Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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親切

こんなことを自分で言うのは恥ずかしいですが、
私は自分のことを今まで「親切な人」だと思っていました。


病に臥す友人がいれば、その人のところへ食物を持って行き、
入院した友人がいれば、見舞いに行き、
困っている人がいたら話しかけて助けてやり・・・


当たり前といってしまえばおしまいですが、
それでもこういったことを行える自分は、
少なくとも不親切ではないと思っていました。

義の実の一つである「親切」を、私はもう体得していると自負していました。



けれども、違いました。
全然、違いました。


イエス・キリストが教える親切の「し」の字さえ、
私にはできていませんでした。


振り返れば、いつも私は見返りを求めた「親切」でした。

上記のようなことを行うときには、
「誰か見てないかな?それで俺の評価が上がらないかな・・・」
「俺は前○○をお前にした。だから、お前も○○すべきだろ!」

そう思っていましたし、口にしていたこともありました。


そして何よりも、自分自身を愛し労わるように、
周囲の人を愛し労わることができていない事実に気付かされました。

自分のためだったら、どんなことも頑張ります。
頑張った結果が自分に返ってくるのですから。
しかし、それと同じほどに、それ以上に相手を思いやり、
相手のために心から親切にすることはできていませんでした。
結局自分大好き人間でした。



そんなとき、私は歴史上最も「親切」だった方を思い出しました。

イエス・キリストです。


イエスさまは、いつも哀れみを持っておられました。
足なえの人がいれば癒し、
盲人の人がいれば見えるようにし、
お腹を空かせた人がいればいっぱいにしました。
そして、自分以外の全ての人の罪のために十字架にかかられました。


イエスさまは一度たりとも、
「私は○○をしてきた。それに見合う見返りを出せ!」

などとは言われませんでした。

無条件の、アガペーの愛でした。



私は今まで、ずっとこの「無条件の愛」、「アガペーの愛」
をあまり理解できずにいました・・・。


しかし、今主に気付かせていただいたように思います。

私は、イエス・キリストを見習い、
見返りを求めず、自分を愛する以上に周りの人を愛する者となりたいです。
本当の意味で、イエス・キリストが示した、「親切な人」となりたいです。


主よ。素晴らしい気付きを与えてくださって感謝します。
あなたの尊き御名をほめたたえます。

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