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いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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医師になるということ

今日の午前中の講義は、
私にとって非常に有意義な講義でした。

2コマあった講義のタイトルは、「発達障害」と「児童虐待」。
講師は北海道大学の田中康雄先生でした。
どちらの内容も、医師として非常に重要かつ難解な問題です。


発達障害と一言で言っても、
周囲の人とコミュニケーションをとったりするのが苦手な場合、
動いてないと落ち着かず、一つのことに集中するのが困難な場合、
なかなか読み書きが覚えられない場合など、
さまざまなパターンがあります。

その中で、「発達障害」を抱えている当人はもちろん、
ご両親、特にお母さんが非常に悩み、苦しむそうです。
学校に連れて行っても、家の中にいても、
子どもと向き合い、愛し続ける一方で、なかなか変わらない現状。
その中で、「なぜ、うちの子が・・・」と思うようになるそうです。

そのときに、医師がどれだけ寄り添い、力添えをできるかが重要なのだと先生はおっしゃっていました。
子どもが一番幸せに生活できるようにアドバイスやサポートする一方で、
お母さんの精神状態やストレスを少しでも軽減することが必要だというのです。



「児童虐待」の問題も深刻です。
全国的にも、身体的虐待、性的虐待、ネグレクト共に年々増加の一途をたどっているといいます。
今日の講義で初めて知りましたが、小さい頃から身体的虐待を受けていた人の多くは、
「暴力を受ける」ということでしか、親との関係性を知らないために、
学校や施設に入っても、わざと悪いことをして、「怒られよう」「叩かれよう」
とするのだと言います。
それだけでなく、自分が受けていた虐待を、自分の子どもにもするようになってしまうケースが多いそうです。
虐待が虐待を生むのです。

先生が紹介された本に、ベッテルハイムという方が書いた「愛はすべてではない」というものがありました。
そこには、以下のように書かれてあるそうです。

6歳の虐待を受けた少女(身体心理・性虐待)
―性行為を示すようなお人形遊びを繰り返す
―両親のかかわりについて彼女のしっていることのごく異常な部分を表したものではなく、両親というものの関係について、彼女の知っていること全て、つまりこれだけしか知らないということを表していたのだ
                   ベッテルハイム著「愛はすべてではない」より


この文章の意味するところが分かりますか。
性行為を示すようなお人形遊びをする少女は、
全く持って「嫌なことをしている、嫌なことをされている」という意識はないのです。
幼い彼女は、ただそのことしか、親から受けておらず、
彼女にとってそれが唯一の「親とのつながり」なのです。


先生は講義の最後におっしゃいました。
「私が伝えたいことは、発達障害にしても、児童虐待にしても、その人たちの気持ちを想像し、その人たちの感情、悩み、痛みを理解しようとする医者になってほしいということです。」



実は私は、高校時代、医学部に入るほどの学力はありませんでした。
旭川医大の判定は最後までE判定。
家は裕福ではなかったので、浪人はできませんでした。
私には、AO入試という選択肢しか残されていませんでした。
「AO入試で合格できない場合は、医師という道は神の御心ではない。」
父にもそういわれていました。

しかし、高い倍率の中で、
神は私に「医師」という道を示し、合格させてくださいました。


私はまだ、自分が何科の医者になるかは決めていません。
というよりは、神から明確な召しをいただいていません。

しかし、私が忘れてはならないことは、私が心にとどめておくべきことは、
「心から寄り添う医師になる」ということです。

イエスさまが全ての人に、愛をもって接せられたように、
私も、イエスさまの愛により頼んだ医師となりたいのです。
イエスさまの愛をもって、心から寄り添う医師となりたいのです。


何事でも、自分にしてもらいたいことは、
 ほかの人にもそのようにしなさい。

               マタイ7:12

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