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いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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サウルと高慢


私がデボーションテキストとして使っているmannaに、
サウルについて以下のような記述がありました。

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サウルは、長身と優れた風ぼうのゆえに際立った人物だった。有能な軍事的指導者でもあり、民衆の期待を一身に集めてイスラエル初代の王として即位した。その時は非常に謙遜だった。神はこのように心低くするサウルに神の霊を注ぎ、彼をイスラエルの統治者として用いられた。滑り出しはきわめて順調だった。
 しかし、サウルはいつしか高慢になり、自分の分を越え、神に背いて、ついには神から見捨てられてしまうのである。
 サウルの生涯は、たとい神に立てられた者であっても、真心から神に仕えないなら、やがては神に見捨てられてしまうことを教えている。神は次のように言われた。「わたしはサウルを王に任じたことを悔いる。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ」(Ⅰサムエル15:11)
 神に召されたキリスト者は、最後まで誠実に神に従い続けなければならない。「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう」(黙示2:10)

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そのとき、サムエルに次のような主のことばがあった。
 「わたしはサウルを王に任じたことを悔いる。
  彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ。」

                      Ⅰサムエル15:10,11


私は現在、mannaに合わせてⅠサムエル記を通読しています。
いつも聖書を読むと平安が訪れます。
しかし、Ⅰサムエル記は・・・いつもと何かが違います。
私の心の中に一種の恐れが生じてくるのです。
サウルのように、高慢の極みに達したらどうしよう。
ついには神に見捨てられてしまったらどうしよう。


そんな思いが、恐れが、訪れます。


Ⅰサムエル記と同時に、新約聖書ではⅠテモテを通読しています。
そして、Ⅰテモテでも、高慢の恐ろしさについて触れられています。
また、信者になったばかりの人であってはいけません。
 高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。

                          Ⅰテモテ3:6


私はどこか、「高慢」について見くびっていたのかもしれません。
言わなければ誰にも気づかれない。
自分の内に押しとどめておけば大丈夫。
焦らず、高慢という罪に向き合っていこう。

しかし今、強く示されました。
高慢は一番身近であり、一番恐ろしい罪です。
私はこの高慢という罪から意識的に離れなければなりません。
神に「高慢」から離れるように、導いていただかなければなりません。


サウルと同じ罪は繰り返せません。


私がすべきことは、日々神の国とその義を第一に求めることです。

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