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いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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絶対にゆずれないもの

こんばんは!

今日は珍しく、予定のない完全フリーの土曜日でした♪
ぐっすり寝て起きて、祈りつつみことばに触れて、妹と一週間分の買い出しに行って。
そして昼前からは大学に行って、国家試験の勉強!!
途中ちょっとぐーたらタイムはありましたが(笑)、なんとか頑張れました♪

その後は、10㌔ほどジョギングしながら、ゆっくり考え事・・・

本当に素敵な一日でした★


話は戻って、昨夜のこと。
今回らせていただいている皮膚科の先生方にご飯に連れていっていただきました。

僕が皮膚科を選択した理由はいくつかあるんですけど、その一つが皮膚科の教授ともっとお話しがしたかったからでした。

昨年度回った時に見学させていただいた、教授の外来。

患者さんに対する言葉がけやその眼差し。
「これが、本当のプロフェッショナルなんだ!!!」
とちっぽけな学生ながらにただただ感動していました。笑


そしてそして、昨夜のご飯会では、感謝なことに教授の隣に座らせていただけました!

「どんな話しをしたらいいんだろう・・・」ってちょっと悩んでいたんですけど、気付いたらなんと!人生相談みたいになってました。笑

もともと、僕が重症心身障害児に興味があるという話から、両親の話になり、最後は「クリスチャンの生き方」がテーマになっていました!僕もびっくり。。笑


その中で、先生がおっしゃっていました。


日本には、クリスチャンはとっても少ないんだよな。
日本っていう国は、本当に不思議な国で、家族や仕事場などの何かしらのコミュニティーに属することを求めるんだ。
そのコミュニティーの中で、いかに柔軟に生きるかが求められる。
一方で君のようなクリスチャンには、絶対にゆずれないものがあるんじゃないか?
「絶対にゆずれないもの」を持たないで生きている日本人の中で、君は今までたくさんの苦労をしてきたんだろうな。



僕はただただ、「そうなんです!!」「その通りなんです!!」とお答えするほかありませんでした。
僕の中でまだ言葉になっていなかったことが、先生を通してどんどん形をとり、僕自身に訴えかけてきました。
最後の方はちょっとうるっとまでしてました。笑


そして今日。
勉強しながら、ジョギングしながら、僕は昨夜のことを振り返っていました。


「絶対にゆずれないもの」

このことによって、この24年間どれほど悩み、葛藤してきたことか。
クリスチャンであるという僕の確固たるアイデンテティの中で、このことは一生問い続けていくべきことであり、日々答えの要求されることでもあります。



イエス・キリストを信じると決めた人、従っていくと決めた全ての人に、イエスさまは求めておられることがあります。

イエスは、みなの者に言われた。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」
ルカの福音書9章23節


文字通り、イエスさまについて行くためには、自分を捨てなければなりません。
「自分を捨てる」それが何を意味するのか。

それは簡単に言葉にできることではなく、同時に簡単に成し遂げられるものではありません。
それまで握っていた価値観、判断基準、人間関係、将来、全ての全てを神の前に明け渡すということだからです。


十字架にかかるほどに、僕らを愛されたイエスさま。
命がけで、僕らを愛されたイエスさま。
イエスさまがその生涯をかけて伝えてくださったのは、成功や幸せの「方法論」ではなく、愛の中で神と共に歩むという「いのち」、「人生」、「生活」そのものでした。

だから、イエスさまはご自身と同じように、僕ら自身も、このいのちをかけて、この人生を通して、この生活の全てで、イエスさまを信じ従ってくる人達を求めておられます。



僕はこのことをずっと、両親に教えられてきました。
言葉ではなく、背中を通してです。

僕がまだ小さい頃でした。
父は、しばしば親戚や仕事関係の方と、自分がクリスチャンであるということから議論していました。
そしてその父の横に座り、黙って、僕らを抱きかかえてくれた母。
まだ子供だった僕にとっては、「どうして、そこまでしてゆずらないのだろう」と思ってしまいました。

しかし父と母は、イエスさまを愛し、僕ら子ども達を愛するがゆえに、「絶対にゆずらないもの」を何があっても守り続けました。

僕自身も独り立ちしていく中で、そんな両親の姿を思い出しては、僕はただただ感謝をしています。
「絶対にゆずれないもの」を守ってくれてありがとう。
そして、僕らを守ってくれてありがとう、と。



長くなってしまいましたが、最後に、「絶対にゆずれないもの」を語る中で、どうしても伝えておかなければならないことがあります。

それは、「愛に基づいているか?」ということ。

「絶対にゆずれないもの」が、その意思が、その言葉が、その態度や行動が、本当にイエス・キリストの愛に基づいているのか?そのことをいつも自分に問いかける必要があります。
気付かぬ内に、それらの動機が、自分の正しさを証明するためになっていることが多々あるからです。それでは、ただの頑固さ、頑なさです。

僕自身、このことで本当に多くの失敗をしていました。
僕の頑固さ、頑なさゆえに、人を裁き、傷つけ、離れてしまったことがありました。


正しい方は、イエス・キリストお一人です。
そして、「絶対にゆずれないもの」を本当の意味で地の塩として用い、世の光として輝かせてくださるのは、イエス・キリストの愛だけです。


僕はこれからも、「絶対にゆずれないもの」を握り続けます。
ただ、イエス・キリストの愛のゆえに。


満ちる
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-2 Comments

さうす says...""
最後の言葉、自分にも当てはまることだと思いました。

私も教会に行き始めた頃は、そのことで父とよくすれ違いになっていました。
うちは祖母が熱心な仏教の信仰を持っていたのですが、むやみにそれを否定してみたり、キリスト教についてもたいしてわかっていないうちから言葉だけはかっこいいことを言っていたと思います。

だけど時がたつにつれて、だんだん自分のそんな態度が間違いだと気付きました。
それから少しずつ、家族や周りの人を大切にすることや、そのなかで自分はどう神様とつながっていくかを考えるようになりました。
今も失敗しますが、そのことによって少しずつ家族も教会のことを理解してくれるようになりました。
神様と家族に感謝しつつ、これからもこのことについて、しっかり向き合っていきたいと思っています。

今回の記事、私にとっても大切なことを教えてくれて感謝です!
2013.06.22 21:47 | URL | #- [edit]
満ちる says..."Re: タイトルなし"
さうすさん、コメントありがとうございます。
そうだったんですね・・・
でも、そのご家族とのすれ違いを通して、神さまはこのように大切なことを教えてくださったんですね。。
僕も、失敗がなければ、気づくことはできませんでした。
何があっても、僕らを諦めず、愛し続けてくださるイエスさまにあって、一歩一歩進んでいきましょうね♪

金曜日のユース会、楽しみにしています!
2013.06.25 12:21 | URL | #- [edit]

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