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いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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神さまは心を見る。

こんにちは!!

今週も気付けば金曜日。
なんか、あっというまに過ぎた気がします。。

実は今日は、このblogを書いてから室蘭へ出発です!
高速を使いますが、それでも4・5時間の長丁場。
お祈りいただけると幸いです。


さて、今朝のデボーションの時間のときの話です。

正直今朝は、全然疲れがとれておらず、
またネットがつながらなくて祈祷会にも参加できず、
デボーションをせずにゴロゴロしていようか・・・なんて考えていました。

でも、ベッドに横たわりながら、
「いやいやいや!!一日は、神さまにあって始めなければ!!」
と奮い立たされました!感謝です。


そして、今日の箇所を開いてみると、ヨシュア記5章

ヨシュアが、カナンに向けていよいよ動き出そうってときの話です。


そして、読み進める中で、
この箇所が1、2ヶ月前の礼拝で語られた場所だと思い出しました。

そして、おもむろにメッセージのノートを取り出し、パラパラと眺めていました・・・


いよいよカナンとの戦いを目前に控えたヨシュアの前に、神さまに遣わされた天使が現れます。

でも、ヨシュアはそれを天使だと気付かず、
「あなたは、私たちの味方ですか。それとも私たちの敵なのですか。」

と話かけます。

その言葉を受けて、天使はヨシュアをいさめます。
なぜなら、戦いを前にして、ヨシュアの動機となっていたのは、「神さまのため」というよりは己の肉の思いである「敵意」だったからです。

牧師はこの箇所を通して、何をするにしても、心の動機が神さまに喜ばれるものでなければならないと語っておられました。


僕は、そのノートを振り返りながら、今の自分に照らし合わせていました。
すると、僕の心の動機もヨシュアと同じように、「神さまの栄光のため」というよりは、「人からの評価」や「人からの羨望」であったことに気付かされました。


「人からすごいって思われたい!」
「人からほめられたい!」

そんな思いが、気付かぬ内に僕の行動の動機となっていました。


同時に、先日妹に言われた言葉を思い出しました。
「お兄ちゃんは、神さまとの関係でも形にこだわってることある。」


そっかぁ・・・。。
僕は、妹が言ってくれた言葉の意味がまた少し分かりました。
僕は、聖書を読むことや、祈ることにおいても、「人からの賞賛、評価」という動機をとっていることが多々あったのです。



聖書に、こんな言葉があります。
「人はうわべを見るが、主は心を見る。」
          Ⅰサムエル16:7



人前で、どんなに素晴らしいことをしたとしても、賞賛を受けるようなことをしたとしても、その動機が「人からの賞賛、評価」であったとしたら、神さまは悲しまれます。

逆に、誰にも気付かれなくても、わかってもらえなくても、その動機が「ただ神さまの栄光のため」であるならば、神さまは微笑んでくださいます。


正直、僕自身の肉の思いで、「神さまの栄光のために」という動機を持つことは不可能だと最近気付かされます。
この動機を与えてくださるのは、ただイエス・キリストの十字架の贖いだけ。イエスさまの愛だけです。

1人の罪人として、しもべとして、主の前にひざまずき、イエスさまの愛を求めます。
そして、「ただ神さまの栄光のために」という純粋で無垢な動機を与えていただけるよう、日々祈り求めます。

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