Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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うさんくささ。

人に言っている事とやっている事とが、違う人って、なんかうさんくさいですよね。

言葉にするだけなら、いくらだって格好の良いことは言えます。
でも、言ったことを、本当に、本当に、やっているかどうか、人は見てます。
そして、どんなに格好の良い言葉を並べてみたって、人は「うさんくささ」を何となく感じるものだと思います。


果たして、僕自身はうさんくさくないのか。

いいえ、うさんくさいです。

僕が教会で言ってること、聖研で言ってること、家族に言ってること、友達に言ってること、そしてこのブログで言ってること。
どれだけやってきたかって思う時、胸を張って「やってきました!」なんて言えません。


そしたら、ある人は言うかもしれません。
「それなら、言わなきゃいいのに。自分にできないことなんて、言うべきじゃないよ。」

でも、果たしてそうなのでしょうか。
もちろん、自分にできないことなのに、できるかのように言うことや、自分ができてないのに、できたかのようにウソを言うことは、間違っていると思います。

けれども、「自分には無理だ。できない。だから、言葉にしない。」って諦めることは、間違っていると思います。

それは、神さまが、僕のことを、あきらめなかったからです。そしてこれからも、あきらめないからです。
神さまは、僕が何度失敗しても、あきらめず、僕を愛し、励ましてくださいました。そしてこれからも、愛し、励ましてくださいます。

その神さまに対して、「あきらめる」ということは、できません。


一方で、あるクリスチャンは言うかもしれません。
「何度失敗したって大丈夫だよ。神さまが赦してくださるから。」

この言葉は、ある意味正しいことではありますが、注意しなければならないとも思います。

というのも、「最後に赦されるなら、好きなように生きていいんじゃない」って思ったり、「『神さまに従う』とか、なんか難しいこと考えなくていいよ。だって神さまは僕らに一番良い道を用意してくださってるんだから。」って思ったり。
そういった「安易」な生き方に引っ張られてしまうことに、注意しなければならないと思います。

イエスさまというひとり子をこの地上に遣わし、十字架にかけ、死に渡してまで、僕らを救ってくださった神さまの愛を、いとも簡単に「あしらう」ことは、できません。


悲しいかな、僕はこれからも、言っている事とやっている事とが違い、「うさんくさい」と言われざるを得ないことがあると思います。
けれども僕は、「うさんくささ」を持つ自分自身の弱さを憎み、イエス・キリストの前に進み出てきよめていただきたいと思います。神さまを見上げ、神さまに従う人生を、あきらめたくないと思います。


それはただ、神さまが僕を愛し、あきらめなかったからです。

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