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いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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人を愛する。part3

こんばんは★

今日は、花の金曜日。
1週間お疲れ様でした!

このblogを読んで下さる皆さんが、健やかでありますように。
そして、今日も明日も明後日も、忙しい方には、主より力が与えられますように。


ここ最近、人を愛することについて、よく思い巡らします。
「自分にしてもらいたいことを、他の人にする。」
そんな一見簡単そうなことが、実は一番難しい。


そんな中で、神さまは聖書を通して、「人を愛すること」について語ってくださいました。


アブシャロムを亡くし、嘆き続けるダビデ王を前に、隊長のヨアブは言います。

「あなたは、きょう、
 あなたのいのちと、あなたの息子、娘たちのいのち、
 それに、あなたの妻やそばめたちのいのちを救ったあなたの家来たち全部に、
 きょう、恥をかかせました。・・・

 それで今、立って外に行き、
 あなたの家来たちに、ねんごろに語ってください。
 私は主によって誓います。
 あなたが外においでにならなければ、
 今夜、だれひとりあなたのそばに、とどまらないでしょう。
 そうなれば、そのわざわいは、
 あなたの幼い頃から今に至るまであなたに降りかかった、
 どんなわざわいよりもひどいでしょう。」

 2サムエル19:5-7


確かに、ヨアブの言うことは正論です。
王のために戦ってきた家来たちを前にして、本当なら「よくやった!よく勝利を収めた!」と激励すべきかもしれません。
でも、ダビデの心は、勝利を収めた喜びよりも、最愛の息子を失った悲しみが勝っていました。


「人を愛する」ことは、その人に正しいことを言うことではありません。
その人が今、何を考え、何を悩んでいるか思い巡らし、「その人今、何をすることが最善であるか」を考えて、実行することです。


僕は、そこが弱いです。
ヨアブのように、人の感じ方や考え方に配慮するよりまず、自分の考え、正しさを主張することをとってしまいがちです。



対照的に、19章の後半からは、ダビデの「愛」が伝わってきます。

ダビデは、お世話になったお年寄りのバルジライになんとか恩返しをしたいと思い、一緒に都エルサレムへ戻ることを提案します。

しかし、バルジライは「残り少ない命をふるさとで終えたい、私の代わりに愛する家来(キムハム)を連れて行ってくれ」と頼みます。


そのとき、ダビデは言いました。

「キムハムは私といっしょにわたって来てよいのです。
 私は、あなたが良いと思うことを彼にしましょう。
 あなたが、私にしてもらいたいことは何でも、
 あなたにしてあげましょう。」

 2サムエル19:38


ダビデは、自分の考え、思いをバルジライに押し付けることはしませんでした。
彼が何を願っているかを懇切丁寧に聞いたうえで、彼の言ったとおりにしました。


忘れてはならないのは、ダビデが一国の王だと言うことです。
やろうと思えば、全てを自分の意のままに動かすことができる王。
そんな立場でありながら、ダビデは「人を愛する」という最も大切な神の命令を守っていました。


人を愛する。
そのためには、偉大な神の前に、へりくだった心が必要です。
「自分には、何もない。
 この命はもちろん、正しさ、救い、全ては、神より与えられている。」

そんな謙遜な心がない者に、愛は実践できません。


イエス・キリストが御子であられながら、人類の中で最もへりくだる道を選ばれたように、僕も、とことん砕かれる道を選びます。


「たとい私が預言の賜物を持っており、
 またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、
 また、山を動かすほどの信仰を持っていても、
 愛がないなら、何の値うちもありません。

 1コリント13:2

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