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いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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ある日の、あるCafeでの話

こんにちは。


つい先ほどまで、同じ教会の兄弟と街中のCafeに行ってきました。2つのお店をはしごするほど、たくさんお話ができました。
※私たちクリスチャンは、同じイエス・キリストを信じるクリスチャン同士を兄弟もしくは姉妹と呼び合います。


その兄弟は、私のずっとずっと年上で、信仰の大大大先輩です。そんな大先輩から直接お話を聞けるなんて、私は本当に幸せ者です。


兄弟は、昔から私のことを気にかけてくださり、そのときそのときで私に一番必要な言葉をかけてくださります。

今回もそうでした。私が今まで消化できずに溜めてきた問題の1つ1つを、吸収しやすいように噛み砕いてくださいました。


いつものblogなら、示されたことの内1つくらいしか書きません。けれども今日は、長くなっても全部書き残しておきたいと思います。それほどまでに、兄弟との数時間は濃く、かけがえのないものとなったのです。




兄弟と話す中で、最初にでてきた話は私の大学生活でした。

兄弟は、私に対して次のような質問をされました。

「満ちる兄弟のキャパシティを10だとしたら、その内どれくらいを医師になるために費やしてる?」


正直、この質問を聞いたときギクッとしました。私は自信なさ気に答えました。

「・・・3くらいです。」


実際、テスト前ではない普段の生活を考えたら、3以下かもしれません。私は自分のエネルギーのほとんどを、自分が将来なる医師という道に注いでいませんでした。


この答えを聞いて、兄弟は笑顔で「そう思ったよ。」とおっしゃいました。


なんだか急に恥ずかしくなりました。同時に、反省しました。私はどれだけ、人の命を扱う「医師」という仕事を重く捉えていただろうか?と自問自答しました。


兄弟は続けて話されました。
「4回生にもなるんだ。もっともっと、医師になることに、医学を学ぶことにエネルギーを注いだらどうだろう。」

終始、兄弟の言葉は私の心に響きました。かけてくださる言葉全てが、今の私には本当に必要でした。


私は今まで、この問題から逃げ、自分を正当化していました。

「まだ、神さまに明確なビジョンが与えられていない。何かは分からないけれど、はっきりと自分が進むべきビジョンが示されたなら、そのときに俺は頑張る。」


でも、実はとっくの前に答えが出ていたんです。私が高校3年生で旭川医大に合格した時点で出ていたんです。


「医師」


これ以上明確なビジョンがあるでしょうか。これ以上分かりやすいビジョンはあるでしょうか。私は自分が医学部にいて、将来医師になるべき者であるにもかかわらず、浮き足立ってバタバタしてみては、自分のビジョンだの何だの言って現実から逃げていただけでした。

今の私には、「医師」というビジョンで十分すぎるくらい十分でした。

4回生にもなってやっと、地に足が着き始めた自分。なんだか恥ずかしいです。でも、後ろを振り返らずに前を見て歩みたいと思います。





兄弟は続けて質問されました。

兄「満ちる兄弟。放蕩息子の話ではよく弟が取り上げられる。でも、満ちる兄弟には兄について質問してみたい。あの話の中で、兄のどこがいけないと思う?」
※「放蕩息子」とはイエスさまがされた例え話の1つで、遊びほうけてボロボロになって帰ってきた弟と、ずっと父のもとで律儀に働いている兄が出てくる話です。参考:ルカの福音書15章

私「平安がある父のところにいることに、喜びを感じていないところですか?」

兄「それもある。他には?」

私「自分を正しいと思っているところですか・・・」

兄「そう!そこなんだ。彼は自分を、正しいと思っている。自分には誤りはないと思っている。」


これまた、ギクッとしました。しかも、さっきの3倍にも匹敵する衝撃が私の心を打ちました。

「今の私だ。」


はっきりと示されました。続けて兄弟はおっしゃいました。

「満ちる兄弟。正しさは悪いものではない。それはそれで価値があるものだから。でも、それを自分自身にしてしまってはいけないよ。聖書に出てくるパリサイ人のように、自分の律法で生きるようになってしまうから。」


図星でした。あまりにジャストミートさに、愕然としました。

「私が信じる神さまは絶対に正しい!聖書は一字一句正しい!」この信仰から気付かぬ内に、
「私の考えは正しい。」という自家製律法に縛られていたようです。


実際クリスチャンと接するときも、ノンクリスチャンと接するときも、「私の考えは正しい!」そこから入っていて、他の人のアドバイスや意見を聞いて納得しているように見えても、心のどこかで自分の正しさを握り続けていたように思います。




最後に、兄弟にこう言われました。
「もっともっと心を広く持ちなさい。狭い中に留まり続けることにこだわっていたら、もったいない。満ちる兄弟に必要なのは、寛容だよ。」


アーメンです。


いやー、こうやってブログを通して振り返っても、考えられないほどの濃い時間でした。まずは、このような機会を与えてくださった主に感謝!そして、素晴らしい言葉をくださった兄弟に感謝!

今日という日が、私の人生にとって大切な1歩であることは言うまでもありません。
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