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いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

「愛がなければ」

こんばんは(^^)

ご無沙汰しております。
元気にしています♪

これまでも何度かブログを書き始めては、最後までことばにならずに書ききれないことがありました。
今夜は、先日7月の下旬に、勤めている淀川キリスト教病院の朝礼でしたメッセージの箇所を載せたいと思います。

このことばを通して、イエス様の喜びと自由を受け取る人がひとりでも多く与えられますように。

おやすみなさい!





「愛がなければ」

「全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。」Ⅰコリント13章3節(新共同訳)


私は、淀川キリスト教病院で2年間の初期研修を終え、今年の4月から小児科で勤務している佐々木満ちると申します。

今朝は、今年の4月から3カ月間ローテートしたNICU(新生児集中治療室)で気付かされたことを、皆さんと分かち合いたいと思います。

NICUといえば、今年の1月に放送された「コウノドリ」というドラマを連想される方もいらっしゃるかもしれません。
このドラマは、日本の産科・NICUで実際に起こっている問題を的確に取り扱っていて、毎回視聴率も高く、大きな反響があったと聞いています。僕も、このドラマの第1話を見ました。
そこでは、産科・NICUの現場が多く映されており、当時まだ研修医だった私は、このドラマを見ながら、「春からこの場所で自分も働けるんだ!」とワクワクしていたことを覚えています。

そして4月になり、いよいよNICUで働き始めました。
待ちにまったNICUの現場です。最初の何週間かは溢れ出るやる気とあり余ったエネルギーとで、毎日を充実して過ごすことができていました。

けれども、少しずつ、溢れ出ていたはずのやる気は、自分の無力さを前に陰りを見せ、あり余っていたはずのエネルギーは消耗していきました。

それまでの初期研修の2年間は、20歳を超えた成人の患者さんと接する機会がほとんどでした。
しかし、NICUで見ているのはもちろん赤ちゃんです。大きい子でも3000グラム程度、小さい子は数百グラムにもなります。その中で、それまで通用していた知識や技術、コミュニケーションのスキルのほとんどが役に立たなかったのです。

たとえば、コミュニケーションひとつに注目しても、これまでは成人の患者さんと接していた時は直接お話できることがほとんどでした。
「今、何が一番しんどいですか?」「どこが痛みますか?」「退院後どうしたいですか?」
と、患者さんの求めておられることを直接その口から聞くことができました。


しかし、NICUで向き合う赤ちゃんは、当然自分の口で語ることができません。そこでは、その子のわずかな表情、バイタル、全身状態の変化を敏感に察知し、迅速に対応する必要がありました。
さらに、その赤ちゃんに対して、大きな期待と大きな不安を持っておられるご家族が、すぐ横におられます。私は最初、ご家族に対してどのタイミングで、どのような言葉をかけたら良いかも、全く分かりませんでした。

そして、徐々に私の心は、自分の無力さという大敵を前に弱っていったのです。

「どうして、うまくできないんだろう。」
「周りのスタッフに迷惑をかけてばかりじゃないか。」

ネガティブな思いがどんどん押し寄せては、息苦しくなりました。
そして疲れ果てて家に帰っては、すぐに横になり、また朝が来る。そんな日々が続きました。


疲れ果てた私は、ひとり静かに祈ろうと思いました。
私には、神様の助けが本当に必要だったのです。神様のことばが、神様の温かい心が、本当に必要でした。
ひとりで、小さな部屋に入り、壁にもたれかかって祈りました。

その時、僕の心に与えられた聖書のことばが今日の箇所でした。
「全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。」Ⅰコリント13章3節(新共同訳)

このことばが、何度も心に響きました。
そして、僕の心に一つの問いが湧き上がってきました。

「果たして、今の自分の心に、愛はあるのだろうか?目の前にいる患者さんを、赤ちゃんを、ご家族を、周りのスタッフを、そして横に居てくれる妻を、愛する思いがあるだろうか?」


私の心は、目の前にあるやるべきこと、やらなければいけないこと、やりたいことという、自分の思いでいっぱいでした。そんな私の心は、この世界で一番大切な、目の前にいる人を愛する心を忘れていました。


今日の聖書のことばを、注意深く読むとき私は重要な事実に気付かされます。
このことばを裏返すと、私たちに愛がなかったとしても、私たちは全財産を貧しい人々のために使い尽くすこと、すなわち「良いこと」ができるということです。

医療の現場でも、今回私が気付かされたように、そこに愛がなかったとしても、目の前にいるひとりひとりを心から大切に思い、幸せを願う心を持てなかったとしても、仕事はできます。それでも、日々は過ぎ去っていきます。

しかし、それは「何の益もないこと」だと聖書ははっきりと教えています。

私は、この聖書のことばに出会って、ハッとしました。
そしてさらに祈り続ける中で、まず、こんな私自身が、自分のことでいっぱいになってしまう私自身が、神様に心から愛されているのだということを再確認しました。
そして、今ここでしっかりと自分の心を見つめ直し、やるべきこと、やらなければいけないこと、やりたいことだけに集中するのではなく、まず自分の目の前にいる赤ちゃんを、そのご家族を、スタッフのひとりひとりを愛する心を一番大切にしようと決めました。


愛する心が大切なのは、医療の現場だけではありません。
プライベートでも、家庭でもそうです。
私が、たとえこの人生で大きな偉業を成し遂げても、たくさんの人に評価されたとしても、たとえ多くの富や、地位、権力を手にしたとしても。
私の横にいつも居てくれる妻を大切にしていなかったとしたら、支えてくれている親友たちとの関係をないがしろにしていたら。
そこに愛がなかったら、私の人生は本当にむなしく、悲しいものだと思います。


逆に、どんなに小さなことであったとしても、たとえ人目につかず評価されなかったとしても、そこに愛があるならば、神様はその人の心を見ておられ、それを価値あることとして評価してくださいます。

最後に、今日の聖書のことばの結びをお読みします。
「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」
Ⅰコリント13章13節(新共同訳)

いつまでも残るもの、永遠に残るもの。
そして、この世界で最も大いなるもの、最も素晴らしいもの。
それが愛です。

愛をもって、今日の一日を、この人生を生きていきたいと思います。

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