界線の上に置かれています。



家族とスタッフ。
(必要とされるスタッフの種類・数は簡単に書き表すことができないほどです。)


行政と民間。


医療と福祉と教育。


児(18歳未満)と者(18歳以上)。


法律と法律。



決して、一元的に解決することはできません。

それらを取りまとめ、コーディネートする人材が、今日本で求められています。

実は、僕はそういった仕事をしていきたいと思っています。

しかし、それは神様の御手にあります。
神様が示される道に、忠実に従うことが、僕のすべきことです。



重症児者について、僕には2つの信念があります。


1つは、これほど複雑で、難しい、重症児者が本当に笑顔になれる社会は、全ての人が笑顔になれる社会だということです。

重症児者の一人ひとりにきめ細やかなサポートをできるように尽力していていくことが、日本の全ての、弱い、困った人たちをサポートするためのきっかけになると信じているのです。


もう1つは、重症児者は、神様が本当に愛されている人たちなのだということです。

これは、言葉にすることは難しいですが、近くにいると、神様がお一人おひとりを愛しておられることを感じるのです。




また前置きが長くなってしまいましたが、今日のテーマについて書きたいと思います。


僕も本気でクリスチャンとして歩み始めて、まだ浅い未熟な者ですが、それでも、これまでの日々の中で確かに神様は僕を成長させてくださいました。

神様が、僕をイエス様の似姿へと一つひとつつくり変えて下さっていることを、感じるのです。

リアルタイムで、実感しているわけではありません。

でも、ふとした時に自分の歩んできた道のりを振り返ると、確かに神様は僕を成長させてくださったのだと感じます。


クリスチャンにとって、「成長」とは何なのでしょうか。

「イエス様に似た姿に変えられていく」とはどういうことなのでしょうか。


そのようなことを思いめぐらしていた時に、ふと思い出されたのは次のみことばでした。

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。

私たちはこの方の栄光を見た。

父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。

この方は恵みとまことに満ちておられた。」


ヨハネの手紙1章14節


「ことば」とは、イエス様のことを表しています。

イエス様が、私たち人間の中で住まわれ、神の御子として生きておられることを示しています。


「ことばは人となる」

「みことばが人となる」

この表現が、僕の中でとてもしっくりきました。


僕らが、成長していくこと、イエス様のように変えられていくことは、僕らのうちで神様のことばであるみことばが人となっていくことなのだと感じました。



クリスチャンはよく、みことばを「パン」に例えます。

人間がパンすなわち食べ物を口にしなければ、いつかは死んでしまうように。

クリスチャンも、一度救われて新しいいのちが与えられたとしても、みことばという目に見えないパンを食べ続けなければ、力を失ってしまいます。



それでは、みことばをただ読めばよいのでしょうか。

ただ毎日聖書を読めば良い、聖書の箇所の一部を暗記すれば良いという単純な話なのでしょうか。


これも、体に置き換えて考えると分かりやすいです。

食べ物も、ただ食べれば良いというわけではありません。


食べて、消化して、吸収して、始めて僕らの力や成長の材料になります。


同じように、僕らはみことばを消化し、吸収しなければなりません。

ただ、それはすべて神様がしてくださることです。

神様が、僕らが口にしたみことばを、僕らの日々の生活・人間関係を通して、しっかり消化し、吸収できるようにしてくださいます。


僕自身、これまで机の上で学んだだけのみことばは、本当の意味で僕自身の力とならなかったことを思い出します。


生活の中で。

人間関係の中で。

実践して。

失敗して。


その中で、神様はみことばを消化・吸収させてくださいました。

本当の意味で、消化・吸収したみことばは、僕の力となり、盾となり、剣となりました。


これこそ、僕の中で「ことばが人となる」経験でした。


ただ、最後に一つ大切なことをお伝えしたいと思います。

これまでも何度かお伝えてきたことですが、

「ことばが人となる」時間は、

種が芽を出し、成長し、やがて花を咲かせるようにとてもゆっくりだということです。


そんな、リアルタイムには分からないかもしれません。

でも、確かに神様は僕らのうちに落とされたみことばの種に、

生活や人間関係という栄養や水分を加え、

そして花が咲くように僕らの中で力と変えてくださいます。



みことばは、僕らの力です。

みことばは、僕らを守ってくれます。

みことばがなければ、僕らは立ち続けることができません。

この日本で、日々みことばを握り、クリスチャンとして日々成長させていただきましょう。



おやすみなさい。

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