Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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目的の変化

実は、1ヶ月ほど前から父に、
「エペソ書を読みなさい!神の武具について再度学びなさい!」
そう言われていました。


しかし、テサロニケ人への手紙や士師記の通読を始めていたこともあり、
なかなか読めずにいました。

そして、今晩ようやくエペソ書を開き読み始めました。

ゆっくりゆっくりかみしめて、
心を静めて聖霊さまが働かれるのを覚えて、
エペソ書の1章を読みました。

すると、みことば1節1節が私の心に染みわたっていくのを覚えました。


この地をつくられた、全てを支配しておられる神は、
この地上に、御子であられるイエス・キリストを遣わされました。
そして、その愛する御子を十字架にかけることで、
その死、その血と引き換えに、私の罪を赦し、再度自分の子としてくださいました。


今、主の子どもとなった私は、
主が私のために最初から備えてくださっていたレールに戻りました。
ずっと、ずっとコースアウトしていましたが、
20年のときを経て、ようやく本来いるべきレールに戻ってきました。


私はこのレールを走ります。


このレールを走る目的は何か。
走る格好良い姿を周囲の人間に見せ付けるためではありません。
走る中で喜びに満ち溢れる自分を自慢するためでもありません。

走る自分に自己満足するためでもありません。


「こんな素晴らしいレールが、私にも与えられているのかもしれない!」
「これほどまで素晴らしいレールは見たことがない!これを作ったのはどのようなお方なのだろう?」

そう思っていただくためです。

私が中心なのではありません。
私を赦し、なおもレールを与えてくださった神さまが中心です。
私を通して、神の栄光がほめたたえられること。
それが私の人生の目的です。



私は、3月に主に出会ってからたくさんの経験をしてきました。
自分のたくさんの弱さに向き合わされてきました。
自分がすべきことも教えていただいてきました。
私の目的は、「主に喜ばれる人に」なることでした。
正確に言うならば、「主に喜ばれる人になること」で終わってしまっていました。


私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。
                       Ⅱコリ5:9


これまでの7ヶ月が間違っていたとは思いません。
この目的が間違っていたとは思いません。
しかし、私は今、霊的に大きく成長するよう促されているように思います。

「あなた」が中心なのではない。
「私」が中心なのだ。

「あなた」が私に喜ばれることを探し、生きるのではない。
「私」があなたを生かし、あなたを選び、あなたを遣わしている。
私の栄光が世々に広められるように、あなたは生きるのだ。


私は、「主に喜ばれる人に」なる、目的を問われています。


私の人生の目的は変わりました。

「主に喜ばれる人になるため」から、

主に喜ばれる人として生きる中で、生きる姿によって、
「神の栄光がほめたたえられるため」に。


神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、
 ほめたたえられるためです。

              エペソ1:6


主よ。あなたは今も間違いなく生きています。
感謝します。ハレルヤ!!!!

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