Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

曇りなき信仰

早く寝ようとして、1時間前に布団に入りましたが寝つけませんでした。
その代わり、この時間の中で示されたことがありました。

それは、「信仰とは何か。」「信じきるとはどういうことか。」
というクエスチョンに対する答えでした。


二日前の記事を読んでいただければお分かりになると思いますが、
私はここ数日、「信仰」とは何か。
「信じきる」とはどういうこと。
について、思い巡らしていました。
私は、神さまを信じていますが、
ただ信じるということが、信仰ではないと思ったのです。


このクエスチョンの答えを求め、思い巡らしていると、
聖書の二つの箇所が思い出されました。

1つ目は、アブラハムが息子のイサクをいけにえとして殺そうとした箇所。
そして2つ目は、モーセが大海を分けた箇所。

何度も何度も読んだ箇所です。
何度も何度も聞いた箇所です。

しかし、この2つの箇所に心を傾ける中で、
アブラハムとモーセという信仰の先輩を通して、
「信仰」というものが少しずつ明らかになってきたように思います。


2人に共通して言えることは、
「神を完全に信じきる!」ということでした。

彼らは、心の奥底から信じていました。
神は、全地を創られた神であること。
神は、全知全能であり不可能がないこと。
神に従う道が、人間が歩む最善の道であることを。


そうでなければ、彼らの行動は考えられないからです。

やっとの思いで、忍耐に忍耐を重ねて与えられた息子イサクを殺そうとすることなんて、
「神が示される道に絶対誤りはない!!!」
と心の奥底から信じきっていなければ、できるわけありません。

モーセも同じです。
彼が日ごろから、「神に不可能はない!!!」と完全に信じていなければ、
海が分かれるというような奇跡が起こるはずがありません!!!


彼らに共通して言えることは、
「曇りなき信仰」であり、「神を完全に信じきる」ということでした。


今の日本という国では、
彼らと同様の信仰を持ち続けることは、難しいと思います。
物質的に裕福なために、神のみわざを全身全霊をかけて求めることを、
しづらい環境だと思うのです。

食料も、衣服も、何もかも、
必要なものはいつでもどこでも手に入ります。
困難があっても、インターネットを通じて、
離れた地にいる家族や友人とすぐに連絡を取れます。孤独を感じづらいです。

ありとあらゆるものが、「手軽」に手に入ってしまうのです。


だから、神さまを完全に信頼して、
神さまの偉大なるみわざを体験しようとする以前に、
自分の力で解決しようとしてしまうし、
実際に解決できていると思ってしまう環境だと思うのです。


実際、私もそうでした。
神さまは居るとは思うけど、
結局今を生きてるのは自分。
欲しいものは「自分」で働いて手に入れるし、
悩みがあっても「自分」で解決する。


しかし、今、私は本当の「信仰」を手にしたいと心から願います。
アブラハムやモーセのように、
神は全ての創造主であり、
全てを統べ治める全知全能のお方であることを、
「曇りなき信仰」で、「完全に信じきる」ことができるものに。


おそらく、これからの日本は借金がどんどんかさみ、
本当の不景気が訪れ、霊的のみならず物質的にも貧しい時代がやってくると思います。
そのときこそ、日本全国のクリスチャンが「本物の信仰」を持っているかが、
しっかりとした土台に立っているかが、
試されるときだと思うのです。


私は、「曇りなき信仰」を求めます。
聖書に登場する偉大な信仰の先輩たちのように、
神に完全に信頼する者となることを求めます。

スポンサーサイト

該当の記事は見つかりませんでした。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。