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いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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主を認めること

こんにちは!
そして、お久しぶりです(^^

気付けば、更新は1ヶ月半ぶりぐらいですかね?
このようにして、また、ブログを通して皆さんにお会いできたことを嬉しく思います(^^

この1ヶ月半と言えば・・・
実習、実習、実習、というなんともシンプルで忙しい日常だったのですが、その中でも、小さいこと、大きいこと、いろんなことがありました。
そして、どれを振り返っても、ただただ神さまの素晴らしさを覚えるばかりです。。
本当に、神さまは素晴らしいお方です。


さて、本題に入る前に、忘れちゃいそうなので書いておくと、ブログタイトルをちょっとばかし変えました。(戻しました。笑)
まぁ、大して深い意味はないんですが、シンプルisベスト!ってのと、to GLORYの「t」を「✝(十字架)」にしたら、「十字架という神さまの恵ののゆえに・・・」っていうこのブログのモットーが含まれるんじゃない!か?ってことからです(^^
これからも、✝o GLORYをよろしくお願いします★


ではでは、本題に入るんですが、今日のタイトルは、「主を認めること」としました。

「主」っていうのは、神さまのことです。
そしたら、「神さまを認めること」っていうことになりますが・・・
ここで言ってる、「認める」っていうのは、
「いやぁ、やっぱり君はすごいねー!!他の誰がなんと言おうと、君は認められるべき存在だよ。」
とか、そういう「評価する」っていうニュアンスとは違います。

そうではなくて、
「君は、僕にとってかけがえの存在。君がいなければ、僕は生きていけないよ。」
っていうような、「その人の存在を価値あるものとして受け入れる」というニュアンスです。


そもそも、「主を認めること」を書こうと思ったのは、今週の生活の中であるみことばが思い出されたからでした。

心を尽くして主に拠り頼め。
自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
自分を知恵のある者と思うな。
主を恐れて、悪から離れよ。

箴言3:5-7

この個所は、とっても有名な箇所で、僕も何度も聞いたことがある箇所でした。

あの時、僕の心に「主を認めよ。」というみことばが思い出され、響いたのは、まぎれもなく自分の生活の中で主を認めていない僕がいたからでした。


僕は確かに、神さまを知っています。
目に見えないが、今も生きておられ、僕が生まれるずっと前から僕を選び、愛してくださっていた神さま。
イエスさまという御子を十字架にかけてまで、僕という1人の人間との和解を願い望み、あわれんでくださった神さまです。

でも、「神さまを知っていること」と「神さまをその生活の中で認めていること」とは違います。裏を返せば、神さまを知り、信じていながらも、神さまを認めないで生きることは可能だということです。

教会やクリスチャンの友達と話すときは、「神さまって本当素晴らしいよね!イエスさまって本当に愛に満ちた方だよね!」と言いながら、一歩外を出て、普段の生活に戻ってみると、自分の思うように、願うように発言・行動し、端から見て「それで本当にクリスチャンなの?」って思われるような生き方をしてしまう場合もあるわけです。

実際、今週を振り返っただけでも、僕は自分の生活の中で神さまを認めず、自分の思いに身を任せて、噂話をしたり、陰口をたたいてしまったり、人を見下してしまったことがありました。

なぜでしょうか。
それは、みことばにある通り、「自分の悟りにたより、自分を知恵ある者と思っているから」です。
もっと分かりやすく言うなら、意識的、あるいは無意識的に、「自分の思うままに考え、行動し、生きていく道が一番楽だし、幸せだと思っているから」です。

けれども、そうではありません。
自分の思うままに生きる道は、悲しく苦しい、曲がりくくねった道です。
人を傷つけてしまったり、人と幸せな人間関係を築けなかったり、生きる意味、使命を見出せなかったり・・・
その道は本当に幸せでしょうか。

神さまは、いつも、あなたがいる場所で、私のことを認めなさいと語っておられます。
神さまを仰ぎ見、神さまの思い、みこころを求めなさいと語っておられます。

神さまを認める日々は、本当に幸せに満ち溢れています。
何せ、僕ら一人ひとりに目的をもって作られた設計者であられるお方ですから、僕らの中に愛を与え、人間関係を祝福し、最善への道へと導いてくださいます。



最後になりますが、正直、僕はこのブログを書きながら、とても心苦しい気持ちです。
僕は、皆さんに「僕は日々の私生活の中で神さまを認め生きてるよ!たくさんの人に愛を与えているよ!」なんて言えないようなものだからです。
いっぱい、悪いことも言っちゃうし、いやなことをしてしまっています。

ただ、そんな僕をあきらめず、愛し続けてくださっている神さまの愛のゆえに、僕はまた次の一瞬から主を認めて生きていこう!と歩み始めます。主を認め、主に従い、愛をもって生きることを、あきらめません。

まぁ、悪いことしてもイエスさまの愛で赦されるから!とかそんな安易な「悔い改め」ではなく、あわれみ深い神さまの前に真に罪を悔い改め、この人生を歩んでいこうと思います。


主にありて

2012.6.23
佐々木満ちる

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-8 Comments

says..."管理人のみ閲覧できます"
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2012.06.24 07:47 | | # [edit]
says..."管理人のみ閲覧できます"
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2012.06.26 22:52 | | # [edit]
おほほ弟子 says..."お久しぶりです。"
実習お疲れ様で~~~~す!!!

