Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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砕かれ、変えられる

今日はEMFの集会で、
日帰りで札幌に行ってきました。

EMFとは、福音主義医療関係者協議会であり、
噛み砕いて言えば、医療系クリスチャンの集まりです。

今回の集会では、精神科医の先生が、
精神医学と聖書の関係についてわかりやすく説明してくださいました。

たくさんの学びがあり、
新しい出会いがあり、
本当に感謝な時間でした。

神がなさることは、本当に時にかなって美しいです!



そして、帰りの車の中で、
同じ医学部の友人2人と、「クリスチャンとしての医師」
というテーマの中で学んだことや感じていることを話しました。
これからの将来をどのように歩んでいきたいかについて話し合いました。

しかし、私は自分の発言を振り返ったときに、
大きな過ちに気づかされました。




「俺は、クリスチャンの医師として、この日本という地における、
 神の国の建設のために、○○すべきだと思うんだ!」

「俺は、どうしようもない罪びとから救われたものとして、
 自分の十字架を背負い、神さまの栄光のために働きたいんだ!」

「俺は、使命を持って、ビジョンを持って生きていきたいんだ!」



一見すれば、「熱い志を持った青年クリスチャン!」
なのですが、私の発言には、私の心には大きな過ちがありました。

それは、「自己中心」という罪でした。

振り返れば、私の発言の中心はいつも私でした。
「俺が」、「俺の」、そればかりを口にしていました。


私の中心は神ではなく、私でした。


冷静になってそれに気づかされたとき、
正直ショックでした。


実は、「自己中心」な弱さを見せられて、
「満ちる、中心はあなたではなく、全知全能である私だ。」
そう教えられたのはごく最近の話でした。(数日前の日記をご覧ください)


「ローマは一日にしてならず。」

このことわざどおり、
人間、すぐに変わることができないことは理解しているつもりです。

それでも、主に示されて、
神の栄光のために、私は生きるんだ!

そう思っていた私にとって、
ここまで露骨に、私の内側の内側に染み付く「自己中心」な思い。
「高慢」な思いを目にすると、愕然としてしまいました・・・。



正直、落ち込みました。



しかし、家に帰り、聖書を読む中で、
落ち込みから喜びに変わってきていることを覚えます。


けれども、明るみに引き出されるものは、
 みな、光によって明らかにされます。

              エペソ5:13



私は、主に変えていただくまで、
「高慢の塊」でした。
私の心の内側の内側の内側まで、高慢な思いは染み付き、
私の心は人間の手では砕けないほどに頑固な岩でした。


しかし、そのどうしようもない心に、
神の光が差し込みました。


今まで、自分でも、そしてもちろん周りの人も、
どうにもできなかった、佐々木満ちるの頑丈な心は、
主の光が注ぐことによって少しずつ砕かれ、柔らかくなってきました。


私はまだまだ未熟です。
この自己中心な思いも、
高慢な思いも、
明日になってもまだあるでしょう。
私がまだ知らない弱さがあるでしょう。

しかし、私が見上げる先が変わらないならば、
私が、神の栄光を仰ぎ見て、光が注がれるならば、
私の心は砕かれ、主に喜ばれるものとなり、
光の子どもとなっていくと思います。


あなたがたは、以前は暗やみでしたが、
 今は、主にあって、光となりました。

              エペソ5:8

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