Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

偶像礼拝

実は、今日の日記ではこのタイトルとは異なることを書こうと思っていました。
しかし、学んだことを証すべきだと示されたので、書こうと思います。


私は今まで「偶像礼拝」とは、どこか自分には関係ない罪だと思っていました。
私は別に、木彫りや黄金でできた神々を拝んでいないし、信じてもいない。
本当の神さまを信じていて、従っている。
なぜ、こんな空しい罪をイスラエルの人たちは繰り返し犯してしまったのだろう。


そんな風に心の中でつぶやいていました。

しかし、エレミヤ書を読み進める中で、
私は大きな思い違いをしていたことに気づかされました。


そして、自分がしていないと思っていた、
忌むべき「偶像礼拝」という罪を、私自身犯していたことが示されました。



「偶像礼拝」とは、何も形として拝んだり、口にすることだけではないのだと思います。
その人の中心に、神さま以外のものがあるなら、被造物がおかれてしまったら、
それは既に「偶像礼拝」という罪なのだと思います。


例えば、お金持ちになることが自分にとって全てで、
寝ても起きてもお金儲けしようと考えている人がいるならば、
その人の偶像は、「お金」だと思います。

キャリアアップして、名声を手に入れることに躍起な人にとっては、
「名声」が偶像なのだと思います。

自分が楽しいほうに!自己実現のために!
という人にとっては、「自分」が偶像なのだと思います。

私たちを作られた神さまを信じ、従うことよりも、
大事にしているものがあるなら、それはきっと偶像なのだと思うのです。


本当にお恥ずかしい話ですが、
ここ最近の私にとっての偶像は、この「ブログ」でした。


ブログで何を書こうかな。
どうすれば、たくさんの人に読んでもらえるのかな。

そんなことばかりを考えていたように思います。

本当にお恥ずかしい限りです・・・。


エレミヤ書を読むと、
偶像礼拝を続けた人間の悲しい結末がかかれてあります。
本来心の中心に据えるべき、
「神さまを信じる心」
「神さまに従う心」
「神さまの御心を求める心」
を差し置いてしまったら、その人の人生は儚く散りさります。


私は、示された「偶像礼拝」という罪としっかり向き合い、悔い改めようと思います。

私は、あくまで被造物です。
神さまが計画を持って作ってくださったものです。
私の中心は、他でもなく創造主である神さまです。


わたしにどんな不正を見つけて、
 わたしから遠く離れ、
 むなしいものに従って行って、
 むなしいものとなったのか。
 彼らは尋ねもしなかった。
 『主はどこにおられるのか。
  私たちをエジプトの国から上らせた方、
  私たちに、荒野の荒れた穴だらけの地、
  砂漠の死の陰の地、
  人も通らず、だれも住まない地を
  行かせた方は』と。

          エレミヤ2:5,6

スポンサーサイト

該当の記事は見つかりませんでした。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。