Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

希望の忍耐


今日の礼拝では、「忍耐」について語られました。
しかし、ただの忍耐ではありません。
希望のある忍耐です。



私は小さい頃から、飽きっぽいとか、三日坊主とか言われてきました。
実際、私は継続することが苦手です。
忍耐することも苦手です。

思いつきで始めるのはいいけれど、
ちょっとした気分の変化で止めてしまったものがたくさんあります。

例えばブルーハープ(ハーモニカみたいなものです)。
中学校のときに、父にねだって買ってもらいました。
もちろん、買ってもらったときは、すらすら弾けてクールな自分を想像していましたが、
そう簡単に上手くはいかず、なかなか上手に弾けないので、
途中で投げ出してしまいました。今はどこにあるのかもわかりません・・・


しかし、クリスチャン生活はそういうわけにはいきません。
疲れたからもういいや。
なかなか結果がでないからやめよう。
そんな軽はずみな思いではないからです。決して手放してはいけないものです。

でも、一方で、なかなか御心が分からなかったり、
物事が順調に進んでいるように思えなかったりすると、
祈ったり、聖書を読むことが苦痛になるときがあります。

自分、進んでるのかな?と疑問に思うことがあります。

実際、ここ数日間の私はそうでした。
信じていますし、従ってはいましたが、
どこか心の中に疲れだけが残ってしまい、忍耐や継続が重荷になっていました。

そんな私でしたが、今日のメッセージで示されたことがありました。
それは、私の「忍耐」とは、ただもがき苦しみ続ける「忍耐」ではないということです。
私の「忍耐」は、「希望がある忍耐」なのです。

今は、はっきりとした道が見えず、暗やみを模索しているように思うけれど、
必ず神さまが最高のステージを用意してくださっている。
神さまは私を最善へと導いてくださっている。
そういう希望があることを覚えました。


一つ前の、「信仰とは何だろう。」という質問を、
教会のある姉妹に尋ねてみました。
その姉妹は、私が心から尊敬する方で、いつも優しく守り導いてくださっています。

その方は、私の質問にこう答えました。
「私にとって、信仰とは、「内なる叫び」なのかもしれない。自分の無力さ、いたらなさを覚えれば覚えるほど、苦しくなる。その内側の奥底の叫びが十字架の血による贖いを必死に求めてる。そして、必ず、必ず、イエスさまは聖めてくださる。」


正直、まだ自分の中で「信じきる」ってどういうことか。
「信仰」ってどういうことか。分からない部分はあります。
でも、今はっきりといえることは、
「全ては十字架に始まり、十字架に終わるということ」

どんなに苦しくても、どんなに辛くても、
忘れてはならないのはイエスさまの十字架。

思うようにいかなくても、順調でなくても、
思い出さなければならないのはイエスさまの十字架。

それは今、はっきりと断言することができます。


長くなりましたが、最後に一つ今週の抱負を書こうと思います。
それは、規則正しい生活を送ることです。

具体的には、
・朝はゆとりを持っておきる。みことばに触れる時間をたっぷりとる。
・そのために、夜は早く寝る。
・部屋はきれいにする。


この3つです。
クリスチャンだって、落ち込むときはあります。元気がないときがあります。
でも、クリスチャンは知っています。平安がどこから来るか。喜びがどこにあるか。
どんなときも、そこに戻ることが信仰なのかなって思い始めている佐々木満ちるでした。

皆さんにとっても、素晴らしい一週間でありますように。



立ち返って静かにすれば、
 あなたがたは救われ、
 落ち着いて、信頼すれば、
 あなたがたは力を得る。

          イザヤ30:15

スポンサーサイト

該当の記事は見つかりませんでした。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。