Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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甘え

こんにちは!
by GRACE, to GLORYにお越しくださり、ありがとうございます。


気づけば、久しぶりの更新となってしまいましたね。

僕は今、後期試験期間で、木曜日に最後の試験!という状況です。


ここ最近、ほぼ毎日デボーションも欠かさずできて、
「まぁ、神さまから離れて生きてはいないだろ・・・」
と思っている自分がいました。

ただ、今朝開いたマタイ13章(本当はマルコ13章なのに間違えました)のみことばが、目に留まりました。

あなたがたは確かに聞きはするが、
決して悟らない。
確かに見てはいるが、決してわからない。
この民の心は鈍くなり、
その耳は遠く、
目はつぶっているからである。

マタイ13:14


「このみことばは自分のことだ・・・」
そう気づかされるまでに、時間はかかりませんでした。

事実ここ最近、聖書を読んでいても、礼拝のメッセージを聞いていても、私の心がそれを求めておらず、受け止めてもいませんでした。
私の心は神さまの恵みに対して飢え乾いてはおらず、この世の他のもので満たされていたのだと思います。


その中で、私は自分の心に、「甘え」があったことを気づかされました。

「まぁ、なるようになるだろう。」という無関心。
「まぁ、なんとかなるだろう。」という慢心。不誠実。
「ちょっとぐらいいいだろう。」という気の緩み。
「もう今日はいいや。」という怠惰。

そうやって自分自身を甘やかし、神さまのうちに留まることを避けました。



同時に、マルコ13章でもあるみことばが心に留まりました。

だから、目を覚ましていなさい。家の主人がいつ帰って来るか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、わからないからです。
主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないようにしなさい。
わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。
目をさましていなさい。

マルコ13:35-37


イエスさまが、いつ、この地上に来られるか、それを知るものは誰もいません。
僕が死んだずっと先かもしれない一方で、明日、今日かもしれません。

だから、イエスさまは警告しています。
「目をさましていなさい。」と。

僕はどこか、イエス・キリストの十字架によって贖われ、救われているこの人生を、軽んじていたように思います。
自分がクリスチャンとして生きる使命は何か、僕はこの地上で何をしなければならないかをしっかり握っていないことが、この甘えの一因であるとも思います。


2011年も残すところ18日。
目をさまし、神さまを見上げ、自分と向き合い、過ごしていきたいと思います。

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