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いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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「信じている」というより、「受け入れている」。

本日2回目の更新です。
本当は、明日朝早くに旭医聖研のDPM(Daily Prayer Meeting)があるので、早く寝なければいけないのですが、今日はなんだか書きたい気分。


今回シェアさせていただくのは、先週の金曜日に行われた「一対一弟子養育の学び」で教えられたことです。


そもそも「一対一弟子養育の学び」というのは、教会に新しく来られた求道者の方に教会のメンバーが一対一で付き、共に学び、共に祈り合いながら、クリスチャンへの道を進むのをサポートするための学びです。


そして、前回のこの学びでは、「イエス・キリストの復活」について触れられました。
まだイエスさまのことをよく知らない方々に、どう復活の事実、その意味を伝えるかについて学びました。


僕は一応、「養育者」側としてこの学びに参加しているんですが、実は僕が学ばされることも多々。

特に今回は、「そうかぁ!!!!」と鮮烈に学ばされたことがあったんです。


それは、敢えて結論を先にいうならば、
「キリスト教は根も葉もない幻想や思想を信じているのではなく、
 客観的証拠と証言に基づいた事実を信じ受け入れている。」

ということです。


お分かりでしょうか。


繰り返しになりますが、
キリスト教という宗教は、
 事実を、信じ、受け入れている」だけなんです。




ここで一度話は飛びますが、皆さんは歴史書の信憑性はどのようにして証明されるかご存知でしょうか?

たとえば、何千年前に書かれた「ソクラテスの誓い」や、江戸時代に翻訳された「解体新書」。これらの本を、私たちはどうやって「事実、当時に書かれたもの」と判別し、信じているかご存知でしょうか?


その答えは、意外にも?「写本の数」だそうです。


すなわち、同じ内容が書かれたいくつもの本が存在し、それが後世に引き継がれていることが、「当時間違いなく、ソクラテスの誓い(解体新書)があった!」ということを裏づけし、事実とし、信憑性を持たせるのだというのです。



一方で、僕が一語一句信じている、「聖書」
実は、この本ほど多くの写本が存在しているものはないそうです。
すなわち、聖書は何千年も前に書き始められたときから、ユダヤ人の手によって写本に写本を重ね、その文字を一語一句丁寧に継承してきたということです。


つまり、旧約聖書・新約聖書に書かれてあることは、登場人物の発言も、当時の歴史的背景も、何もかも「事実」として証明されていることなのです。



極端な言い方をすれば、
「聖書は、古から受け継がれた最高に正確な歴史書」
だということになります。



事実、皆さんの中でご存知の方がいらっしゃると思いますが、1947年に死海の近くで発見された古い古い巻物(推定:紀元前100-300年前の文書)を開いてみると、旧約聖書のイザヤ書が記されてあったそうです。

そしてなんと、僕らが今読んでいる聖書の内容とほとんど一致したというのです。


こんな客観的事実からも、聖書の正確性が分かります。




長く書いちゃいましたね(^^;


結局何を言いたいかというと、最初に言ったことなんです。

皆さんの中で、「○○教」とか、「宗教」と聞くと、根も葉もない幻想や思想を信じ込まされると誤解しておられる方もいらっしゃると思うんです。

でも、僕が信じている「キリスト教」はそうではありません。

お兄さんお姉さんが大切に大切に受け継いできた、事実である「聖書」をただ信じているんです。
そしてその事実である「聖書」に書かれてある、一番のグッドニュースが、

「神さまの子どもであるイエス・キリストが2000年前に僕らが今住むこの地球に来られ、僕らの罪を贖うために十字架上で死に、3日目によみがえられた!」


ってことなんです。





僕らはその「事実」を、信じ、受け入れているだけなんです。

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