Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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走り続ける

礼拝において、
「急いではならない」と神に示されてから、
確かに急がなくなりました。焦ることもなくなりました。


しかし、一方で私は走ることを止めてしまいました。

「急いではならない。」という言葉を、
「急いでもしょうがない。自分のペースでやろう。」と置き換え、
ついには、立ち止まっていました。


私にとって、「立ち止まる」とは、
以前の生活に戻ることであり、神から離れることです。
特に何も考えず、その場で起こることに一喜一憂すること。
神を中心にせず、自分の私利私欲を中心に据えるすることです。


そんな生活に、ここ数日戻ってしまっていました。


振り返ってみれば、「立ち止まる」ことは非常に容易いことでした。
神を忘れて、自我だけで物事を選択すればよいのですから。

何を見るか。
何を読むか。
何を聞くか。
何を心に入れるか。
そして、何をしないか。

この世的なもの、神が喜ばれないものを選択すれば、
その瞬間に立ち止まれます。
一方で、神が喜ばれるものを、神の栄光が溢れるものを選択すれば、
神はあふれる恵みを与え、走り続けることができます。

立ち止まることは容易いですが、
走り続けることは困難です。常に、心を見張らなければなりません。


私はここ数日、
「聖書を読まない」という選択をしました。
「祈らない」という選択をしました。
「自分と向き合わない」という選択をしました。
「選択することを放棄する」という選択をしました。

そして、立ち止まりました。


でも、私は立ち止まるわけには行かないのです。
私はどうしても、走り続けなければならないのです。

だって、神さまが罪人のかしらである私を見捨てず、愛し、引き戻してくださったから。
イエス・キリストがこんな私のために十字架で死なれたから。
諦めずに、信じてくれている家族がいるから。大切な人がいるから。


これからゆっくり自分と向き合おうと思います。
そして、私がいるべき場所に、走るべきトラックに戻ろうと思います。

私はあなたの仰せの道を走ります。
 あなたが、私の心を広くしてくださるからです。

                 詩篇119:32

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