Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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ありのままで生きる


今日は、聖書研究会でした!
2週に1度だった聖研も、12月いっぱいまで週に1度になりました。
皆と聖書に触れることができる機会が増えたのは
本当に感謝なことであり、励ましになります。


先週から始まったヨナ書。
今日は2章から学びました。

私が心留められたのは、7節でした。

私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、
 私は主を思い出しました。

             ヨナ2:7

自分のたましいが衰え果てたときを鮮明に思い出したのです。



今なら神さまが与えてくださった賜物だと分かりますが、
私は昔から、その人の行動や言動によって、その人がどういう性格の人で、
どういう風に接することが一番ベターなのかがある程度分かります。
しかも、小学生のときから。

だから小中高と学級委員をやったり、生徒会をやったりする中で、
先生や友人にどのようにすれば気に入られるか、
そして何をすれば嫌われるかもある程度想像はつきましたし、
実際その通りに行動していました。
分かりやすく言えば、「優等生」を演じていたのです。

一方で、本当の自分は「優等生」からかけ離れていました。
自己中心だし、身勝手だし、頑固だし。
学校でありのままの自分を出さない分、
家に帰ると「ダメ男」の自分が出していました。


しかし、学校で「優等生」でいることに飽き足らない自分は、
どんどん偽の「佐々木満ちる」をかぶりました。
人によく思われるために思ってもないことを言ってみたり、
実際にはないことをあるかのように言ってみたり。
年を重ねるごとに、私の「二重人格」は悪化していったのです。
同時に、ありのままでいることが難しくなっていったのです。

そしてあるときから、自分の中であるスタイルができました。
それは、学校で演じて、演じて、演じて、
本当にどうしようもないくらいフラストレーションがたまると、
ある日一気にそのモヤモヤや怒りを放出するというものです。
もちろん暴力などはしませんでしたが、壁を蹴ったり、退行したりすることで、
自分の中のことばにできないものを行動によって放出していたのです。
そして吐き出すと、次の日からまた「優等生」に戻るのです。

しかし、高3のとき、私のストレスやフラストレーションが一気に爆発しました。
今まで溜めに溜めていたものが流れ出てしまったのです。
そのときのことを詳しくは覚えていませんが、
「自分という人間が恐ろしい」
そう思ったことは覚えています。
また、二度とあんな思いをしたくないとも思います。
本当につらかった。自分が自分じゃなくなることが恐かった。


聖研の中でこのことを打ち明けると、
結構同じように、ありのままの自分と周囲とあわせる自分とで葛藤しているようでした。

やっぱり、そうなのだと思います。
ありのままで生きたい!ありのままで歩みたい!
そう思う一方で、社会や学校に出れば皆とあわせなければならない。
人に評価されたり、好かれるように、偽りの自分を着なければならず、
もがき苦しみ、葛藤するのだと思います。



アダムとエバは、神さまに食べるなといわれていた「善悪の木の実」を食べる前は、裸でした。
全てをさらけだし、ありのままで生きていました。
しかし、二人が神さまの約束を破って木の実を食べ、人間に罪が入ることで、
ありのままで生きることに恥じらいが生じました。恐れが生じました。

今生きる私たちも、ありのままで生きることができないのはそのためだと思うのです。


私は自分が経験していたから分かります。断言できます。
葛藤や重荷から解き放たれて、「自分らしく」、「ありのまま」で生きたいと思うなら、
神さまのもとに帰ればいいのです!!

神さまを信じ、受け入れ、自分の今までの罪を悔い改めるとき、
自分の心のモヤモヤがすーっと消えていき、
ありのままで生きることができるという、この上ない喜びに包まれることは間違いありません。


なぜなら、私がそれを経験しているのですから。

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