Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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聖研ですべきこと。聖研でしかできないこと。

こんばんは!


夜も更け、日付は6月3日になりました。
今日もblogを書くことができて、感謝です。


今日(昨日)は、2週に1度の聖書研究会の日。
今回も素晴らしい時間を持つことができました。


テーマは、「イエス・キリストってどんなお方?」
箇所は、ヨハネの福音書1章1~18節。


正直、かなり難易度の高い箇所でした。
いつもどおりみんなで輪読して、さぁディスカッション!
となっても、会話がなかなか進みません。


みんな、「うぅーん・・・」ってだんまり。



でも、時間が経つにつれてみんなポツポツ意見が出るようになってきました。



あるノンクリスチャンのメンバーが質問しました。

「どうして、罪もない羊をいけにえにすることで、
 罪は赦されるということにつながるの?
 イエス・キリストが十字架に架かられたことで、
 何で人間の罪が赦されたことになるの?」



クリスチャンメンバーは顔を見合わせ、
どう答えたらいいんだろう・・・って顔。


でも、1人、また1人、自分の頭で考え、自分の言葉で説明するんです。
悩んで、悩んで、悩みまくって、そうやってみことばを語るんです。


旭川医大の聖研には、そんな醍醐味があるんです。


今までは、モヤッと、ぼんやりとしていた、クリスチャンライフの土台が一つずつでも着実に、強固なものになっていくんです。





ある人たちから見たら、聖書研究のスタイル、KGKのスタイルって、地味に見えるかもしれません。



「もっと外に出て、伝道しろよ!」
「賛美集会とか開いて、ノンクリスチャンのメンバー呼んで、神さまの愛を伝えろよ!」

そう思う人もいるかもしれません。



でも、KGKの、聖研のこのスタイルも、1つの伝道なんだって僕は最近気付きました。

イエスさまの例え話にあるように、砂利道や、岩の上、いばらの中に植わった種はある程度は成長しますが、そこでストップ。枯れてしまいます。
でも、ふかふかの良い地に植わって、神さまの愛情という日光と栄養をもらったら、何十倍にも成長します。


それと同じ。


雰囲気や、ノリ、感情という移り行くものに身を任せ、クリスチャンとして生きていくとき、その人は長続きしないと思います。
一方で、たとえ地味でも、一見面白くなくても(実際めっちゃ楽しいですよ!)、神さまの生けることばである聖書にしっかり食らえつき、聖書に基づいて考え、言葉にするという作業を続けるなら、自然とその人の心はふっかふかの土地へと耕されていき、素晴らしい芽を出すんだと思うんです。


そして、その人は、気付けば何十倍にもなった実を生涯通じてまき続ける、伝道し続けるんだと思うんです。


だから、長い目で見たら、KGK、聖研って立派な伝道集会だと思うんです。



これからも、KGK、聖研を大事にしていこう。
そう思った一日でした。

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