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いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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受け入れること。

おはようございまーす♪


ついさっき、遊びに来ていた1つ下の妹のひっかを駅に送ってきました。
なんでも、これから札幌に行って、今日中に網走に帰るんだとか(^_^;)

タフだなー。笑

年こそ下のひっかですが、とってもしっかり者で、落ち着いていて。

今回の滞在でも、兄ちゃんにいくつもの「気付き」を与えて彼女は去っていきました。笑


ひっかに言われました。
「お兄ちゃんの愛は、ワンパターンだよね。お兄ちゃんの熱い思いを持って、ぼーんって与える感じ。でも、愛って色んなパターンがあるんだよね。場合によっては、黙ってることも愛だし、受け入れることも愛だと思う。」


「はい・・・・・・その通りです。。笑」



看護の世界では、こういうのを「個別化」って言うみたい。
例えば、患者さんの足浴(足を温めること?)1つを取ってみても。

足浴という行為自体は、科学的に証明もされてる大切なケア。

でも、足浴をすべき人か、すべきでない人か。
すべき人でも、いつするか、どのような場所がよいか、どのような姿勢がよいか。
更には、どのような会話をすることがよいか。


人それぞれ全く違う。「個別性」がある。


そんなことを教えてくれた。



確かになー、僕の愛はワンパターンだった気がする。笑
その時の自分の精一杯で「与える」ってことが、僕にとっての愛だった。


でも、2012年に引き続き、2013年でもテーマ聖句にしたこの箇所を改めて思い出したとき、、

愛は寛容であり、愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、
自分の利益を求めず、
怒らず、
人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、
すべてを信じ、
すべてを期待し、
すべてを耐え忍びます。
Ⅰコリント13:4-7



まず最初に書かれてあるのが、「寛容」だったことに気付いた・・・・・・。笑

そして、この「寛容」、すなわち「受け入れる心」こそ、僕が今求められてることだし、本気で求めていかなきゃいけないことなんだって気付かされてる。



「受け入れる」。

僕にとってこのことは、「与える」っていう愛の性質より、難しい。

当たり前だけど、受け入れるためには、心を開かなくちゃいけない。

僕はこれまで、心を開いて人と接することから、無意識的に逃げていた。


心を開くことで、本当の自分がさらけ出されて、嫌われたくないと思うし。
心を開くことで、人が自分に対して思う感情、言われる言葉で傷つきたくないと思うし。


でも、神さまはいよいよ、ずーっと逃げてきた、心を開く、受け入れるっていう愛の性質を教えようとしてくださってるのを感じる。。


正直、心を開くことは、自分の力ではできないって思ってる。
無理やりにやっても、きっと僕のことだからぎこちなくなるだろうし。

だから、神様に、イエス様にあって御霊に、完全にお任せしようと思ってる。

だって、神様がまず僕に心を開いてくださったから。
いつだって神様は心を開いて、僕の一方的な願いや、自己中心な祈りを聞いてくださって。それでもずっと一緒に居てくださって。


そんな神様を信じて、僕も「受け入れる」愛を、実らせていただきたいなー☆彡



ではでは、今日も一日頑張ります♪
皆さんに、イエス様にあって溢れるばかりの恵みが注がれますように!


満ちる

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