Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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先輩のことば

主は不思議な方で、
押し黙るときは私が聞いても教えてくださりませんが、
教えるときは私にあふれるほどの学びを与えてくださいます。

私には、松本務さんという尊敬するクリスチャンの方がいます。
彼は私のことを知らないと思いますが、
私は以前から彼のの活動やことば一つ一つに、
信仰の先輩として多くのことを学ばせていただいてきました。


彼はブログのみならず、「ツトムデボ」という無料メルマガも配信しておられます。
是非、チェックしてみてください。

http://tsutomuj.blog85.fc2.com/


その「ツトムデボ」の171番目のメールにまさに私が今、必要としていることが書かれてありました。



以下抜粋
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日本のミニストリーの現場に出て、日々実感することがあります。
それは、日本でのミニストリーは、へりくだること。自分に死ぬことが求められるということ。
キリストに従う道というのは、自分をかっこよく見せることではなくて、時間、お金、いろんなことを犠牲にして成り立つ道だということです。

 イエスキリストは神です。彼は神であってそれまですべての栄光を受けられていたのに、王様として天に君臨していたのに、あるとき人間としてこの世に下って生まれることを選ばれました。
いや、それだけじゃない。地上にやってくるどころか、この世の人達からののしられ、バカにされ、つばをかけられ、ムチで打たれ、服を脱がされ、惨い死刑:十字架刑で殺されるまでにへりくだられた。
何故でしょうか。何故そんな一番高い所にいた方がいっちばん低いところまで、下っていったんでしょうか。
 それは、彼が私たちを愛していたからです。
 それが彼の愛の形なんですね。
 キリストは私たちを愛していたから、いっちばん下まで下って来て、わたしたちと同 じ姿になってくださって、
私たちの汚い部分を、私たちの恥を、私たちの罪を背負って死んで下さった。
私たちと同じ立場で、私たちの罪を背負うために、神が下ってこられた。
これが福音です。
そしてその福音を信じ、自分もキリストに似たものとして歩いて行くって決めた人。
それが、私たちクリスチャンです。
 それではクリスチャンとして、キリストに従う者としての私たちの使命は何でしょうか。
私たちのボスであるキリストが示してくれた模範はなんでしょうか。
それは、へりくだり、愛するってことだと思うんですね。
華やかな舞台を求めるじゃなく、お金や地位や名誉を求めることではなく、キリストの御名が讃えられるために、自分はへりくだること。
愛することは、へりくだること。
愛することは、傷つくこと。愛することは、自分を捨て、その愛する対象の人に仕えること。
 キリストに従う道は、華やかに生きる事を求めることじゃないです。
目立ち、地位を築き、力を得ることではないです。
キリストに従う道っていうのはこの世の 人から素晴らしい!って賞賛されることとは逆なんですね。
往々にしてそれは「こんなの回り道だ!」と効率悪く思えることだったり、
「全然意味ない」って思 える小さい事だったりする。一般の人からみたら、「負け組」のレッテルを貼られる道かも知れない。
でも、神の価値観で生きるとき、この世的に失敗だと思わ れていても、神様が高めて下さるんですね。
マザーテレサっていう名を知らない人はいないと思います。彼女は何も有名になろうなんて思っていなかった。
ただ、ひたすら目の前の貧しい人を愛したんです。
でも気付いた時にはノーベル平和賞を受賞して、亡くなられた今でも世界中の人にものすごいインパクトを与えている。
彼女は言うんですね。
「私たちには、大きな働きはできない。ただ小さな働きを大きな愛でできるのだ。
どれくらい大きなことを成すのかが問題ではない。どれくらいの愛をその中で示すかが問題なのだ。」

  人の目に華やかな事ではなく、神の目に輝きを与える行動。
そしてそれは往々にして人の目に対して大きなこととして映らないこと。
もしかしたら誰も気がつか ないかも知れない。
でも私たちが、地上に下って私たちと同じ姿になられたキリストをしたい、その受肉されたキリストの姿に習う時、
私たちは、キリストの示 した模範を生きるようになります。
そしてその私たちから、キリストの香りが溢れ出て、そこに神の国が作られて行くんだと思います。


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この文章を読んで、私はあるみことばを思い出しました。
だれでもわたしについて来たいと思うなら、
 自分を捨て、日々自分の十字架を負い、
 そしてわたしについて来なさい。

              ルカ9:23



私はイエス・キリストに従うことを決めました。
私はイエス・キリストに全てをささげることを決めました。

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