Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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自分自身

こんばんは!


日本全国、残暑が続いていますね。
意外かもしれませんが、それは北海道も同じで、日中は30度近くまで気温が上がります。

ただ少し違うのは、夕から朝にかけては、グッと気温が下がるところです。
私はその気温の下がった夜道が好きで、少しばかりの肌寒さを感じながらも、半そで短パンでよく散歩しています。

ゆっくり小道を歩きながら天を仰ぐと、きれいな満月と星空。
天を仰ぐたびに、天地と創られた神さまの大きさと、自分の小ささを覚えます。



今日は、夏休み最後の主日礼拝でした。
兄弟姉妹と共に、聖書を開いて神さまの言葉に心を澄ませる時は本当に幸いです。

そして今日も、神さまは牧師を通して語られるメッセージを通して、今の私に必要な「糧」を与えてくださいました。


実は、ここ最近思い巡らしていることがあったんです。
それは、とても簡単な問いで、

「神さまがどれほど素晴らしいお方か知っていて、イエスさまの愛を受けていながら、なんでいつも俺は自分勝手に生きるんだろう。気付かぬ内に、神さまに背を向け、離れていくんだろう。」

ということでした。


最初はそんな自分に呆れていたんですが、ついには呆れを通り越して、「何なんだろ・・・。何でだろ・・・。」って思い巡らしていました。


そんな中、今日のメッセージを聞きました。
乾いた心に、みことばという生ける水がスッと滲みこんできました。

答えは本当に簡単でした。
それは、「何なんだろ・・・。何でだろ・・・。」って言ってる自分自身だったからです。


「佐々木満ちる」という人間こそが、自分の心の内に聖いイエス・キリストを受け入れ、神さまの前に出て行くことを必死に邪魔していたんです。

なぜって、きっといろんな理由があるんだろうけど、一つは「佐々木満ちる」の思うように考え、生きることの方が幸せだと思ってるからだと思います。
本当はそうじゃないって、何度も何度も知らされてるのに。

それに、イエス・キリストを心に招き入れ、私の心で生きていただくには、「完全」に心を明け渡さなきゃいけないからだと思います。

なんか、あれなんですよ。(どれなんですよ?笑)
心を何分割化して、ほとんどはイエスさまに明け渡すので、ちょっとだけ「佐々木満ちる」に握らせてくださいって訳にはいかないんですよね。

イエス・キリストは、完全に聖いお方だから、ちょっとでもダークな「佐々木満ちる」スペースがある限り、私の心に住むことがおできにならないんです。

私の心で握ってるもの、隠してるもの、全部差し出して、自分の心をすっからかんにして初めて、イエスさまを私の心にお招きできるんです。


その事を、私はしみじみ感じています。


正直、気付かぬ内に、ひょっこり「佐々木満ちる」が現れて、私の心を我が物のようにするけれど、私はもうそっちには加担しません。

「悪いけど、『佐々木満ちる』君、ちょっと俺の心から出てってくれ。俺の心にもう君の住むところはないんだよね。君のものは全部捨てちゃって、ここはもうイエスさまの家なんだ。」

そう、何度も言って生きたいと思います。


私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が肉にあって生きるのは、私を愛し私のためにご自身を押す手になった神の御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ2:20

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