Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「命ありき」

昨日は、二週に一度の聖書研究会でした。
同世代の人たちと、聖書の言葉に耳を傾け、熱く語り合い、
普段持つことができない、ディープな時間を共にします。
私にとって、この時間はかけがえのない、大切な時間です。


というのも、日常的な大学生活においては、
「何のために、生きると思う?」
「人は死んだら、どうなると思う?」
このような会話はしませんし、できないのが現状です。


「そんなこと考えてもしょうがないよ。」
「死なんてまだまだ先。今楽しければいいよ。」


そう答える人がほとんどだからです。


あるときの聖書研究会で、
尊敬する顧問の先生(クリスチャン)に質問したことがありました。
「先生は、どんなときに幸せを感じますか?」

先生は言いました。
「朝起きて、ごはんを食べるとき。夜布団に入るときかな?」

私は、その言葉を聞いたとき驚きました。

先生は大学の教授という地位をお持ちであり、
「英語」という素晴らしい能力を持っておられる方であり、
話す力、教える力に長けておられる方です。
考え方も、いつも主を中心に考えておられるお方です。
私が心から尊敬している先生です。


その先生の口から出た「幸せ」が、
ごく一般的な、日常的な生活を送れることでした。


私はそのときは、先生のおっしゃった「幸せ」が分かりませんでした。


しかし、日々の歩み、また聖書を通して、
先生がおっしゃった「幸せ」についてよく分かるようになりました。



聞きなさい。
 「きょうか、あす、これこれの町に行き、
  そこに一年いて、商売をして、もうけよう」と言う人たち。
 あなたがたには、あすのことはわからないのです。
 あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。
 あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。

 むしろ、あなたがたはこう言うべきです。
 「主のみこころなら、私たちは生きていて、
  このことを、または、あのことをしよう。」

                                ヤコブ4:13-15


すべては、このみことばの通りです。
「みこころならば」、私は生きているのです。
「みこころだから」、今日私に命があるのです。


布団から起き上がり、鏡に映る自分を見ることも、
朝食のパンをかじることも、
コーヒーをすすることも、
学校に向かう車に乗ることも。



家に帰ってきて、
パソコンを開きブログを書くことも、
シャワーを浴びることも、
布団に入って眠ることも。


「命ありき」のことなのです。


「命」とは、毎日神から与えられる贈り物です。
私たちは気づかぬ内に、神から毎日素晴らしいプレゼントをもらっているのです!!


今なら私も、
「今生きていることが、一番の幸せ!!」
そう確信を持って言うことができます!


ハレルヤ!

この命を与えてくださったあなたの栄光のために、
私は今日も歩みます!


主のみこころなら、私たちは生きていて、
 このことを、または、あのことをしよう。

                       ヤコブ4:15

スポンサーサイト

該当の記事は見つかりませんでした。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。