Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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熱く、強く

おはようございまーす!
そして、メリー×2クリスマース♪

今朝もこうしてブログを更新できて感謝。
神さま、新しい朝、素敵な人達、僕にたくさんの素晴らしいものを与えてくださって感謝します!

金曜日に実習を終えて、夜には七人兄弟の一番上のお姉ちゃんと一番下の弟が来ました!
今旭川にいるのが、三番目の僕と、五番目の妹だから、なんと、今回集結したのは1&3&5&7の奇数メンバー。だから何かって言われると、何もない。笑

そして、週末は妹と弟とカラオケ行ったり、ご飯食べにいったり、とっても楽しい時間を過ごせました(^^)/

さらには昨夜は、四人でうちのパパ&ママ&他の兄弟が絶賛していた、レ・ミゼラブルを観に行きました。
この映画は、もともとミュージカルとして上演されていたものなので、映画でもほとんど全てのセリフが音楽に乗せられていました。
観おわって、いろんなこと考えさせられました。

なんだか、ここで一言に収めるのはもったいないなーって思うくらい、僕の心に静かに、そしてゆっくりと、何か重くて大切なものが置かれた感じ。

この映画を観る前、ちょうど僕の心には一つの葛藤があったんです。

それは、「このままでいいんだろうか?」って問い。
僕は一人のキリスト者として、男として、日本人として、いつもその現状に甘んじることなく、前を向き、熱く、強く生きることができないのだろうかって思ったんです。
なんだか、まーた漠然としてますね。笑

ただ、そんな思いが、昨日の礼拝のメッセージを通しても、そしてデボーションで読んだ聖書を通しても僕の心は強く揺さぶられました。

昨日のクリスマス礼拝のメッセージは、イエスさまの誕生を祝いに、東方の博士たちがイスラエルにやってくる時の話。
不思議なことに、イエスさまという救い主がお生まれになったことは、イスラエルの人達は全く気付いていなかったんです。
普段通り生活していたさなか、突然に東方から博士たちがやってきました。
当時の「博士」は、富も権力も名声も全てを手にした人達でした。
そんな彼らが不意に現れ、「イスラエルに救い主がお生まれになりました。」と言った時、イスラエルの王は、民はどのような反応したか。
それは、「恐れ」でした。
喜びでも、感動でもなく、彼らの心を支配したのは「恐れ」でした。
というのは、彼らは毎週礼拝し、日々祈りをささげていたにもかかわらず、本当に心から、熱く、強く、救い主の到来を信じ、待ち望み、期待していなかったからではないでしょうか。

そんな彼らに対して、博士たちは、救い主の誕生を心から喜び、一目見ることを切実に願い、田舎町ベツレヘムに下ったのでした。
そして、彼らがこの地上にお生まれになったイエス・キリストに出会った時のことを、聖書はこう書いています。

「すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。」
マタイの福音書2章9-10節

彼らは、この上もなく喜びました。
その喜びといったら、本当に本当に大きかったことでしょう。
彼らが会うことを望みに望んだ、全ての人の救い主、イエス・キリストをその目で見たのですから。
そして彼らは、黄金、乳香、没薬をささげました。
この世のすべてのものを手にした者たちが、幼子の前にひざをかがめて、これらをささげました。


彼らの姿を通して、僕は思いました。
「俺に、これほどの思いがあるだろうか。本当に心から、熱く、そして強く、イエス・キリストを求めているだろうか?そして、救い主イエス・キリストに、全てを捨て、ひざまずいて従っていく覚悟ができているだろうか?」
そう問われました。


そして家に帰り、ベッドに横になって聖書を開くと、あるみことばが心に留まりました。
「しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」
ルカの福音書16章13節




大分話が遠回りしましたが、レ・ミゼラブルにもどりましょう。
話の舞台は、1800年代のフランス。
僕らの想像をはるかに超える貧富の差。
明日を生きるのにも必死の人達もいれば、富と名声を手にした人達もいた。
たった一つのパンを盗んだが故に20年近く投獄され、全ての希望が絶望に代わり、全ての愛が憎しみへと変わった男。
愛する娘のために体を酷使するもその先には絶望があり、ついには身を滅ぼすに至ってしまう女。
目の前にある現実を変え、明るい未来を創りだそうと立ち上がる若者たちに待つ、無残な死。
そんな真っ暗闇の中でも、時は過ぎゆく。

けれども、彼らはそこで終わらないのです。
彼らは、そんな絶望の淵にいようとも、諦めず立ち上がります。
どんな苦しみの中でも、悲しみの淵にいようとも、顔を上げて、希望を模索するのです。
生きるのです。

彼らの姿を見て、「生きる」ことを再度問われました。
先の話にもつながりますが、神さまは中途半端な生き方は僕に求めておられません。

状況に甘んじること。
神の恵みを侮ること。
それこそ、神さまが本当に悲しまれること。

僕は、今のこの時代、この日本において、一人のキリスト者として、一人の男として、熱く、強く生きたい。

その熱さ、強さはどこに向けられているものか?
それは、まぎれもなくイエス・キリストです。
富のために?
権力のために?
名声のために?
それらは全て空しいこと。

僕がイエス・キリストに全てをささげるのは、キリストにあって熱く、強く生きたいと願うその原点、根底は、全てキリストにある愛に始まります。

その愛の深さ、高さ、大きさ、それらが計り知れぬがゆえに、あまりに素晴らしいが故に、僕はイエス・キリストただお一人を見つめ、熱く、そして強く生きていきたいと思えるのです。


今日は、クリスマスイブ。
救い主、希望の光がお生まれになった日まで、残すところあと一日。
皆さんのクリスマスが、「真実」の喜びを心から握る日でありますように。

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-2 Comments

さうす says...""
昨日の礼拝メッセージから、私は自分の3年半の教会生活が、神様を礼拝しているつもりでありながら、自分の思いを満たすために礼拝していなかったかを振り返らされました。
自分がこうだから、周りがこうだから、という理由で自分の考えで動いてしまうことがたくさんあります。
牧師もおっしゃっていましたが、自分自身を手放して神様を礼拝することは決して簡単じゃないですよね。

私も日々このこととしっかり向き合っていかなければならないと思います。

では、また後で会いましょう☆
2012.12.24 11:18 | URL | #- [edit]
佐々木満ちる says..."Re: タイトルなし"
さうすさん、こんにちは♪
ブログを読んで下さり、ありがとうございます。
> 自分がこうだから、周りがこうだから、という理由で自分の考えで動いてしまうことがたくさんあります。
> 牧師もおっしゃっていましたが、自分自身を手放して神様を礼拝することは決して簡単じゃないですよね。
そうですねー。
本当に、全てを神さまにゆだねることは簡単じゃないですよね。
だけど、僕らにはそれをこの地上でなされたイエスさまがいます!
そのイエスさまに、ただ僕らはより頼む時、全ての必要が満たされるんですよね。
本当に、イエスさまの誕生を覚えて、心から感謝ですね♪
2012.12.25 14:40 | URL | #- [edit]

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