この御言葉は、今の私の信仰生活の根幹なっている御言葉でもあり、おもわず、コメしてます。

すべてのことに主を認めるとは、よいことに思えることでも悪いことのように思えることにも、私たちの人生の出来事は、すべて主の御手のうちに起こっていることであることを認め、主に信頼し歩むことですよね。
そうすれば、後は主がまっすぐにしてくださいますよね。

アーメンです。
2012.06.27 17:55 | URL | #- [edit]
佐々木満ちる says..."Re: お久しぶりです。"
おほほさん、お久しぶりです!
そして、コメントありがとうございます。
> すべてのことに主を認めるとは、よいことに思えることでも悪いことのように思えることにも、私たちの人生の出来事は、すべて主の御手のうちに起こっていることであることを認め、主に信頼し歩むことですよね。
アーメンです。
主を認め、主に従うこと、そのためには自分の生活の一つひとつを見直す必要があるのだと最近感じています。
少しずつでも、自分の生活が主に喜ばれるものへと変えられていき、主の御心にかなうものとなりたいと思います。
2012.06.30 22:22 | URL | #- [edit]
アリス says...""
こんにちは。
お久しぶりです(^^)/
大学生活にも、やっと慣れてきました。
紹介してくださったKGKが、私の大学でも活動していたので(月一なのですが)、参加しています☆
今回のブログで、神様を認めることの大切さについて、改めて考えさせられました。
私生活の私は、嘘をついたり、自己中心だったり、傲慢になったり、人を許せなかったり、人を見下したり・・・
日々の生活の中で、神様を悲しませるようなことをたくさんしてしまいます。
本当に、数え上げるときりがありません。
正直、この一週間、デボーションしているとき、辛かったっです。
神様に、顔を見せることができません。
自分の力で、自分を変えようとすると、逆に、なにも変えることのできない自分に、イライラしたり、失望したりします。

今、神様のことを、心から認めようと思います。
神様に喜ばれる生活ができる者へと、私が変えられることを信じて、日々歩んでいこうとおもいます。

今日、このブログを読むことができて、本当に感謝でした。
ありがとうございました!(^^)!

2012.07.08 23:45 | URL | #- [edit]
佐々木満ちる says..."Re: タイトルなし"
アリスさん、コメントありがとう(^^
大学生活にも慣れてきたみたいで、感謝だね!
KGKを通して、良き信仰の友、豊かな学びが与えられるといいね★

> 神様に、顔を見せることができません。
> 自分の力で、自分を変えようとすると、逆に、なにも変えることのできない自分に、イライラしたり、失望したりします。
> 今、神様のことを、心から認めようと思います。
> 神様に喜ばれる生活ができる者へと、私が変えられることを信じて、日々歩んでいこうとおもいます。

大学生活を迎えて5年目の僕も、まったく同じだよ。
「5年間、何をやってたんだろう・・・」って思わされること、今でも、何度もあるんだ。
そうやって自分自身の弱さを悲しむ度に、ただただ神さまの愛の大きさを覚えるよ。

悲しいかな、きっとこれからも、自分の弱さ、醜さに嘆き悲しむ日が来る。

それでもイエスさまにあって、何度でも立ち上がろう。
神さまが僕らをあきらめなかったように、僕らも、あきらめちゃいけないよね。
2012.07.09 16:58 | URL | #- [edit]
けいこ says...""
あれーーーっ まさか、神様のことを「僕と君」なんて友達感覚の言葉使いをしているのではないですよね。
君が代などと使われるような、高貴な人に対して使う「君」ですよね。

でも、神様のことを「君」というよりも「主」と言う方がふさわしくないかしら?
主従の関係の主です。
私たちの造り主の主
それぞれの人生の目的も意味も握っておられる主
2012.08.11 19:18 | URL | #4kI1SnbY [edit]
佐々木満ちる says..."Re: タイトルなし"
けいこさん、こんばんは(^^!
コメント、ありがとうございます♪
そして、コメントのお返しが遅れてしまってごめんなさい。

> あれーーーっ まさか、神様のことを「僕と君」なんて友達感覚の言葉使いをしているのではないですよね。
> 君が代などと使われるような、高貴な人に対して使う「君」ですよね。
>
> でも、神様のことを「君」というよりも「主」と言う方がふさわしくないかしら?

けいこさんが言っておられるのは、ブログの中の次の文章だと思うんですが、


「主」っていうのは、神さまのことです。
そしたら、「神さまを認めること」っていうことになりますが・・・
ここで言ってる、「認める」っていうのは、
「いやぁ、やっぱり君はすごいねー!!他の誰がなんと言おうと、君は認められるべき存在だよ。」
とか、そういう「評価する」っていうニュアンスとは違います。

そうではなくて、
「君は、僕にとってかけがえの存在。君がいなければ、僕は生きていけないよ。」
っていうような、「その人の存在を価値あるものとして受け入れる」というニュアンスです。


この中で言っている、「君」というのは、もちろん、主なる神のことではありません。
「認める」という言葉を、わかりやすく噛み砕くために、人と人との間での例話として用いました。

ただ、けいこさんのおっしゃる通り、部分的に読むと、誤解を招くような文章でしたね。
ご丁寧にご指摘くださり、ありがとうございました(^^!

ぜひともまた、ブログに遊びに来てくださいね!

満ちる
2012.08.17 20:23 | URL | #- [edit]

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