Life

いまを生きる一人のクリスチャンの、生活、人生、いのち。

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本気でついてく?

こんにちはーっす( ̄ー ̄)ゞ

なんだか土曜の昼下がり、心の炎が燃えに燃えてきた俺はブログを書き始めた。


今日は、、いつにも増して暑苦しいブログになる匂いがプンップンする!笑


最近はといえば、消化器内科の研修を終え、二泊三日で北海道への弾丸帰省をして、そして7月から糖尿病内科を回り始めた。
まぁ、、正直俺のことはどうだっていいんだけど(笑)、、北海道に帰ってある意味辛くなった(T_T)笑

久しぶりに会う同期、神愛教会にいる俺の家族、信頼してる信仰の友、そしてめっちゃ大好きな人。

すごい楽しくて、おなか一杯食べて、満ち足りた俺が降り立った・・・関西空港。


驚くほどに閑散として見えた!!!!笑


「ぬぉぉおぉぉおおおーーーーーーー寂しいい!!!!!!寂しすぎる!!!!」

帰りのラピートβ(関空から天下茶屋までの電車)はなんだか辛かった。


ほんっとにどうでもいい前置きはここまでにして、熱が消えないうちに本題に入る。



俺が「この人はほんとに俺救ってくれる人だ!!」って信じてる、イエスっちゅー人は。

こういう言葉を残した。

「あなたが持ってるいろんな思いやプライドや願いや人間関係や、、、もう全部!全部を捨てて、わたしについてきなさい。」(満ちる訳)

そして、新約聖書にはこの言葉に応えて本気でついていった人たちがたくさん書かれてる。


ペテロとかヨハネ含め漁師の人たち。

マタイみたいに税金を取る、まぁ・・・役人?

パウロっていう、なんだ・・教師?

後はマリアっていう売春婦。

まぁ、いろんな人が、本気でイエスに付いていった。


聖書を読んでみると、みんなかなりかけだらけの人だ。

失敗を繰り返すし、自己中心だし、ネガティブだし。

いわゆる、温厚で、優しくて、周りに信頼されて、っていう「良い人」ではない。


だけど共通して言えるのは、みんな本気で、なおかつそれまで持ってたものを全部捨ててついていったってこと。


じゃ、どうしたらイエスに付いていけるんだろうか。
今を生きる俺たちは、イエスに付いていけるんだろうか。



そんなことを考えた時に、俺はあまりに当たり前の条件を知った。

それは、

「イエスを知っている」っていうこと。


すごい当たり前だけど俺が今誰かに、

「松山ケンイチについていってみて!意味分かんないかもだけど、良いことが待ってるよーん!」

と言われたとして。笑



俺はどうする?

そりゃ、松山ケンイチ探すでしょ!

ネットか、友達づてか知らんけど、俺は必死こいて松山ケンイチを探し出し、そしてコンビニでも映画の撮影所でもどこでもとりあえずついていってみる。
うん、多分ストーカーで捕まるけど。笑


まぁ、これはしょうもない例だけど、当たり前だけど今を生きる俺たちも、本気でイエスを探し出し、そしてイエスが行かれるところについていかんきゃいけん。

そしたら次の疑問が、、、

「はいっ?何言ってん。イエスってすでに死んだ歴史上の人物でしょ。」


それは当然の疑問。

だから、今度はもっと大きなミッションがある。

「イエスって人が今も生きてる!!!」ってことを知る、信じる必要があるってこと。

このことに関しては、ちょっと今回は書ききれないけど、俺はある時にイエスが今も生きているってことを知った。その人は確かに十字架っていう極刑にかかって血を流し、心臓も止まったけど、そのあともう一度命が与えられこの地上で生きているってことを知った。


そんなイエス。

俺はあるときにイエスついていこうって決めた。

ペテロやヨハネやマタイやパウロやマリアみたいに。

かっこ悪くても、がむしゃらでも、なんとしてでもイエスについていこうって決めた。



そして、ついていけばついていくほどに、俺はあることに気づいた。

イエスっていう人についていくことは、その足跡を一歩一歩追っていくってことは、


結構しんどい!!!!!笑


イエスは・・・今のことばで言えばほんとにストイック。

中途半端な幸せを目指してない。

イエスは本当の幸せを知ってるからこそ、本当の幸せを知るための道を今も歩いているし、俺たちにもその道をついてこいって言ってる。


聖書でイエスはこんなことを言った。

「ほんとの幸せを知るための道は、狭いよーーーー」
(満ちる訳)


ただ、イエスの言葉は真実。

俺はイエスを信じるって決めてから、その後ろ姿を追ってついてきて、いろんなものを捨ててきた。

だって狭いんだも。

自分が描いてた人生プランとか、プライドとか。

イエスに従おうとすればするほど、その道幅は狭くて、険しくて、捨てないとついていけなかった。


だけど、一歩進めば進むほど、一個ずつ荷物捨てれば捨てるほど、俺の心はどんどん自由になった。
どんどん幸せが心を:満たしていった。

それは現在進行形で、イエスについていく道は確かにしんどいけど、その道の先に確かに「本物の幸せ」があるって分かる。だって、そのなんちゅーか光みたいなのがすでに見えてるから。



俺は「伝道」っていう言葉はちょっとわかりづらいと思う。

簡単に言えば、「一緒に、イエスって人についていこーよ!!」ってこと。

だとしたら、最初にも書いた通り、イエスって人を知らなければ、イエスが歩む道を知らなければ、そしてその道の険しさ・しんどさを知りつつも、それをはるかにしのぐ喜びがあるってことを知らなきゃ。

誰が「ついてこ!!」って言える?

もしくはその姿を見て、
「いいなー!!あいつなんだか幸せそうだなーー!!」
って分かる?




クリスチャンってなんだ?って思う。

俺は、その人がどういう過去とか、どういう力があるとか、教派とか、その他諸々関係ないと思う。

単純に、
「イエスに本気でついていこうとする人」
でしょ。

それだけだと思う。


はーーー語った(´▽`)

神様、この言葉を用いて下さい!


満ちる

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-2 Comments

さうす says..."イエスを知る"
先週は久しぶりに会えて嬉しかったですね!
「イエスを知る」て本当大事ですよね。
私は教会に通ってても結構長い間、イエス様じゃなくてクリスチャンを見ている時期がありました。
でも、それでイエス様という人やその方の道をきちんと理解できないで過ごす教会生活は、その時は神様を求めてるつもりでも、何かの時に的がずれて違う方向に行ってしまいます。
口で言うほどかんたんなことではないですが、これからも教会や普段の中で、まず「イエス様」という人から目を離さないようにしたいですね!
2014.07.05 15:33 | URL | #- [edit]
満ちる says..."Re: イエスを知る"
さうすさん、いつもコメントありがとうございます(^^)
僕も久しぶりに神愛に行くことができて、嬉しかったです。

僕も、イエス様でなくクリスチャンを見ている時期がとっても長かったです。というかむしろ、今でもクリスチャンを見てしまうことがしばしば。
イエス様に出会いたいと思うときって、騒々しかったり、忙しい中では会えないと思います。
静まって祈るときに、僕たちはイエス様のいのちを感じることができのだと思います。

僕も、大阪のわちゃわちゃしてる日々の中でも、イエス様に触れる時間を大切にしていきたいです。
2014.07.16 22:09 | URL | #- [edit]

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