Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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私が立つところ

私は、立つところを間違っていました。

私は、主の御前に立つとき、
一人のクリスチャンである以前に、
一人の罪人なのです。
汚れた存在であり、醜き存在であり、
見捨てられるべき存在なのです。

なのに、なのに私は、
日々祈り、みことばに動かされる自分に酔いしれていました。
さも、自分が一人の「義人」であるかのように考え、振舞っていました。


そのことに気づかせてくださったのは、他でもなくみことばでした。



自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、
 イエスはこのようなたとえを話された。
 
 「ふたりの人が、祈るために宮に上った。
  ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。
  パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。

  『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、
   不正な者、姦淫する者ではなく、
   ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。
   私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、
   その十分の一をささげております。』
  
  ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、
  自分の胸をたたいて言った。

  
  『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
                       ルカ18:9-13




私のここ最近の祈りは、ずっとパリサイ人の祈りでした。



「私は、聖書を読んで、祈って、神様を第一にしています!
 私は、大丈夫です。私は、あなたに従って生きていますから!」


そんな風に祈っていました。



でも、神さまはそんな私を喜ばれませんでした。
どうしようもない罪から救ってくださった神さまの愛に、
心からすがり、感謝する心が私には欠けていました。


3月に、神さまが私に触れてくださったとき、
私の祈りは、取税人とまったく同じでした。
そのときは、天を見上げることもできなかった。直視できなかった。

神さまを裏切り背いて、周りの人たちを傷つけてきた過去を思うと、
天を見上げて、「神さま、私を助けてください!」

そんなこと・・・言えなかった。


『神さま。もし・・・まだ間に合うなら、
 後一回でいいからチャンスをください。
 見捨てられるべき私だけど、
 汚くて、罪深い私だけど、哀れんでください。
 見捨てないでください。
 神さま・・・。本当にごめんなさい。』


そんな祈りだった。



忘れちゃいけないんです。
自分がどれだけ罪人だったかを。
そして、神さまがどれだけ愛に満ちた方かを。


立つところは、イエスさまが血と涙を流してまでも贖ってくださった
『十字架の下』でしかないんです。




私は帰ります。


自分の立つところに。


自分の原点に。

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