Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

今の自分。

おはようございます(^^
永らく、ご無沙汰しておりました。
佐々木満ちる、元気にやっています。


実は、何度も、blogを書こうとパソコンに向かったのですが、どうしても書けませんでした。

夏休みの中で、たくさんの素晴らしい学びがあったし、素晴らしい出会いもあったし、素晴らしい経験もありました。でも、それら1つ1つを書き連ねることが、今の僕の等身大から出る言葉なのかといったら、そうではないと感じました。

学んだたくさんのこと、出会ったたくさんの人、経験したたくさんのことは、僕がこれから生きる中で1つ1つクローズアップされていく気がしてならないのです。こうやって、「受けた」ものを自分の中で完全に消化できたときに始めて、このblogに書いていける気がします。


そんな中、僕が今神さまから与えられているのはローマ6章です。

僕は、キリスト・イエスにあって、完全に救われました。
僕が何か素晴らしい行いをしたからとか、僕がようやっと神さまの救いを自分の中で体得したからとか、そんなのではありません。
主イエス・キリストが、約2000年前にこの地上に来られ、十字架に架かられ、よみがえられた、その「時点」で、救いは成就しました。
僕は今、ただ主の前にひざまずいて、その救いを受け入れ、救われました。
ゆえに、僕はもう罪に対して死んだ者であり、完全に罪から解放されている者です。


でも、実際のところどうでしょうか。
僕は今も変わらず、罪を犯してしまいます。
自我の思いにとらわれ、自分の欲に負けてしまいます。
なんて愚かな者でしょうか。なんて卑しい者でしょうか。

そんな自分に残されるのは、大きな大きな罪悪感だけです。


それでは、神さまは、僕が「罪悪感」に打ちひしがれることを望んでおられるのでしょうか。
そうではないと思います。


神さまは、これほどまでに弱く、愚かで、卑しい僕自身を示してくださると同時に、「それでも」こんな僕を諦めず、見捨てずに、救い続けてくださることを示し続けてくださいました。


罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。
その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらの行き着く所は死です。ローマ6:20,21


本当に、その通りです。
罪の中に生き続けることは、死に向かうことに他なりません。


しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、清潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。ローマ6:22

アーメン。
イエスさまが、すでに死を打ち破られが今、救われた者は罪から解放されています。
ただただ、その、既に成し遂げられた「救い」を信じて離さないことが、求められています。

天の御国に行くときまで、主イエスから目を離しません。

スポンサーサイト

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://christianstudent.blog27.fc2.com/tb.php/356-7ce007a9
該当の記事は見つかりませんでした。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。