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泣く者は幸いです?

こんばんは。尊き主の御名を賛美します。

今日は学校が終わって、聖書の学び。そしてその後は聖書研究会。というなんとも幸いなバイブルデーでした♪どちらも本当に多くの学びと喜びがあって、珠玉の時間でした。それを全てここに書き記そうとしたら果てしないので(笑)、その中でも私が強く示され、悔い改めたことを証したいと思います。


今日の聖研のタイトルは「イエスが語った『幸いな者』とは?」
聖書箇所はルカの福音書6章20~38節。

「貧しい者は幸いです。
 神の国はあなたがたのものだから。
 
 いま飢えている者は幸いです。
 やがてあなたがたは満ち足りるから。
 
 いま泣く者は幸いです。
 やがてあなたがたは笑うから。」
             ルカ6:20-21



有名な箇所ですよね。私も何度も読んできた箇所です。
それなのに、今日はある一箇所に私の心は留まりました。

「いま泣く者は幸いです。やがてあなたがたは笑うから。」


私は純粋に思いました。
「何でだろう・・・。何で、泣くことが幸せなんだろう。」
今まで幾度となく読んできた箇所ですが、不思議と私の心を捉えたのです。


それからしばらく経ち、
「相手をさばくこと」について議論になりました。
相手を思いやり愛することと、相手を責めることは相反することなのか?
愛していたら、正当防衛もしてはいけないのか?
などとあらゆる話になりました。

その中で、友人のS君が言いました。
「38節に書いてある通りだよね。
 僕たちはさばいてはいけない。さばくのは神様だよね。
 当時のイスラエルの人たちは、
 自分の正しさを証明する一方で周りを裁いてた。
 でも、41節にある通り、人のことを言う前にまず自分の罪を見つめなければ。
 「自分の目にある梁に気付かず、人の目のちりをとる」
 という状況に陥ってしまうよね。」


なぜだか・・・。ドキッとしました。
そして、フラッシュバックするかのようにみことばが思い出されました。

「いま泣く者は幸いです。」


そして悟りました。
神さまは今、私に語っておられるということを。

今の私にとって、「泣く者は幸いです。」ということばは、
「自分の罪深さに嘆くものは幸いです。」という意味だったのです。


私は弱い人間で、少しいいことがあると、少し神さまとの関係がうまくいくと、
すぐに鼻が高くなり高慢になってしまうのです。

そして、自分がどれだけ罪深く、弱い存在であるかを忘れてしまうのです。
それゆえに、心のどこかで周囲の人を裁こうとしてしまうのです。


主は今日の聖研を通して、釘を指してくださいました。

「満ちる、また同じ罪を繰り返そうとしているぞ?
 自分の罪深さを嘆け。自分の弱さを思い出せ。
 そして、私の愛を思い出せ。十字架に帰れ。」



私はいつも、泣く者でありたい。
自分の罪深さに嘆くものでありたい。

同時に、このような私をあがなってくださった愛を覚える者でありたい。
へりくだり、真心から主に仕えるものでありたい。



そう思わさせていただいた一日でした。
明日からまた一日、主の前にへりくだり歩みます。

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