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いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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新たな気づき ~ぶどう酒と皮袋のたとえより~

熱が出てしまいました。
今のところ、37度6分と微熱ですが、これから上がるかもしれません。
今日は私の大好きな聖書研究会の日でしたが、
他の人たちに風邪を移すわけにはいかないので我慢しておやすみです。
今は、妹が入れてくれたホットミルクティーをすすりながら、パソコンに向かっています。


今日の午後学校の休み時間、あるみことばが示されました。

また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。
 そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を張り裂き、
 ぶどう酒は流れ出て、皮袋もだめになってしまいます。
 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。

                      ルカ4:37,38


今まで、幾度となく読んできたイエスさまのたとえ話。
しかし、どうもイエスさまが伝えたいことが分からず、
特別に気にしていない箇所でした。

そんな箇所が、今日は私の心をとらえました。


「どんな意味なのだろう・・・。」


そう思って何度も何度も読みました。
そして読めば読むほど、神さまが私にこのみことばを与えてくだったのだと確信しました。



私にとって、このみことばは、こう解釈されました。



古い皮袋⇒古い自分(罪赦される前の肉の自分)
新しい皮袋⇒新しい自分(十字架の血によって罪赦された、聖い自分)
古い酒⇒古い習慣、考え(肉の欲や感情、考え)
新しい酒⇒新しい習慣、考え(聖書の教える生き方、考え方)


古い自分、罪赦される前の肉の自分にも理性や良心があります。ゆえに、古い自分のままでも、聖書に書かれてある教えを実践するために、理性や良心を働かせることで自分の欲や感情をコントロールし、入ってくる情報を意識的に選別することはできます。

しかし、これは新しいぶどう酒を古い皮袋に入れること、すなわち肉という脆い器の中で己の力で聖書の教えを実践しようとすることです。古い皮袋が新しいぶどう酒に耐えきれず、張り裂けてしまうように、古い自分のまま神の教えを実践しようとしても、その人はいずれパンクしていまいます。

新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。すなわち、イエス・キリストの血によって新しく生まれ変わった状態で、聖書の教えを行いとして実践していかなければならないのです。


一見、大した違いがないように思えますが、
スタートが、古い自分であるのと、
新しい自分であるのとでは全く意味が異なります。
ぜんっぜん違います!


私は今まで、まさに、古い皮袋に新しいぶどう酒を入れていました。
古い自分を意識し、もがき苦しみながら、
自分の努力と理性と良心で、神の教えに忠実に従おうとしていたのです。
そして、古い皮袋が張り裂けるように、
私自身も無理をして体調を崩してしまったのです。


でも、私はもう古い自分ではないのです。
イエス・キリストによって、新しく生まれ変わった者なのです。
新しい皮袋なのです。
それなのに、せっかく新しい皮袋が与えられているのに、
私は今までせっせと新しいぶどう酒を古い皮袋に入れていたのです。
なんと、おろかなのでしょうか。

そして、昨夜母が私に語り、今朝のデボーションで示された、
「聖霊に満たされる」ことこそが、新しい皮袋の状態なのだと思います。


クリスチャンのスタートは、古い皮袋ではありません。新しい皮袋です。
悔い改め、聖霊に満ち溢れる姿です。
その中で、御霊の導きによって私の行動は神に喜ばれる者となり、
主に喜ばれる者へと変えられていくのです。

見方を変えれば、私はまたもや自分の力に頼ってしまっていたのですね。


ただ、今回はこれで終わりではありません。
私は、新しく生まれ変わるとはどういうことなのかをもっとちゃんと知らなければなりません。
聖霊さまが、どのようなお方であり、
神さまは聖霊さまと私がどのように歩むことを望まれているのかも知らなければなりません。





このことを父に電話で伝えると、父は言いました。

「感謝だな。満ちるに今、二つのことを伝えなければならない。
 一つは、感謝することだ。
 今このように気づかせていただいことを感謝しなさい。
 日ごろの全てのできごとにおいて、神に感謝しなさい。
 
 そしてもう一つは、満ちるの超えるべき課題についてだ。
 満ちるにとって、大きな壁は人からの評価だ。
 お前は、神さまに生かされているだけで感謝なんだ。
 それ以上を望むのではなく、神の前に忠実にありなさい。
 神の前に、へりくだりなさい。

 最後に、お前は神さまに3月に働かれてからまだ一年も経っていない。
 焦るのも分かるが、日ごろ神さまと共に歩めることを感謝しなさい。」



その通りだと思います。
私は、高慢です。欲張りです。
本当に罪人です。


いつも、帰る場所を忘れないようにします。
どんなときも、私が帰る場所はイエスさまの十字架です。
イエスさまの苦しみ、悲しみ、そして愛を私は忘れてはなりません。
どんな日でも、そこに帰ることを忘れては、私の歩みは儚いものですから。


主よ、あなたの御名をほめたたえます。
今日も、あなたと共に歩めた祝福を感謝します。

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