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いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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「人との比較」「人からの評価」

おはようございます。

テストも間近になってきて、いよいよ気分が落ち込んできました。
今朝もなかなか布団から出られず、重く、だるい体をなんとか持ち上げる感じ。

そんな中でも、起きて最初に手にしたのは聖書。

Ⅰサムエル18章を読みました。

そこには、私の心の重荷が何であるかがはっきりと記されていました。



今までも何度かブログに登場してきた初代イスラエル王のサウル。

彼の前に、一人の好青年が現れます。その名はダビデ。
紅顔な美少年であるダビデは竪琴の名手。

そんなダビデの一番の魅力は、神さまへの熱い心でした。

神さまはそんなダビデを、愛されました。


ある日、イスラエルに対してペリシテが戦いをしかけてきます。
一騎打ちの勝負をしようというのです。

ペリシテから出たのは、大柄で、若い頃から鍛えられた戦士ゴリアテ。
彼は、イスラエルには自分と戦えるものはいないのか?とバカにします。

しかし、いかにも強そうなゴリアテを前にして、イスラエルの戦士は誰一人として立ち上がりませんでした。


そこに現れたのが、あの好青年ダビデ。
ダビデはゴリアテの言葉を聞いて立ち上がります。

唯一絶対なる神さまを信じていたダビデが、
「主はおまえを私の手に渡される。」と言い放ち前に出ます。

若い青年であるダビデを見て、ゴリアテはバカにします。

しかし、ダビデは使い慣れた石投げで、一つの石をゴリアテに投げ、その石はゴリアテの額に命中。
ゴリアテは一瞬にして倒れるのです。


その後も、神さまを信じ、力を受けたダビデはいくつもの戦いで大勝利を収める者へと成長するのです。



問題はここから。



そうやってイスラエルの民の注目は、一人の王であるサウルから、一人の若者であるダビデへと移っていきます。
サウルの息子や娘たちをも、ダビデをたたえます。

最初は皆と一緒にダビデのことを喜んでいたサウルでしたが、次第にその思いが憎しみ、嫉妬へと変わっていきます・・・。




なぜでしょうか?
サウルはなぜ、愛していたダビデを憎むようになったのでしょうか?


それは、サウルの心の動機、モチベーション、アイデンテティがいつも、「人との比較」「人からの評価」にあったからではないでしょうか。

今まではサウルより高い名前、ほめたたえられる名前はなかった。ダビデが現れるまでは。
今まではイスラエルの民の評価はダントツでサウルが一番だった。ダビデが現れるまでは。


サウルにとって、ダビデは自分の根幹、土台、存在意義を揺るがす存在になりました。
だから、サウルはダビデを憎みました。




一方で、僕の心の重荷にも近いようなものがあることに、気付かされました。

テスト直前という中で、僕が気にしているのは「誰がどれだけ進んでいるか。」「誰がどれだけ進んでいないか。」でした。人との比較によって、心の安定、平安を求めていました。

一方で、これは相変わらずですが、このブログを含め、僕はいつもどんなときも、「人からの評価」を求め、気にしているのです。



この後、サウルはどうなったか・・・それは容易に想像がつくでしょう。

僕は、サウルと同じ徹を踏むわけにはいきません。
それでは、僕はどうしたらいいのでしょうか。


答えは、僕の動機、モチベーション、アイデンテティを、神さまとの1対1の関係の中に求め、築くしかないのです。

分かっています。
それでも、僕はずっと、ずっとここから抜け出せません。
ずっと、「人との比較」「人からの評価」が僕の心を縛って、離さないのです。


僕がそこから解放されるには、神さまの御力が働かれる他はありません。

僕は、祈ります。求めます。
徹底的に砕かれ、徹底的に取り去られ、ただ唯一絶対なる神さまのもとで「佐々木満ちる」を見出すことを。

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