Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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新しく生きる

今日は主日礼拝。
愛する兄弟姉妹と共に、唯一の神であるお方を礼拝できることは、なんと幸いなことでしょうか。
この地上に生きていながら、イエス・キリストというお方にあって、既に永遠のいのちが与えられている者として、真の自由と喜びという光の中を歩んでいきたいです。

礼拝の後、藤木先生としばしお話する時間が与えられました。
藤木先生は、僕が心から敬愛するクリスチャンです。
これまで六年間の学生生活の中で、神愛キリスト教会に集い、藤木先生と関わることができたことは、かけがえのない恵みです。

今日、藤木先生からいただいたお言葉は、「霊に生きる」ということでした。
クリスチャンとして生きていく中で、神学という論理や、しるしや体験という感性は神から賜物として与えられており、育まれます。
しかし、それらに焦点を合わせ、追い求めていくことは実体のない影を追うようなことであり、空しいことなのだと教えられました。

そうではなく、「霊に生きる」こと。すなわち、イエス・キリストという、道・真理・いのちであられるお方一点に僕の全てを集中し、注いてくださる新しいいのち、「霊」によって生きることを真剣に求めていくように励ましてくださいました。

このことは、簡単なことではありません。
僕自身にとっては、論理や感性を追い求めていくことの方が、ずっと楽だからです。
なぜなら、それらはある意味で形を有しており、実感を伴い、追い求め易いからです。
しかし、そこに焦点を合わせるその時、神との生ける交わりはなく、イエス・キリストにある「いのち」はありません。
さらには、それらの先にあるのは、神の栄光ではなく、自分自身の栄光そして満足であり、愛もありません。決して役に立たないものとなってしまうのです。

そうではなく、イエス・キリストというお方お一人を、追い求めていくべきです。
そこには必ずしも、論理やしるしはありません。しかしこのことを、信仰をもって、真剣に祈り求めていくとき、神は人間的な次元を超越して豊かな交わりに招き入れてくださり、新しいいのち、「霊」によって全てを益と働かせてくださいます。
そこには、枯れることのない愛が絶えず満ち溢れ、人の心をも動かしていきます。

この与えられた人生の中で、「霊に生きる」。「イエス・キリストにあってのみ生きる」。という最も大切なことに、僕の全身全霊を捧げていきます。

「霊に燃え、主に仕えなさい。」ローマ12:10

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