Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ゼロ

こんばんは!


突然ですが、皆さんのお住まいの地方の天気はいかがでしょうか?
こちら旭川、いや北海道は、例年になく寒い日が続いています。。
当然、桜が咲く気配など全くありません(T_T)

そして寒さにやられて、僕は風邪を引きっぱなしです(^^;
鼻声も続き、どこか力が入らない日々が続いていますが、神さまが癒して下さる!!と信じて、明日も頑張ります♪


さて、先日の礼拝の後は、月始めということで、神愛キリスト教会ではデボーションの分かち合いが持たれました。
信仰の大先輩に囲まれながら、過ぐる一ケ月を振り返り、それぞれが聖書を通して語られたことを分かち合いました。
若き僕にとっては、本当に貴重な時間です。

その時間の中で、ある姉妹が、分かち合って下さった言葉がありました。

それは、
「カウントしない。ゼロからのスタート。」

なんでも、先週の福音集会で、伝道師が語られた言葉だったようです。
この意味としては、イエスさまにあって罪赦された者として、周りの人たちがしてしまった失敗や罪をカウントせず、その都度全く新しい心で、ゼロの状態で接するということだそうです。


その日から、僕もふとしたときに、
「カウントしない!ゼロからのスタート!」
と自分に言い聞かせて、生活してみました。



しかし・・・
そんな簡単に、周りの人の失敗や罪を忘れ去ることもできず、むしろこのことを通して、自分の中にたくさんの苦々しいものがあることに気付かされました。

きっと、それは僕に限らないことなのだと思います。
誰もがみんな、「これだけは赦せない。」という思い。
またそれほど深刻でなくても、無意識に出てしまう仕返しやあざけりの思いがあることと思います。

そんな苦々しい何かを握って生きることは、本当に悲しいことですよね。
誰かを憎んだり、仕返ししたいと思ったり、ばかにしたりすること、そんな負のことに与えられているエネルギーを用いるなんてもったいないです!


そんな中、僕はあるみことばを思い出しました。

それは、いつかの教会での福音集会で開かれた聖書箇所で、マタイの福音書18章21~35節のところです。
全部書くと大変なので、簡単に要約させていただきます。


あるところに、一人の王様がいました。
そして、その王様に仕える、一人のしもべがいました。
そのしもべは、王様に対して数億円の借金がありましたが、締め切りが間近というのに全く払える目途が立ちません。
今にも泣きそうになりながら、必死に工面しようとするも、数億円の借金はどうにもなりません。

そして、ついに返済の日になり、しもべは王様の前に出て行きました。
案の定、払えることができないしもべに、王様は家族や家、全てを売り払えと命じます。
しもべは、土下座して誤り続けました。「お願いします、もう少し、もう少し待って下さい。」

王様は、そんなしもべをかわいそうに思いました。そして、事もあろうか、王様は数億円の借金をすべて帳消しにするのです。

しもべは大喜びで、王宮を後にしました。
その帰り道でした。しもべの前に、見覚えのある男が通りかかりました。
彼は、しもべに数百万円の借金がありました。
周りの人たちは、しもべがどのような対応をするか目を見張ります。
すると、しもべは先ほど数億円の借金を赦してもらったばかりなのに、数百万円の借金がある男をとっ捕まえて牢獄にぶち込んでしまうのです。

周りの人たちは、あきれ果て、しもべのしたことを王様に告げ口します。
すると、王様はしもべに怒り、彼も牢獄に入れられてしまったのです。



ん・・・要約されてないですね。笑

それはさておき、なぜ、数億円を帳消しにされたしもべは、数百万円に目をつむることができなかったのだと思いますか?

僕は、この箇所を読むたびに、
「いやー、おそらくしもべはケチなやつだったんだろうな。」
と思っていたんです。


しかし、この箇所を通して、牧師先生はこうおっしゃっていました。
「なぜ、しもべは赦せなかったのでしょうか。その一つとして、彼は、自分が『赦された』、『数百億円の借金がゼロになった』ということを、信じることができなかったのだと思います。そんな訳がない。そんなことはあり得ない!きっと、王様はいつか思い直して、借金を取り立てるかもしれない。その時のために、一円でも多く手に持っていなくては・・・と。赦されているということを信じることは、本当に難しいことです。しかし、赦されていることを信じ、確信し、心から感謝している者以外は、人を赦すことはできません。」


このお言葉を聞いた時、本当にびっくりしました。
それは、そういう見方に初めて触れたからであると同時に、苦々しさを持つ僕と言う人間が、本当の意味でイエス様にある救いを信じていなかったのだと気付かされたからでした。

イエスさまは、全ての人の罪を赦すために、この地上に来られました。
ご自身は全く罪を犯されなかったのに、人々に罵られ、十字架につけられ、死なれました。
そしてその三日後に、よみがえられました。

イエスさまにあって、全ての人の罪はすでに赦されています。
イエス・キリストを信じる者は、その罪の一部ではなく全てが、完全に赦されるのです。

僕らがすべきことは、ただ、信じること。
イエスさまにあって、完全に赦されているということを。


また明日も、僕は、姉妹が教えてくださった、
「カウントしない!ゼロからのスタート!」という言葉を握り、人と接していきたいと思います。

簡単なことではないけれど、イエスさまにあって、完全に赦された者として、人を赦し、そして愛することができるようにつくり変えていただきたいと思います。



イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、
「子よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。
              マルコ2:5
スポンサーサイト

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://christianstudent.blog27.fc2.com/tb.php/519-a157a1c1
該当の記事は見つかりませんでした。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。