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いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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北見

こんにちは。


この三連休、久しぶりに、実家の北見に帰ってきました。

小さい頃からずっと慣れ親しんできた、景色、人。
変わったものもあれば、変わってないものもあって、何か不思議な感じ。


正直、北見は自分にとって複雑な場所です。

もちろん、楽しい、明るい思い出もいっぱいあります。
だけど、なんか思い出すのは、傷つけてしまった人とか、その思い出とか、悲しい暗いものの方が多いんです。

だから、ある時から、あまり実家に帰りたくなくなって・・・
自分の心の暗いものにはフタをして、忘れよう、逃げようとしました。

ぶっちゃけ、聖書に書いてある「悔い改め」の意味もちゃんと分かってなくて。
「イエスさまの十字架によって、過去とか、罪とか全部きよめられてるから、もう考える必要はない!」って思ってました。



でも、今回、色んな運びがあって、北見に帰ってきて。

近所ブラブラして。
小学校の時から、何も変わらない「50段階段」登って。
ちょっとだけ変わった景色眺めて。

不思議と静かな心で、色んなこと思い出しました。
フタしてたことも、開けてみました。

そしたら、あの時と何も変わってなかった。
ずっと逃げてた過去と罪は、私の心の中では、あの頃と全く同じあり様でした。


そんな中、今日の礼拝を通して思いました。

イエスさまが言っておられる「悔い改め」って、忘れること、逃げることじゃないんですよね。
むしろ、向き合うこと。

イエスさまの十字架は、過去も罪も消せる「万能消しゴム」ではなくて、むしろ、その背中に重くのしかかった十字架こそ、私の過去であり、罪でした。

イエスさまは、それを背負って、ゴルゴダの丘を上られ、その十字架にかかられました。
私の過去と罪を背負って、死なれ、全くきよめてくださいました。


そのイエスさまが聖書を通して、言っておられます。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」
ルカ9:23

自分を捨てて、暗い過去、してしまった罪を背負って、ついて来なさい。
忘れるのでもなく、逃げるのでもなく、むしろ日々背負って・・・



礼拝の後、もう一度「50段階段」を上りました。
景色は昨日と変わりません。

けれども、私の背中には、昨日まではなかった「過去と罪」という十字架があります。
ただただ、イエス・キリストが、私のためにそれを背負われ、赦してくださったからこそ、私はこれを背負い続けます。


50段階段

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