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重心の子たちと関わって

注:今日のは長いっす(T-T)笑

こんばんは!

実は、重度心身障害児者(以下重心の子たち)については、もう少し日を置いてから書こうと思ってたんです・・・。

が!療育園での実習レポートの構成を考えていたら、「この子たち達についてブログに書きたい!!」っていう思いが湧き上がる、湧き上がる!そして今に至る。笑


この一週間、北海道療育園での実習は、本当に実りある、有意義なものとなりました。

そもそも、僕の母が重心の子たちと関わる仕事をしていることから、高校生の頃から彼らと関わる機会はありました。
ある時は、養護学校に行ったり、キャンプに参加したり。子どもたちだけでなく、ご家族とも触れ合う機会も与えられ、大学入学前の課題では、高校生なりに北見圏の重心の子たちの実態調査などもさせていただきました。

そんなことから、僕の心の奥底には、いつも彼らの存在がありました。
言葉も話せないし、たくさんのケアを必要としている彼ら。
だけど、なぜか彼らと一緒にいると、心が落ち着き、清らかな気持ちになれました。


そしてそれから六年の年月を経て、僕はまた、重心の子たちと触れ合う時が与えられました。
以前は、「母に連れてこられて」という動機だったのが、今回は自分の意志で北海道療育園の実習を希望しました。

正直、僕は心のどこかで、
「まぁ、他の学生よりは、重心の子たちについて『知っている』」
という自負がありました。

実際、母から重心の子たちを取り巻く法律や制度については、実家に帰る度に教えてもらい、自分なりに考えも持っていたからです。


でも、その『知っている』という思いが、どれだけ傲慢な思いだったか、僕は実習を通して気付かされました。

ある日の実習で、僕は子どもたちの入浴介助に付き添わせていただきました。
療育園の子たちは、一部のショートステイを除いて、ほぼ全員がそこで生活しています。
だから、食事、入浴、etc。生活のあらゆる部分も、ここで行っています。

僕も長靴を履き、お風呂場で見学させて頂く中で、介助員の方が髪を洗い、体を洗い、そして湯船にそっと沈めます。
そのあとでした。介助員の方は、ごく自然に、洗顔フォームを泡立て、瞼の上や鼻の下など、狭いところも丁寧に洗っていたのです。

僕は、はっとしました。
僕にとっても、洗顔をするということは、何気ない普通の行為です。
それなのに、洗顔をするその様子に、違和感を感じてしまった自分に気付かされたのです。

言い換えるなら、僕はその子のことを、どこかで僕と同じ「普通」の子と思っていなかったのです。

自分はなんて傲慢なんだろう。
僕は、彼らのことを何も『知って』いなかったのだと、気付かされました。



そして同時に、重心の子たちに対して、普通のことを普通にするスタッフの皆さんの姿勢に本当に学ばされました。

重心の子たちには、本当にたくさんの人が関わります。
医師、看護師、介助員、PT、OT、ST、リハ工学士、薬剤師、臨床工学技士、ソーシャルワーカー、支援相談員、保健師、事務職、養護学校の先生、etc...

まだまだ、書ききれないくらい本当にたくさんの人が関わっているんです。

そして、北海道療育園では、それら関わる全ての人たちが、重心の子たちを中心として、本当に生きたつながりを持たれており、清い動機が貫かれていました。

子どもたちが真ん中にいるからこそ、互いに協調し合い、ベストを真剣に模索されているのです。
すなわち、スタッフそれぞれが、自分の持ちうる技術や知識を、最大限に用いつつ、共有しつつ、協調されている姿がそこにあったのです。

そんなスタッフの皆さんの背中を通して感じたのは、「プロフェッショナル」です。
皆さん良い意味で、本当にストイックです。

たとえば、もともと看護師だったある方は、重心の子たちがどうにかして自分の思いを表現できないかということで、独学で工学について勉強され、子どもたち一人一人にあったスイッチを作り出し、パソコンで絵を描いたり、詩を作ったりすることを可能にされました。
そして今も、在宅の重心の子たちが活用できるようにと、絶え間ない研究と実験を重ねていました。かっこいい!

僕自身も、医師として生きて行く上で、自分の仕事に責任を持ち、甘えず妥協しない姿勢が必要だと思わされました。

さらに、スタッフの皆さんの動機の清さを、僕は身をもって感じました。

療育園で出会った、ある先生がお話しして下さいました。
「これから、稚内やオホーツクに住む在宅の重心の子たちのために、どんどん療育園のノウハウを伝えていきたいと思っているんだ。それは結果的に、療育園の首を絞めることになるかもしれないけれど、そんなことはどうでもよくて、必要としている人たちがいるから、僕らは僕らのベストを提供し続ける。」
かっこいい!!

いつも、その動機の先には重心の子たちがいる。そこには、自分自身の成功や満足といった類(たぐい)の動機ではなく、彼らを思う愛があるんだと感じたんです。



それではなぜ、スタッフの方々が、重心の子たちを中心とした生きたつながりと、清い動機を保っておられるのか。
それについて、別の先生が教えてくださいました。
「そもそも、世話を必要としない人なんてこの世界にいないよね。この子たちは、人よりちょっと世話を必要としているだけ。それに、私たちはむしろ、清くて純粋な心を持つこの子たちと接する中で、本当に素晴らしいものを日々もらってるんだ。だから、この子たちには感謝している。」


実は、その答えは、重心の子たち自身にあったんです。
僕自身も言葉にできないけれど高校生の時に感じていたもの。

すなわち、重い重い障害を持って産まれ、うまく気持ちを伝えることが出来ない中育ち、あらゆる環境の中で葛藤し苦しみ、それでも生き続けてきた子どもたちには、僕らの心には決して見いだせないような清くて純粋な心があるんです。
その心が、人と人をつなぎ、そして生きた交わりへとつくり変え、さらには関わる人達の心も清めているのだと気付かされました。



そしてそして、今朝のデボーションはまさに、重心の子たちに関するみことばでした!


あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。
まことに、あなたがたに告げます。
彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。
マタイ18:10


聖書にもはっきり書いてあるんです!
この子どもたちはいつも、天使たちによって守られ、そして子どもたちは天使たちと一緒に、神さまを見上げて生きている。
そんな彼らと、若き日から出会えたこと、心から神さまに感謝します。

まだはっきりとは分からないけれど、僕が医師として生きて行く道も、今回の実習を通して見えてきたように思います。ハレルヤ!


満ちる

P.S.長かったですねー(T-T)最後まで読んで下さった方、ありがとうございました!
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