Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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へりくだり


今日の礼拝も、主に祝福された素晴らしいときでした。
神さまとの深い交わり、兄弟姉妹との交わり、奉仕、賛美、学び、
礼拝ほど素晴らしい時間はありません。


今日のメッセージのタイトルは、
「再起させる恵みの力」
聖書箇所は、Ⅱ列王記6:1~7でした。


もう聖書を読み始めて20年近くになるのに、
まだまだ聞いたことがない話、読んだことない聖書箇所があります。
もっともっと聖書を読まなければダメですね。
今日の箇所は、初めて読んだ箇所でした。


新しい住居を建設する途中に、
借り物だった斧の頭を川に落とした若い預言者。
彼は叫び、嘆きます。
しかしエリシャは、小さな枝を川に投げ込み、
斧を浮かびあがらせます。



私は最初、この聖書箇所をよんだとき、
ここから何を学ぶんだろう・・・と思ってしまいました。
「良かった良かった!ハッピーエンド♪」
でおしまいではないか・・・そう思いました。


しかし、メッセージを聞く中で、
この若い預言者がまさに私だと気付かされました。


第一に、彼は慢心していました。
「私が建てる!」
「私の力でやる!」
現に、一人一本ずつ材木を切り出せば良かっただけなのです。(2節)


第二に、彼は「借り物」だということを忘れていました。(5節)
自分のものではなく、借り物だと知っていたなら、
もっともっと丁寧に扱ったでしょうし、
川から離れてやったでしょう。


第三に、彼は斧を研いでいませんでした。
きちんと研いでおけば、斧の頭だけ飛ぶようなことはありませんでした。



この3点より何を学ぶことができるでしょうか。
神さまは何を語っておられるのでしょうか。

まず、決して慢心してはいけないことです。
自己執着してはならないことです。


自分という人間にできることは限られています。
自分に与えられている能力は限られています。
一方で、自分にはすべきことがあります。
自分に与えられている能力があります。

自分以上を発揮しようと躍起になることも違いますし、
自分以下に縮こまり、卑下し、行わないのも違います。


ただ主を見上げ、主が私に与えてくださった能力、目的に感謝し、
生きるべきなのです。
これが、「魂の慎み」です。



第二に、神からの借り物である、
能力や賜物を丁寧に、そして誠実に使うことです。
そして、いつもこの素晴らしい贈り物の持ち主であられる、
神さまを思い、感謝して用いるべきです。



第三に、これらをいつも研いでいなければならないということです。
能力・賜物はいつも備え、用い、鍛えなければなりません。
主に従う中で、大切に、大切に研ぐことで、
普段の生活、人間関係の中で最高の状態で用いることができます。




そして別の側面からも、この箇所は語ります。

借り物の斧の頭を落とした彼は、非常に恐れました。
非常に困りました。
しかし、主は見捨てませんでした。

斧の頭が水に浮かび上がる・・・
そんなことは物理的に考えてありえません。

しかし、主に不可能はありません。
山を動かし、海を分ける主に、できないことはないのです。


神は、絶対に見捨てません。
神は、絶対に見放しません。

罪を認め、悔い改め、へりくだるとき、
すでに主のみわざは始まっています。


心を尽くして主に拠り頼め。
 自分の悟りにたよるな。
 あなたの行く所どこにおいても、主を求めよ。
 そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
 自分を知恵のある者と思うな。
 主を恐れて、悪から離れよ。」

             箴言3:5-7

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