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ネヘミヤという男

こんにちは!
今日も、by GRACE, to GLORYにお越しくださり、ありがとうございます♪

気付けば、もう12月ですね。
今年も、あっという間に過ぎ去ったように思います。

きっと色々なことがあったんでしょうが、色々ありすぎて、
「2011年は○○な年だった・・・」なんて簡単には言えません。笑

でもこの一月、2011年をゆっくりと思い巡らし、2012年に備えていきたいと思っています。



今日は、聖書に登場する「ネヘミヤ」という人物の生き方から学ばされたことをシェアさせていただきます。

というのも、旭川医大の聖書研究会で秋ごろから、ネヘミヤ記を学んでいるんです!(現在6章)
その中で、ネヘミヤという人物の生き方に感銘を受け、是非とも皆さんとシェアしたい!と思ったんです。


まずは、ネヘミヤという人物の紹介です。

時代は、紀元前450年ごろ。
このblogにもよく登場しいるダビデの、ずっと後のお話。

そもそも、ダビデが亡くなった後、イスラエルには大きな変化がありました。

国が二つに分裂したのです。
「北のイスラエル」と、「南のユダ」。
その経緯は省略しますが、歴代の王、国民が神さまから離れていった結果でした。

そして、ついにはイスラエルも、ユダも、各々他の国に侵略され、支配下に置かれてしまうのです。


ネヘミヤはそんな時代に生を受けました。
そして彼は、イスラエルでもユダでもなく、ペルシャという全く別の地で育ち、王宮の献酌官として働いていました。


そんなある日、衝撃的な事実が彼の耳に入るのです。
これが、物語の始まり。


「エルサレム(イスラエルの都)の城壁が崩され、門が焼き払われている。」


彼は、驚き、嘆きました。
イスラエルの人たちにとって、その城壁はとても大切なものだったからです。
というのも、彼らにとって「城壁」とは、単なる囲い、防御網という意味に留まらず、「神さまと自分たちの関係を守るもの」という大切な意味が込められていたからでした。

彼は嘆きの後に、神さまに祈り、決意するのです。
「イスラエルに戻り、城壁を建て直そう!」


しかし、当然その道は容易ではなく、幾つもの無理難題がありました。

まずは、ペルシャの王様を説得しなければなりません。
自らが仕え、かつイスラエルを支配している王様に何と言えば良いのだろうか。
彼は悩み苦しみながらも、神さまを見上げて祈り続け、最初の関門をクリアします。


次は、現地に着いてから。
当時のイスラエルには、イスラエル人のみならず、周辺の諸国の人たちも住み着いていました。
そして、彼らはネヘミヤの城壁の再建に猛反発しました。
時に罵倒し、時に命を狙うなど、彼らはネヘミヤとその計画を潰そうとしました。

同時に、同じ血が流れるイスラエル人の人たちの説得も簡単ではありませんでした。
城壁の再建という大仕事、当然一人で頑張ってできるものではありません。
それでも彼は、根気強く、神さまに頼りながら、仲間を集めていくのです。


そして彼らはついに工事に着工し、52日間の後、城壁を再建することに成功するのです。



そんな彼の姿に、僕の心は揺さぶられました。
同時に、彼の姿から、僕らの人生にとって大切なことを教えられたように思います。


特に驚くのは、彼の「揺るがなさ」です。

52日間、彼はいろいろな攻撃、誘惑がありました。
周囲の諸国の人には、「君の仕事をねぎらってあげるから、こっちにおいで。(実は彼をおびき寄せて殺してしまおうという計画でした)」とだまされ。
イスラエルの人にも、「あなたを襲おうとしているから神殿に逃げ込みなさい。(当時神殿の中に入っていい人は限られており、入ってものは死が待っていました)」とだまされ。
また、「実はお前がこの仕事で名前を上げ、イスラエルの王になろうとしているのを知ってる。そんな噂も流されているぞ。」と言われ。

ここに書ききれないほどの、攻撃、誘惑が彼を襲いました。

それでも、彼は決して揺るぎませんでした。
どんなことがあっても、彼の計画、彼の道はまっすぐでした。

それは、彼の「城壁を再建しよう。」という使命感の強さ、「何があっても神さまに信頼しよう。」という神さまとのつながり、信仰の強さからくるものでした。


それでは、彼のその使命感の強さ、神さまとのつながりの強さは、どこから生まれたものだったのでしょうか。
彼が生まれながらに持ち合わせていた何かなのでしょうか。


私は、ネヘミヤ記を読み、彼の発言、行動から一つの答えにたどり着きました。
それは、ネヘミヤという人の生きる源、動機が「神さまから与えられる恵み」にのみ、あったということでした。

彼の心にはいつも、神が自分になしてくださった素晴らしいこと、感謝なこと、力を与えてくれること、祈りを聞いてくれることがあったのです。
その「恵み」が故に、彼は「城壁を再建しよう」と思い立ち、イスラエルに戻り、使命を成し遂げることができたのです。

もし仮に、彼が人間的な動機が、例えば有名になること、イスラエルの王になること、王さまから褒められることだとしたら、必ずこの計画は途中で頓挫していたことでしょう。


前前々回?の日記も書きましたが、私はここ最近「神さまの恵みに生きる」とはどういうことかを思い巡らし、そのたびに平安と力が与えられています。
クリスチャンにとっての生きる源、動機は自分の思いではありません。
神さまがいつも与えてくださっている恵みなのです。

その中で最も大きく、高く、深く、私たちの頭じゃ知り得ないもの。
それが、イエス・キリストを通してなされた「救いの御業」です。

イエスさまを受け入れたとき、人生が180度変わります。
心のモヤモヤ、忘れられない過去、絶望感、あらゆる負の気持ちから解放され、毎日が光り輝きます。
光の中を歩むことが出来ます。




話は戻りますが、僕も、ネヘミヤのように、「神さまの恵みのゆえに」これからも走り続けます。
自分が与えられている使命を、この地上で全うし、天国に行きたいと思っています。

「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」Ⅱテモテ4:7

そう言えるように。

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